鳳凰座の転入星㉑
◇◇
「桜丘さん、桜丘さん!!」
私の名前を何度も呼ぶ、焦ったような女の声が遠くから響く。
頭がぼんやりと重く、まるで水の底に沈んでいるような感覚がする。
「あれ…?」
重たい目蓋をゆっくり持ち上げると、眩しいオレンジ色の光が目に飛び込んできた。
夕焼けだろうか。
光の向こうに、ぼやけた二つのシルエットが揺れている。
冷たい地面の感触が背中に伝わり、鼻腔には焦げたような煙の匂いが漂っていた。
私は焼却炉の脇、校庭の隅に横たわっていたらしい。
目が慣れてくると、目の前に二人の女の子がいた。
どちらも私の顔を覗き込むようにして、膝をついて座っている。
間近にいるのは、モカブラウンの髪を歪みゼロの完璧なお団子にまとめた子。
茶色のつり目には薄いフレームのない眼鏡が光っている。
彼女の真剣な表情に、どこか見覚えがある。
そうだ、生徒会長だ。
「朝礼だけでなく、昼礼の時間になっても姿が見えないので探しましたよ。」
彼女の声は落ち着いているが、どこか呆れているような響きがあった。
私はハッとして思い出す。
ゴミを焼却炉に運ぶ途中、急に意識が途切れて――。
視線を上げると、焼却炉の細長い煙突から黒い煙がもうもうと立ち上っている。
風はそんなに強くないのに、なぜか肌を刺すような寒さが全身を包む。
えー!?
こんなところで寝てしまうなんて、私ったらなんてドジなんだろう!
「大丈夫…?」
掠れた小さな声が隣から聞こえた。
今朝、掃除を一緒にやってくれた詩由羅ちゃんだった。
彼女の灰色かかった瞳は心配そうに揺れ、いつもより少し青白い顔が夕暮れの光に映えている。
「うん、大丈夫。」
そう答えたものの、頭はまだ霧がかかったようで、自分の声が遠くに聞こえる。
「桜丘さん、怪我はありませんか?」
生徒会長が改めて私の様子を確かめるように尋ねる。
彼女の眼鏡の奥の目は、まるでお医者さんのように冷静だ。
「うん…、あ、はい。」
こんなに心配をかけてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、ちょっと嬉しい気持ちが頭の中でグルグル回る。
二人の優しさに胸が温かくなるのを感じると、自分でも不思議なぐらい笑みが浮かんでくる。
それにしても本当に、朝から夕方までずっと寝ていたなんて信じられない。
どうしてこんな事に?
「あらあらぁ、まあまあまぁ〜、ここにいたのね!」
突然、ドロドロに溶けたチョコレートのような、独特の甘ったるい声が響いた。
振り返ると、渦神先生が小走りで近づいてくる。
白いドレスと一緒にシワだらけの茶色い体を左右に揺らし、白髪まじりの髪が夕風にふわふわと揺れている。
「渦神先生、桜丘さんが…。」
生徒会長が説明を始めようとした瞬間、渦神先生は私のそばにしゃがみ込み、顔を覗き込む。
彼女の甘いカカオの匂いが鼻をついた。
「あらあら、まぁまぁまぁ…、怪我はなさそうだけど…。」
先生の手が私の額に触れ、ひんやりとした感触に少し身震いする。
彼女の目は一瞬、何かを見透かすように鋭くなった気がした。
「今日は帰宅しないほうが良さそうですね。」
生徒会長が空を見上げて呟いた。
オレンジ色の空は、まるで燃えているように不気味な輝きを放っており、急に心がざわつき始めた。
帰宅しないって事は、学校でお泊り?
それは嫌だ!
「いえ…、私、帰ります。」
まだぼんやりとした感覚が抜けず、頭がクラクラしているけれど、無理やり立ち上がる。
足元がフラフラするけど、休んでいる場合じゃない。
一刻も早く家に帰りたい。
「まだ夕方のチャイムが鳴っていませんよ。」
生徒会長が私の腕をつかもうとするが、私はそれを振り払う。
「モモカがお留守番してるから…。」
「え、今なんて…?」
咄嗟に出た言葉に生徒会長は驚いている。
モモカが家で待っているのは本当だけど、本当の理由は別だ。
クラスのみんなと一緒に夜を過ごすなんて、想像しただけで息が詰まりそうになる。
みんなの敵意剥き出しの視線や、私への悪口。
そんなの耐えられない。
私には家がある。
いつも通り、温かいご飯を食べて、ベッドでぐっすり寝たい。
「さ、さよならッ!」
私は慌てて走り出した。
背後で二人が私の名前を呼ぶ声が聞こえるが、振り返る余裕はない。
校庭の乾いた土を蹴り、薄暗い校舎の裏口を抜け、正門へと向かう。
砂埃が舞い、喉にざらつく感触が残る。
目の前に現れた校門は、鉄の冷たい輝きを放ち、まるで私を閉じ込めようとしているようだ。
開けてくれる先生を呼ぶ時間なんてない!
