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セラバモ 〜セバリゴノ・ドミノ〜  作者: ロソセ
ケルベルス座の上級星と水の星徒達

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ケルベルス座の上級星と水の星徒達①

遥か昔の昼下がり。


陽光が黄金の網のように降り注ぐ商店街は、生き生きとした喧騒に満ちていた。

屋台から漂う焼き魚の香ばしい煙が、通りを歩く人々の鼻腔をくすぐる。

炭火がパチパチと弾ける音、店員の威勢のいい呼び声、子供たちの笑い声が重なり合い、

まるで町全体が一つの巨大な生き物のように息づいていた。


色とりどりの暖簾が風に揺れ、木造の店の軒先に吊るされた風鈴がチリンチリンと涼やかな音を響かせる。

石畳の道は、長年の人の往来でツルリと磨かれ、陽光を柔らかく反射していた。


だが、その穏やかなリズムを切り裂くように、怒号が炸裂した。


「この泥棒猫がッ!!」


中年男性の声は雷鳴のように商店街を震わせ、通りを行く人々の足を一瞬止めた。


三段腹を揺らし、禿げ上がった頭に汗を光らせた男が、片手に握った出刃包丁を振りかざしていた。

刃は陽光を浴び、冷たく鋭い光を放つ。


その手が乱暴に掴んでいたのは、泥と煤にまみれた一人の少女だった。

少女の体は枯れ枝のように細く、ボロボロの服は泥と汗で黒ずみ、元の色を想像することも難しい。

長いボサボサの髪は、まるで暗幕を切り取ったように顔に張り付き、彼女の表情を隠していた。


だが、その小さな両手は、巨大な焼豚、それを命そのもののように抱え込んでいた。

背後から髪を掴まれ、痛みに顔を歪めながらも、彼女は決してその宝物を手放さなかった。

焼豚の表面は脂でテラテラと光り、ほのかに漂う醤油と炭の香りが、彼女の空腹をさらに煽っていた。


「テメェをその焼豚と同じ目に遭わせてやるよ!」


男の声は怒りに震え、振り上げた出刃包丁が空を切り裂く。


少女の瞳に、恐怖と諦めが一瞬だけよぎった。


商店街の空気が凍りつき、人々は息を呑んでその光景を見つめた。


だが、その刃が振り下ろされる瞬間――


「そこのアンタ、止めなさい!!」


遠くから、凛とした女性の声が響き渡った。

まるで春の風が桜の花びらを運ぶように、力強くも優しいその声は、凍りついた空気を一瞬で解き放った。


通りを埋め尽くす人々が一斉に振り返り、ざわめきが波のように広がる。


「何だテメェ……ぇッ!?」


男が苛立ちを顔に浮かべ、声の主を睨みつけた瞬間、その表情が凍りついた。

目を見開き、口が半開きのまま固まる。


「太陽の有家名(アルカナ)!?」


そう呼ばれた女性はまるで春の風そのもののようだった。

長く流れる髪は淡いピンク色で、まるで花びらが舞うようにふわりと広がり、優雅なカーブを描いて宙に漂っている。

髪の中には金色の飾りが散りばめられ、頭頂には大きな花のようなリボンが咲いていた。

衣装は白を基調にしたボディスーツに、ピンクと金色で彩られた装飾が施されており、胸元には桜の花のモチーフの飾りと、肩から流れるケープのような袖は花弁のように広がり、まるで花の女神が舞い降りたかのような華やかさを放っている。



