22話 不定形、遅刻をする
食事時になると、スフィは申し訳なさそうに戻ってきた。
見ると、制服を少し兎の血で汚してしまっている。
制服はスフィの一張羅だ。その服を汚してしまったのだから、スフィのショックは大きい。
「スフィ。洗うから、それ脱いでもう1着の方を着てきなさい」
「はい」
モーフは、スフィの服に付いた血を手で撫でる……振りをして、肉体を一部水に戻し、血を識別して吸収した。
後は、その水もろとも再度取り込むと、綺麗さっぱり血の跡は消え、何事もなく乾いた制服に戻る。
あまりにも普通に綺麗になってしまったので、試しにマドゥの母親がいつも使っているエプロンを取り、同じ事をした。
問題無く綺麗になる。
「あら! マドゥ、それも魔法? お母さんのエプロン綺麗にしてくれたの」
「うん。そう……魔法……うん。魔法」
母は魔法を知らないので、そういう魔法もあるくらいにしか思っていない。
モーフも適当にしてみれば適当に出来た感じなので、これがそもそも魔法と呼べるものなのかを知らない。
知るのは、この後に着替えて戻って来たスフィだけだ。
スフィは、またマドゥが知らない魔法を使ったので、頭をぐるぐる回して妙なリアクションを取っていた。
食後、早速スフィに回復魔法のテストをしに庭に出たのだが、そこには、雑にバラされた兎の死骸が散乱していた。
これを見る限りでは、スフィが正しく組織を把握できているとは言い難いので、テストは一旦中止にする。
「あー……解体方法も必要だったのね……ちょっとお母さん呼んでくるわ」
マドゥの母は料理をする。時には血抜きした兎を丸々一頭買ってきたりもしていたので、解体方法は解るはずと踏んだのだ。
聞いてみれば実際知っていたようで、その場で解体してくれるという運びになった。
だが、もう食事に使えないようなバラし方をされている兎を作り出したとして、モーフはマドゥとして、教育的げんこつを食らう。
食料を大事にするというのは獣とも共通のようで、モーフは少し安心する。
「この解体が大事だっていうのは判ったけど、マドゥはちゃんとその兎の死体処分してくること! その間にお母さんがスフィちゃんに解体方法教えておくから」
「はーい。お母さんありがとうね」
モーフは、空間魔法で兎の死骸をまとめてから移動した。
人気のないところにまで来ると、服をめくり、腹から直接兎を食らう。
処分するなら、誰かに任せるよりもモーフ自身が取り込むのが手っ取り早いのだ。
無論こんなところを誰かに見られでもしたらとんでもないことになるが、モーフはそこらの索敵を怠っていない。魔力探知という、視覚に頼らない強さがそこにはあった。
モーフが家に帰ると、兎の解体はあらかた終わっていた。
皮は完全に剥がされ、筋肉は大まかに分けられ、内臓はどれも取り出されている。
「おかえりマドゥ。ちゃんと処分した?」
「勿論。塵一つ残ってないくらいよ」
嘘ではない。
燃やしていないのでそもそも塵は出ないのだ。
「流石マドゥ。お母さんの方は久しぶりにこんなにじっくり考えて解体したわ。人に何かを教えるって大変ね」
「スフィはどう? 勉強になった?」
「はい! ……といっても、いっぱいありすぎて覚えきれないです……」
スフィはしょぼんとする。
目より上はその銀の髪で隠れていて見れないが、眉がへの字になっているのは想像に難くなかった。
「大丈夫……お母さんありがとう。続きは私が教えるわ」
「はいはい。あ、お肉は凍らせておいてね。明日使うから」
「はーい」
モーフは、マドゥとして、非凡だが何事もない日常を提供するのもそろそろ成れてきた頃だ。日常会話も比較的自然なものに落ち着いてきていた。
それはスフィを相手にしている時も同様で、言語を使ったコミュニケーションの楽さを実感する。
本日の特別授業の最後に、生き物を消化しながら解析したモーフにしか解らない情報……即ち、肉体組織の基礎と生成する時のコツという、この世にまだ存在しない情報をスフィに叩き込んで、今日という日を終えた。
翌日、スフィが寝過ごした。
スフィに合わせて動いていたモーフは、みすみすスフィと寝坊してしまう。
空を移動しながらスフィはひたすら謝罪を重ねる。
「すみません」
「私は授業は後からだから良いんだけど、スフィは駄目ね。きっと、昨日疲れちゃったのよ」
人間の子供の体力の程が判らないモーフには、朝起きて、授業を受けて、更に帰ってからの授業、そこから神経を使って解体……といった行程が如何にハードなのか察することが出来なかった。
次からは注意しようと心に留め、学校にまで送り届ける。
