第12話 昨日まで大変だったし、今日だけは両手に花でもいいでしょう?
カーテンの隙間から差し込むやわらかい日ざしが、俺の部屋の机の上のページを照らしていた。
あのモンスター襲撃事件から1週間。
俺の軟禁生活は相変わらずだった。だが、決定的に違うのは、あの日の奮戦のおかげで前のような迫害的な視線を受けることはなくなったことだ。
外出も禁止というわけではなく、軍関係者と一緒であれば特に制限なく外に出られるようになった。これによって日々の生活はほぼ一人で完結できるようにはなっていた。
俺は一人、自室の机に腰かけ、本のページをめくっていた。
外出できるとはいえこの世界では目立つこの黒の髪色で外でやることも多くはなく、読書にふけることが多くなっていた。
読んだ本の内容はこの世界”アルフラディア”におけるこの"火の国イグナス"の魔法体系や歴史、文化、隣国との関係までさまざま。硬い文体もあれば、挿絵つきで描かれた児童書のようなものもある。
幸いにして生まれつきなのかわからないが"映像記憶"という能力のおかげでこの世界には詳しくなってきた。今のところ恩恵を受けている知識は料理のレシピくらいだが。
ぱら、とページをめくったあと、俺はぽつりとつぶやいた。
「学ぶことってこんなに面白かったっけ?」
俺がかつて教科書や受験勉強の中で詰め込んでいた点数のための知識とは違う。今、目の前のこの知識は――この世界で“生きるため”のものだった。
知らないことを知るたびに、この世界での自分の立ち位置が少しずつ見えてくる。ページの向こうに、広がっている未来が見える気がした。
勿論、地球に帰ることを忘れたわけではないが。
ページの文字列を追っていた俺の目が、ふと窓の外に向いた。そして――俺は固まった。
「は?」
窓のすぐ外。
ほんの30センチほど先の距離に、少女の顔が、にっこりと笑っていた。ピンクに近い髪のショートカット。アイドルみたいに愛嬌たっぷりなその顔は、まるで「こんにちわ」と言わんばかり。
そしておそらく踏み台に乗っている。しかも、しっかりと両手で窓枠を掴んでいる。
俺は慌てて立ち上ると、窓を開けた。
「あの、そこで何してるの……?」
窓の外の少女は明るく満面の笑みで言った。
「やっほー、異世界人を観察中です!」
「観察中って。 えっと……俺達、喋るのは初めてだよね?」
俺が困惑気味に尋ねると、彼女は“待ってました”と言わんばかりに笑顔を深めた。
「そうだったかも!」
そう言うと、彼女は踏み台から勢いよくぴょんっと飛び降りた。そして窓越しに軽く腰に手を当て、少しだけ胸を張る。
「私はリュカ・フィーネ! リシア隊長の第一部隊所属の隊員だよ♪」
「そ、そうなんだ。俺は黒瀬凪、よろしく。今日は一体何をしに?」
俺がそう尋ねると、リュカはパッと笑顔をさらに輝かせた。
「リシア隊長から最近"よく"凪くんの話が出てくるから気になってきちゃいました!」
「へぇー。よく、ね」
「私、ちっちゃいからナメられがちだけど、戦場じゃちゃーんとバリバリやってるんだよ?」
俺は内心でほんとにこの子が戦場で戦ってるのかと一瞬疑ってしまった。
リシアも他の隊員を比べると若いがこの子もかなり若い。
「あ! 凪くんその目はひょっとしなくても疑ってるね!?」
そのとき――
「リュカは私の隊に編入してから年数は浅いけど、頼りになる戦士よ」
静かに、けれど鋭さを含んだ声が、窓の外から飛んできた。
「わわ、リシア隊長! いつからいたんですか!?」
慌ててリュカが振り返ると、そこには腕を組んで立つリシアの姿があった。おそらく、リュカとほぼ同じタイミングで俺の様子を見に来たのだろう。監視役として。