額には金色の紋章が輝き、くるりとカールした前髪がそれを縁取る。

紫がかった青い瞳は鋭く、しかしその奥には温かな光が宿っており、彼女の視線は、男を射抜きながらも、少女を守るような優しさに満ちていた。


「アタシが代わりに支払うからさ、暴力は止めて。この娘に食べ物をたっぷりあげて頂戴。」


彼女の声は穏やかだったが、言葉には揺るぎない意志が込められていた。


少女は焼豚を抱えたまま、呆然とその女性を見つめた。

彼女の心臓は、恐怖と混乱の中で激しく鼓動していたが、どこかで小さな希望の火が灯り始めていた。


「うるせぇッ!お前が金を払うっつっても、コイツが盗っ人に変わりはねぇんだ!それにここはお前の領土じゃねぇだろ!?」


男は唾を飛ばしながら反論したが、声にはどこか怯えが混じっていた。


商店街の人々は、まるで嵐の前の静けさに包まれるように、息を呑んで見守る。


「残念だけど、ついさっき、この領地はアタシの物になったから。」


有家名は小さく微笑んだ。

照れ臭そうなその笑顔には、少女のような無邪気さが垣間見えた。

彼女の声は、まるで春の陽光のように温かく、しかしその背後には領主としての確固たる自信が感じられた。


男の顔がさらに引きつる。


「まさか、星の有家名様が…!?」


信じられないと言わんばかりに、男は首を振った。


その瞬間、背後から新たな人物が現れる。


「本日、5月15日12時の選挙にて決定しました。こちらが権利書ですわ。」


声の主は、金髪を団子に結い、巨大な天秤の髪飾りを揺らす中年女性だった。

赤いフレームの眼鏡の奥で、鋭い目が男を捉える。

彼女の黒い法衣は、まるで夜の闇を切り取ったような重厚感を放ち、ヒールの高い靴で石畳を叩く音がかすかに響いた。


そして天秤の女性は懐から羊毛紙のポスターを取り出し、男の鼻先に突きつけた。


男はその内容を一瞥し、血の気が引いた。

慌てて少女の髪と出刃包丁を放し、地面に額を擦りつけるように土下座した。


「お、お許しください!私めの無礼をお許しください、新領主様!お許しください!」


何度も頭を下げる男に、有家名はやれやれと肩をすくめた。

彼女の仕草には、どこか軽やかな余裕があった。

彼女が動くたびに、衣装の裾が風に乗り、まるで春のそよ風が形を成したかのようだった。


「分かってくれたならいいよ。ほら、早くソーセージなりハムなり持ってきてよ。」


「か、かしこまりました!ありがとうございます!」


男は涙と汗にまみれながら、慌てて自分の店へと駆け戻った。

店の暖簾がバタバタと揺れ、遠くで厨房の油がジュウジュウと音を立てる。


商店街の人々は、まるで嵐が去った後の静けさに包まれるように、そっと息をついた。


有家名は、解放されて地面にうずくまる少女の前にしゃがみ込んだ。

ピンクのブーツは柔らかな革で作られ、金のアクセントが陽光を受けてきらめく。


彼女は少女の顔を覗き込み、柔らかく微笑んだ。


「あ〜ぁ、アンタ、教会の娘なのに泥だらけじゃないの。」


その声は、まるで姉が妹をからかうような親しみやすさに満ちていた。


少女は焼豚を抱えたまま、困惑した瞳で有家名を見上げる。

教会の娘だと言われた彼女の心はまだ警戒していたが、その温かな声に、凍りついていた何かが少しずつ溶けていくのを感じていた。


「その肉はアンタの物だよ。遠慮なくお食べ。」


有家名の言葉に、少女は一瞬ためらった。

焼豚と彼女の顔を交互に見つめ、まるで夢でも見ているかのように目を瞬かせる。

だが、空腹が理性を押しつぶし、彼女は焼豚にかぶりついた。

その勢いは、まるで命そのものを貪るようだった。

脂が彼女の唇を濡らし、醤油の香りが鼻をくすぐる。


「あらあら、汚化子の男といい、劣等星といい、穢らわしい下民相手にもお優しいこと。」


法衣姿の女性が、眼鏡越しに二人を見下しながら言った。

彼女の声には称賛と軽い皮肉が混ざっていた。

彼女の法衣が風に揺れ、黒い布がまるで影のように石畳に伸びる。


有家名は振り返り、悪戯っぽく笑う。


「そんなの決まってるじゃない。この領地はアタシの物になった。つまり、この領地に住む人もアタシの者だから。」


少女が無我夢中で食べ続ける姿を、太陽の有家名は目を細めて眺めた。

その視線には、少女への深い慈しみが宿っていた。


陽光が彼女のピンクの髪を照らし、まるで桜の花びらが光をまとったように輝いた。


「アンタもアタシのモノになるのだから、アタシの従兄弟の世話役として働いてもらうよ。」


その言葉に、少女の手がピタリと止まった。

彼女は焼豚から顔を上げ、細長い瞳孔に金色の光を宿した目で有家名をじっと見つめた。

その瞳には、驚きと、初めて感じる信頼の芽生えが揺れていた。


「心から忠誠を誓います、新領主様…。」


少女の声は小さく、震えていた。

だが、その言葉には確かな決意が込められていた。


「ちょうど誓いの鐘が鳴り始めるね。」


有家名は満足そうに頷き、右手を差し伸べる。

彼女の手は、陽光を浴びて白く輝き、まるで希望そのものを差し出すようだった。


「アタシの名前は…」


キーン、コーン、カーン、コーン…


鐘の音が、活気あふれる町中に響き渡る。

それはまるで、新たな絆の始まりを祝福するかのようだった。


「さぁ、アンタも名乗りな。」


太陽の有家名の言葉に、少女は黒く汚れた細い手をそっと伸ばした。

彼女の顔には、初めての希望が宿っていた。


「アタイの名は…」


キーン、コーン、カーン、コーン…


それは、遥か昔の出来事だった。


そして現在。


校庭、正門、その先に続く長い坂。


海が空と溶け合う地平線の彼方、校舎がそびえ立つ。

校庭を抜け、正門をくぐれば、長い坂が商店街へと続く。

その先には、小さな家々がひしめき合い、緑の木々と紅い鳥居が点在していた。


それ以外は何もない。それだけ。


そこは、幻の町――ゲンソウチョウ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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