校舎まで走って行くスフィを見送りつつ、自身は歩いて職員室へと向かう。
今日はスフィを引き取ってから初めての授業だ。
出していた宿題の事もあるので、気合が入る。
押戸を開いて職員室へ。
部屋は初日に見た学生達の利用する教室と広さは変わらないが、デスクの並び方が違うのと、それが学生の使っているものよりも大きく、使いやすそうな印象を受ける。
壁際は閉じている大窓が並び、日光を取り入れるべくカーテンが開放されていた。
これがモーフにとって初めての職場だ。
「お、マドゥ先生待ってましたよ」
「おはようございます」
挨拶をしたのはブラウンカラーの短髪でタレ目の男性教師。マドゥの事を知っているようだった。
「早々に遅刻とは流石ですね」
「え? 私の授業はもう少し先では?」
「……あー、失礼。こういうのは早く来ておいて授業対策するものなんですよ」
「ほうほう。それはどうもありがとうございます。知りませんでした」
知らなかった常識を一つメモに加える。
「そっちにあるデスクがマドゥ先生のデスクです。書類も増えてくるので、次からは鞄を持って来ることをおすすめします」
「ありがとうございます。ところで貴方は……」
「ビリムです。主に1年の座学を教えています……本当は授業が始まる前に自己紹介するつもりだったのですが、マドゥ先生が遅れてきてしまったので、それは叶いませんでした」
「それは申し訳ありませんでした」
少々厭味ったらしく言うビリムに謝罪をして席に着く。
デスクの引き出しを漁るも、何もない。
「備品は部屋の後ろに色々あるので、それで適当にデスクを使いやすくして下さい。必要書類も同じく後ろにあるので、そちらから」
「どうもー」
インクペンを借り、必要そうな書類を漁る。
だがモーフに必要そうなのは、生徒達の個人情報が書かれているファイルと、時間割、そして授業予定とその報告書くらいだった。
他にも数々の書類はあるが、どれも専門教師として来ているモーフには無用のものだ。
早速デスクを持て余すことになるが、ともあれ生徒達の情報に目を通してゆく。
一通りファイルを見て分かったのは、学園に来ている人物に少々偏りがあるくらいだった。
特にグレイと、そこで働いている使用人達が多めという程度だが、それでも絶対人数の割には多い。
恐らく噴水のせいだと当たりをつける。あれが魔力循環器として働いているのだ。
しかし、やはりというべきか、ひと通り見ても気になるのは2人だった。
スフィとグレイ = グランツだ。
スフィはもう知っているので、グレイの情報に目を通す。
グランツ辺境伯の第3子にして、辺境伯の子の間で2人目の魔法使い。
5歳の頃から火と水の魔法を扱え、入学して直ぐに空間魔法も扱えるようになった逸材。
年齢の離れた兄は中央で魔法の研鑽をしている。
火属性魔法に強い思い入れがあるのか、火をコントロールすることに余念がない。
追記:優秀と同時に扱いが難しいので注意
ここから解る事は、グレイがグランツ家というだけで面倒くさいという事と、ただ魔力を扱っているだけではなくセンスもあるという事。
そしてこれはモーフ個人の感想だが、人間を知れば知るほど、道具と魔法を使えるだけの獣なのだという印象を持った。
言ってしまえば、親の七光りであろうがグレイは群れのボスの子だ。それが実際に能力が高くて威張り散らしているだけ……何もおかしなところはない。
モーフは、ふと湿地を懐かしく思い、後で分裂体を通わせて記憶共有を図る事に決めた。
「それにしても魔法を使える才能って、それだけでビッグチャンスなんですね。貴族とかは判りますけど、スフィみたいな住む場所が無い子から貧困層から、こんなところで勉強させてもらえて、魔法の伸びようによっては出世できるんですから」
「そうですね……ですが、マドゥ先生だって覚えてないだけでそうなんですよ。サンディア先生から聞きましたよ。炎と雷使いこなす猿が居るって」
「猿……」
ビリムは自分のデスクで書類をバリバリと書き上げながら、サラリと暴言を吐く。
これは、モーフの知らぬ過去のマドゥの事だ。
「……サンディア先生は覚えてない私を見てどう思ったでしょうね」
「酒でも飲み交わしてお聞きになるのが一番だと思いますよ」
ビリムはニマと悪そうな笑みを浮かべる。
それの意味するところとは、マドゥは酒に弱いということなのだが、モーフはこれが分からない。
「何か?」
「いえ、何も……歓迎会ついでに、今日早速飲みに行きませんか?」
「スフィも居ますけど構いませんか?」
「良いですよ」
またビリムの顔が小悪そうな笑みを浮かべる。何かしょうもない事を考えているに違いと思えた。