咄嗟にそう思い、目の前の高い壁に飛びつく。
次の瞬間、信じられないほど体が軽くなり、まるでトランポリンの上で跳ねるように高く舞い上がった。
厳重な校門を軽々と越え、地面にふわりと着地する。
「……え?」
振り返ると、校門の高さが改めて目に入る。
2メートル以上ある。
あんな高い壁を飛び越えたなんて。
私、運動神経は普通なのに。
もしかして、まだ夢の中にいるのかな?
頭が混乱するけど、考えるのは後でいいや。
キーン、コーン、カーン、コーン …
夕方のチャイムが海の向こうから響き、空は深い暗いオレンジ色に染まっていく。
まるで世界が別の色に塗り替えられていくようだ。
私は鼻歌を歌いながら、坂を下り、大きな紅い鳥居をくぐって商店街へ向かう。
「ふんふん、ふ〜んっ♪」
商店街はひっそりと静まり返り、シャッターが下りた店が並ぶ。
街灯の淡い光が地面に細長い影を落とし、どこか現実離れした雰囲気が漂う。
その時、頭上から早送り再生したかのような甲高い声が降ってきた。
「おーい、そこのアンタぁ!」
見上げると、ピンク色の小さな物体がこちらに飛んでくる。
花束か鳥かと思ったけれど違う。
尖った耳をした小さな小さな女の子だった。
もしかして、妖精さん!?
花びらのようにヒラヒラと舞う身体は手のひらサイズで、丸い頭から茶色の長い髪がカールして四方八方に広がっている。
頭には緑の葉と白い花が飾られ、ピンクのフリルパンツと花びらのようなドレスがふわふわと揺れている。
妖精は私の顔の前でふわりと滞空し、腕を組んで睨みつけてくる。
黄緑と金色の大きなつり目には、深い黒の瞳孔が光る。
何か不機嫌そうだなぁ…。
「えっと、誰?」
私は目の前の妖精に恐る恐る声をかけた。
「ハァ? 自分から名乗るのが礼儀じゃない?」
可愛らしい見た目に反して、彼女の口調はぶっきらぼうだ。
私は少し面食らいながら答える。
「え、私は桜丘妃姫。」
「ハァん?! なんて?」
妖精はカツアゲする不良みたいな声を上げて耳をそばたてる。
何なの、この子!?
「桜丘妃姫だって! ヨ、ウ、オ、カ、ヒ、キっ!」
ムキになって敢えて大声で名乗った。
「ふぅん、変な名前だねぇ!」
何なのこの子、ムカつく!!
「そういう貴女は何なの?」
「アタイ? アタイはねぇ、ジコセロオ!」
そっちのほうがよっぽど変な名前じゃん!
心の中でツッコミながら、私は彼女をじっと見つめる。
すると失礼極まりない妖精が本題に入った。
「ところでアンタ、変な鼻歌やめてくれない?」
「変じゃないもん!」
無意識に苛立ちが声に出る。
しかし妖精は私が不機嫌になっている事などお構い無し。
「アンタの鼻歌、頭が痛くなるぐらい不愉快だね!」
その言葉に、胸がズキンと痛んだ。
歌うことは私のささやかな楽しみなのに…。
ショックで言葉に詰まると、ジコセロオはさらにまくしたてる。
「全く、ただでさえお腹空きすぎてイライラしてるのにぃ!」
呆れた!
この子、お腹が空いてて私に当たり散らしてるの!?
「お腹空いたなら何か食べればいいじゃない!」
「ハァ? この世界のどこに食べ物があるの?」
彼女の蛍光色の金目が、鋭く私を捉える。
深い黒の瞳孔は、まるで底なしの穴のようだった。
どこかで見たことがある気がする…でも、どこで?
「もしかして、アンタのことぉ?」
ジコセロオがフンと鼻で笑う。
「冗談よ。アンタ、とてつもなく不味そうだし。」
その言葉にカチンときた。
初対面なのに、さっきから悪口ばっかり!
でも、彼女は構わず続ける。
「次に奴が来たら、この町ごと喰ってやるッ!」
そう叫ぶと、ジコセロオはふいっと空高く舞い上がった。
「あと、今度また下手くそに歌ってたら許さないからね!」
一方的にまくしたて、彼女はあっという間に夜空に消えた。
私は呆然とその姿を見送る。
やっぱり、これは夢だ。
こんな奇妙な出来事が現実のはずがない。
でも、どこか心の奥で、モヤモヤした不安が膨らんでいく。
気を取り直して歩き続けると、ようやく見慣れた白いレンガの壁と茶色い金属のドアが現れる。
私の家だ。
ホッと胸を撫で下ろす。
「ただいま!」
ドアノブに手をかけ、勢いよく中に入る。
今日も平和で、ウレピーマン?
なんて、いつもの軽い気持ちで自分を励ます。
でも、心のどこかで、さっきの妖精の言葉が引っかかっていた。
町ごと喰ってやる、なんておかしな話だけど凄く怖い。
この夢、いつか覚めるよね?




