過去
ターゲットのクリーチャーはハーベストから遠く離れた山にいた。
どんなクリーチャーかも分からない。
スバルがハーベストから渡されたカース探知機だけを手がかりに、私とスバルは二人だけで山道を行く。
カース探知機は光の線で、クリーチャーのいる方角を指し示す。
山の中でキャンプをしながら、注意深く探索を続けていた三日目の午後、不意にスバルが立ち止まった。
「なぁ、オリーヴ。何か聞こえないか?」
スバルが囁いた。
私は耳を澄ませるけれど、何も聞こえない。
「どんな音?」
「なんか……楽器のような……」
もう一度、私は注意深く耳を澄ませてみる。
風のさざめき、木々の葉の擦れる音。
雑音の中に意識を巡らせて、できるだけ遠くの音を拾おうとする。
意識を耳の拾う音だけに集中させた瞬間、大きくトランペットの音が響いたのが聞こえた。
「これは……?」
「トランペットかな?」
眉を潜めるスバルへ、私は言葉をかける。
トランペットの音はすぐ近くで鳴っている。
音が、だんだんと大きくなっていく。
怪しげな音の源を探すべく首を巡らそうとした時、スバルの持っていたカース探知機が今までに無い光り方をする。
「オリーヴ、伏せろ!!」
スバルの叫びに、私は反射的に身を伏せる。
熱線が私たちの頭上を突き抜けた。
「なに、今の……っ!」
視線を熱線の発生源へと向ければ、いつの間にか巨大な蛇がそこにいて。
私は慌てて身を起こす。
そして邪魔にならないように足元で浮遊させていた宝珠を肩口にまで引き上げて臨戦態勢になる。
見たことのないクリーチャーに手を出しかねていると、スバルがこのクリーチャーの正体を教えてくれる。
「こいつは……ターゲットじゃない。ウムガルナって名前のクリーチャーだ」
「どういうこと!?」
私がターゲットではないらしいクリーチャーを前に身構えると、不意にスバルは後ろを振り向いた。
スバルの背中を追いかけるように振り向けば、氷のつぶてが降り注ぐ。
スバルは舌打ちをすると、自分のマナプロテクトで私を庇うように氷のつぶてに立ちはだかった。
「オリーヴ、これは相当やばいことになったぞ……!」
スバルが対峙するのは巨大な女郎蜘蛛。
私でも知っている、アトラクナクアと呼ばれるクリーチャー。
前門の虎に後門の狼ならぬ、前門の蛇と後門の蜘蛛。
巨大なクリーチャー相手に私の全身に緊張が走る。
その上最悪なことに、ウムガルナとトラク=ナクアだけじゃない。
気が付けば、私たちの周りには巨大なクリーチャーが何匹もいる状態。
逃げ道を、完全に塞がれてしまっていた。
「……ハメられたな」
「それって……」
「さっきのラッパの音は、ターゲットが俺たちを見つけて行った、奇襲攻撃の合図だったんだ。おそらく、他のクリーチャーを簡単に使役することができるほどの存在。相当強いか、お偉いか、どちらにせよやばいってのには変わりない。どうにかしてこのことを学園に知らせたいが……っ」
スバルの言葉が終わらない内に、クリーチャーから強力な魔法を浴びせられる。
スバルが手に持つハンドスピナーを回す。
出会ったばかりの頃、私が「ふざけてる」と言ったその発動体で、クリーチャーの魔法を全て消去した。
私はその隙を逃さない。滞空させていた私の発動体である宝珠を操った。
宝珠が緑色に輝き、風が舞う。
宝珠を取り巻くように風が渦巻き、小さな竜巻となってクリーチャーを襲う。
だけど私の実力不足か、私の魔法では大型のクリーチャーに致命的な攻撃を与えられない。
スバルの防御に守られながら、なんとか一体のクリーチャーを倒す。
それなのに一体倒しても、また次のクリーチャーがやってくる。
トランペットの音は鳴りやまない。
私は歯噛みする。
「攻撃は俺がなんとかして耐えるが、いつまで持つかわからない。だからその間に……」
新たな敵に対して身構えた私に、スバルが呟く。
だけどその言葉の続きを聞く前に、スバルが焦りだした。
「しまった……っ!」
足元から伝わる冷気。
凍る地面にうろたえるスバルの声に振り向こうとした視界の端で、私の方へ邪悪に黒く輝く大剣が飛んでくるのを捕らえた。
あ、と思った。
これは私の油断。
だから次の瞬間、何が起きたのか理解できなかった。
反応の遅れた私を庇うように、スバルが私の前に立ち、マナプロテクトで大剣を受け止める。
大剣がするりとスバルの身体に入り込んだのが、いやにゆっくりと見えた気がした。
「うあああああああ!!!!」
私を守ったスバルの絶叫に意識が引き戻される。
「スバル、スバル! 大丈夫!? スバル……っ!」
頭を抱えて崩れ落ちるスバル。
私は顔を歪ませて、彼を抱き起こす。
なんで私を庇ったの。
なんで魔法を使わなかったの。
発動体があれば、マナプロテクトは発動体へと優先的に働き、人体へ魔法の影響は働かない。
それなのに敵の大剣はマナプロテクトを素通りして、スバルの体へと滑り込んでいった。
普通ならあり得ない現象に、私は混乱する。
「スバル……っ」
泣きそうになりながらスバルの名前を呼べば、スバルは額に脂汗を滲ませながら、笑うのに失敗したような顔で私と視線を合わす。
「オリーヴ……お前、だけは……こんな俺を、相棒って呼んでくれて……ありがとな」
「な、にを……っ」
そんな、最期みたいな言葉を言わないで。
大丈夫。きっと大丈夫だから。
私がクリーチャーを蹴散らして、すぐにあなたを連れて帰るから。
言いたい言葉は沢山ある。
やらなきゃいけないことも沢山ある。
それなのに、私は囚われたようにスバルの表情から、目を反らすことができない。
混乱する私が何もできずにいると、スバルがよろめきながらも立ち上がり、ハンドスピナーを回し始める。
くるくると勢いよく回るハンドスピナーが、場に似つかわしくない。でもそれが、スバルという人をよく表している事を私は知っている。
「さよならだ」
私を置いて、彼は背を向ける。
待って、と手を伸ばす。
言葉は張り付いたように出てこない。
足に根がついたように動かない。
どうして。
こんなはずじゃ……っ!
「小さな星」
スバルが発動したのは大魔法・小さな星。
私はその魔法陣の中で、最期の力を振り絞って、ハーベストムーンを発動するスバルの背中をまばたきもしないで見ていた。
「さて……後どこまでやれるかは分からねぇが、このままただで死ぬってのも嫌だな。トランペットの奴に、絶対一撃食らわせてやる……来やがれ!!」
その言葉が、私が聞いたスバルの最期の言葉。
気がついたとき、私は桜の樹の前にいた。
茫然としていた私だったけど、スバルがあのクリーチャーの群れを一人で相手取ることができないことは分かっていた。
私は泣きながら学園を飛び出す。
私の異様な姿に、事態に気づいた学園も協力してくれて、なんとかスバルと最期にいた場所へと辿り着いた時には、全ては終わっていた。
地面に伏せるクリーチャーの死体の山と、激しい戦闘の爪痕。
そしてその中で、血だらけになって倒れているスバルの姿。
───彼は二度と、戻らぬ人となったのだ。