第82話 アイドル ―偶像―
翌朝。
外ではまた変な見た目の鳥が鳴いている。
「凪さーん、おはよーございまーす!」
ノエルの控えめだけど、明るい声と共に、扉をノックする音が響いた。
しかし――彼女には俺からの返事は聞こえなかった。
「入りますよー?」
ガチャ、と軽い音と共に扉が開く。
俺は布団の中から発声した。
「……んー。ノエルどうしたの?」
布団の中から顔を出した俺は、眠たげに目をこする。
「もう朝ですよー。夜更かしでもしたんですか? 私、もうすぐ学校なんですけど……凪さんの目玉焼き、食べたいなぁって」
「あ、そうだった……!」
ようやく頭が覚醒し始めた俺は、はっと気づく。
(そういえば……居候する代わりに、家事は担当って話だったな)
「すぐ支度するね!」
慌てて布団を跳ねのけて起き上がる。その体と頭に、昨夜の出来事がじわりと重くのしかかる。
寝不足の理由を思い出しながら、俺はため息をひとつついた。
食後。
ノエルは食器を下げながら、ふと顔を上げて俺に言った。
「今日の夜にお兄ちゃんが仕事から帰ってくるの、覚えてます?」
「あ、そうだったね。じゃあ、食材買い足しておいた方がいいよね。調味料も減ってたし」
「はい、助かります! じゃあ、私は学校行ってきますね!」
「うん、いってらっしゃい!」
ぱたぱたと出ていくノエルの背中を笑顔で見送りながら、俺はエプロンをつけてキッチン周りを片付ける。
「確かに、彼女の言う通り俺が非情になれてたら、ノエル達を危険に晒すような心配もなかったな」
そんな甘い自分をたしなめながら、俺は買い出しの準備を始めた。
* * *
昼前のヴェントの街。
風に揺れる商店街の垂れ幕の下、俺は帽子をしっかりと被りながら歩いていた。
「えーっと……地球でいうところの醤油と味噌は必要だな。あと……ノエルが好きな目玉焼き用の火蜥蜴の卵もっと」
『ナギも真面目よねー。アタシがナギに伝えたセレスティア様から聞いた伝言のあのコに会いに行かないの?』
魔封剣の中からリルが俺に問いかけた。
そう、リルが湯舟で思い出したセレスティアからの俺への伝言――それはヴェントの歌姫との接触だったのだ。ゼロやレイのことかと思ったがそうではなかった。
なので、ひとまずはセレスティアのことを、そして自分の勘を信じてライブに赴いたのだ。
「そうしたいんだけど、昨日ちょっとエアリアと色々あってね」
『色々?』
「リルは魔封剣の中で寝てたからなぁ。後で話すよ。とはいっても、もう一度彼女には会うよ。その前に居候としての役割は果たさないとね」
『やっぱり真面目だねー』
まるで主婦のように買い物メモを頭の中で並べる自分に、思わず苦笑する。
そんな時――
ふと目に飛び込んできたのは、街角に貼られた鮮やかなポスターだった。
“空と君を繋ぐ歌姫
エリシア・リュシエール ライブ 開催決定!”
そこには、プロフェッショナルな笑顔の彼女がいた。
そうだ。彼女は“あの姿”で、孤独なはずの異世界で、多くの人に希望を与えてきた。
(それを俺の甘さで壊してしまったのかもしれない……)
昨日、俺が発動した“白の力”が、彼女の変身魔法をかき消した瞬間。
それがどれだけ彼女の大切にしてきた世界を壊したのか――今さらになって重く感じる。
(……もう一度、ちゃんと話さないと)
あのまま終わってはいけない。
彼女もまた、危険に晒される。かつて藤原統魔は言っていた。地球の日本人は特に強い魔法の力を生まれながらにして持っていると。
藤原の行った実験は俺や静音のような白の力を持つ人間を大量に生産しようとしたもの。そのために多くの日本人がこちらの世界に攫われた。
今は多分、セレスティアのおかげで藤原は日本人を新たに連れてくることはできていない。そんな中、碧の存在をあの男が知ってしまったら。
俺は、帽子の奥から遠くを見つめた。
エアリアのライブでも見たが彼女は“風属性”の魔法を相当高度なレベルで扱っていた。
この世界で高度な魔法を扱うには、努力は勿論だが、生まれ持った才能も大きく関わっている。魅せるための魔法はそれほど開拓されていないだろうに、彼女は短期間で相当な努力をしたに違いない。
俺は彼女にどう思われようと彼女を守らなくては。
雑踏の中、買い出し袋を片手に歩く凪の耳に、自然と声が入ってくる。
「昨日のライブ良かったよなー! マジ天使だよ。エアリアちゃんは!」
「マジわかる! 嫌なことばかりだけど、いつもあの笑顔と歌に救われてんだよなー!」
少し離れた場所では――
「また次のライブも行きたいねー!」
「あんな演出も歌も、エリシア以外にはないよね! どうやって思いついたんだろう」
通りを歩くあちこちで、彼女の名前が飛び交っている。
まるで町全体が、“一人の歌姫”の話題で満たされているかのように。
(……テレビが初めて普及した時の地球も、こんな風だったのかもしれないな)
あの時代、誰もが同じ番組を見て、同じスターに憧れていた。エアリア――翠川 碧という少女は、まさにこの異世界でそれと同じ現象を起こしているのだ。
彼女の歌声と魔法の演出は、国を越えた共通の“心の拠り所”になっている。
(彼女は……この世界の“娯楽”の概念そのものをたった一人で変えてしまったのかもしれない)
イグナスやセルナでも今だに異国の文化は弾かれやすく、鎖国気味の空気はあった。だが、このヴェントの空気を見るに、彼女の歌には国境や思想、それを越えるだけの力がある。
イグナスでは、まだ彼女の名前は聞かなかった。俺が無頓着なだけだったのかもしれないけど。
けれど――それも時間の問題だろう。
彼女の歌声は、きっと世界中に届く。
彼女がそう願うなら俺も彼女の手助けになれればいい。俺は本気でそう思った。
☆今回の一言メモ☆
着実に凪の主夫としての性能が上がっていきますね。凪はその性質上、より年下に好かれる傾向はあります。よって同年代の碧との距離感は彼にとっては、少し特殊で悩み所かもしれません。