「最初からいたわ。あなたが踏み台に登ってる時点で、嫌でも目に入るもの。でも、だめじゃない。無断で男子寮に来ては」
「うわぁ……めっちゃ見られてた……」
リュカが頬を赤くして顔を隠すように窓枠に手を置く。その様子に、俺は小さく吹き出してしまった。
「それで、二人とも軍服じゃないから休みなのはわかるけどさ……」
俺は本を閉じて、じっと二人を見ながら言った。
「リュカは好奇心で来たみたいだけどリシアはなにしに来たんだ?」
その一言に、リュカはうなずき、リシアは少し動揺した。
「それは、あれよ! エルマ様に良くあなたのことを聞かれるし! アナタの監視人としてちょっとだけ気になっただけよ! 」
そう言って、リシアはちらっと俺の顔を見て、また視線を逸らした。
無自覚に空気を壊すようにリュカが切り込む。
「ねぇ、凪君! この後時間ある? 一緒に出掛けない?」
「えっ、俺と? どうなんだろうか。最近はまぁ軍関係者が同伴すれば外に出ても良いって言われてるから良いのかな。」
リシアはそんな俺の様子を見ながら、横目でじとっと睨む。
「そうだ!リシア隊長も、一緒に行きませんかっ!?」
リュカはくるっと明るく振り返り、まるで何事もなかったように満面の笑顔で言った。
リシアは、その無防備すぎる光に完全に返しそびれた。だが、やがて彼女は答えを出した。
「私は……」
* * *
この間の騒動で修繕中の看板が立っているが、にぎわいを取り戻しつつあるイグナスの中央都市の商店街。
ここで俺は初めて一振りの剣を振りかざしたのだ。
ともかく、結局俺達は三人で街中を歩いていた。
「お腹すいたねー!」
リュカが元気よくくるっと振り返る。歩いていた通りの先に指を差しながら、にっこりと笑った。
「私、美味しいところ知ってるんだー。よく隊の皆とも行くんだよ!」
その無邪気な笑顔に、通りすがりの子どもまでつられて振り返るほどだった。
「凪、あなたどう?」
リシアが隣から問いかけてくる。
「まぁ、確かにお腹は減ってるし」
ふっと目線を街の屋台や食堂の並ぶ通りに向ける。
「外食なんて、こっちに来てからほとんど経験ないし、すごく興味はあるなあ」
俺も自然と顔が少しほころぶ。
「じゃあ決まりーっ!」
リュカは元気よくそう言うと、スカートの裾をひらりと揺らしながら、通りの先にある店へと駆けていった。
「おいしーの、いっぱいあるからねー!」
振り返って手を振るその姿は、まるで風に乗って跳ねる蝶のように軽やかだった。
俺はその後ろ姿を目で追いながら、ぽつりとつぶやいた。
「リュカを見てても、街を見てても……あのモンスターとの一件が嘘のように思えるな」
「そうね」
俺の方を見ずに、彼女は静かに続けた。
「みんな、強いのよ。前を向いて……楽しく生きようとしてる。私たちが剣を取るように。彼らは、笑って街の賑やかさを作ってくれてる」
「こっちこっちーっ! もう頼んじゃうよーっ!」
店先で大きく手を振るリュカの声が、通りに響いていた。通行人の何人かも、彼女の明るさに思わず笑っていた。
「さて、食べるぞー!」
俺も軽く腕を振って、走り出した。
「まったく……」
リシアはそう言いながらも、口元には微かに笑みが浮かんでいた。髪を揺らしながら、彼女も静かに歩き出す。
* * *
「っていうか、お前って案外、大食いなんだな?」
俺がふとリシアを見て言った。
「そ、そんなことないわよ。普通よ、普通!」
明らかに皿の数が違うテーブルを見て、俺とリュカがくすくす笑い出す。
「まったく……」
そう言う彼女の声は、いつもより小さかった。
☆今回の一言メモ☆
おそらくもう二度とないであろう異世界の日常回。一応、このあとにリュカを潤滑油として出したかった意図があったからですが、一回くらいこういうのもいいかなと。




