かっこよかったぜ
最終話です。
夜の帳が下りたロゼッティ家の門前。 その少し離れた暗がりに、テオは息を潜めて立っていた。
ガス灯の淡い光の下に、一台の馬車が停まっている。
そこには、ふたりの人影があった。
マリエルと、その送り迎えに出たらしい長身の男——アルバート・グレイストン。
「影の契約」の核。お嬢さまを縛り付ける呪いの元凶。
テオは暗闇の中で両手を胸の前に合わせ、ゆっくりと呪殺の印を結んだ。
周囲の雑音を消し去り、意識を一点に先鋭化させる。
標的はグレイストン伯爵ただ一人。
術を確実に届かせるため、テオは「影踏みの術」の総仕上げとして、男の姿をじっくりと観察した。
冷酷な野心家。親族を蹴落として当主の座を奪い、ロゼッティ家の財産を狙う悪逆の徒。
そんな数々の悪評が、テオの頭の中を巡る。
——だが。
マリエルと向かい合うアルバートは、どこかひどく居心地が悪そうにしかめ面を作っていた。
マリエルがにこにこと何かを語りかけると、アルバートは一瞬どうしていいかわからないような顔になり、慌てて視線を逸らして気恥ずかしそうに咳払いをする。
懐中時計を取り出そうとして手元を狂わせ、情けない顔で掴み直す姿まで見えた。
テオの指先が、ぴたりと止まる。
……何かが、噛み合わない。
違和感の正体はわからない。
ただ、目の前の光景が、自分の思い描いていた「恐ろしい呪縛」の図とどうしても重ならない。
(いや、違う。あれは精神干渉だ。お嬢さまは操られているんだ)
迷いを振り払うよに頭を振り、印を結んだ手に力を籠める。
そう、もう時間がない。
儀式が完成する前に、すべての元凶を始末しなければ。
お嬢さまを救うため。
あの、悪辣な伯爵の命を奪う。
そう、あの——あの、微笑むマリエルさまの、視線の先の……。
手が、動かなかった。
理由などわからない。ただ、どうしても、印を結んだ手が、それ以上……。
「……何やってんだ、お前」
背後から掛けられた低い声に、テオはハッと振り返った。
「師匠!」
そこには、重そうな革鞄を肩に掛けたダリオが立っていた。
視線が、なぜが気まずそうに逸らされている。
「撤退経路を確保してたんじゃ……!」
「あー……まあ、ちょっとな」
ダリオは何かごまかすように小さく呟き、テオの視線の先——街灯の下に立つグレイストン伯爵たちに目をやった。
「で、どうしたんだ?」
「おれ……」
テオは言葉に詰まる。
マリエルさま、マリエルさまが、危ないのに……。
テオが、やっつけないと、いけないのに……。
「おれ、おれ、手が……。やらなきゃ、いけないのに……」
懺悔するかのように、ぽつり、ぽつりと告白する。
うつむくテオを見下ろし、ダリオは短く息を吐いた。
「お前、お嬢さまにそうしてほしいって頼まれたのか?」
その声は軽く、けれど真っ直ぐに落ちてきた。
テオの目が僅かに見開かれる。
いつかの、母の声が胸の奥を掠めた気がした。
『お嬢さまの気持ちになって考えな』
テオは唇を強く結んだまま、何も答えられなかった。
ダリオはやれやれと首を振り、口を開く。
「暗殺とかじゃなくてよ、正面から突き付けてやったらいいんじゃないか。」
そう言って、ダリオは紙束を差し出した。
それは細かい文様で飾られ、難解な文字がびっしりとつづられた——。
「呪符!」
「じゅふ? ああ、呪符、そうそう、呪符。」
ダリオは肩に掛けていた鞄を軽く揺すり、もう一つ、ずしりとした袋を放った。
「こっちも持ってけ。持参金だ」
受け止めたテオの腕が、わずかに沈む。
「なんで……何者かにアジトから持ち去られたんじゃ……」
「ああ、ピエトが持ち出してた。まぁ、それをな、ちょいちょい、といただいて……」
「さすがは師匠! 『魂の遠隔摘出術』の極意ですね……!」
「あぁ、うん、そうそう。そゆこと。」
紙束を受け取ると、テオはそれを見つめた。
――これで、止められる。
伯爵に正体が知られれば、ただでは済まない。 それでも。
意を決して、顔を上げる。
「行ってきます! 師匠!」
「おう、行ってこい。」
背を押す声に、テオはふたりの前へ踏み出した。
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「マリエルさまっ!」
ふたりの前に、テオが勢いよく飛び出すと、マリエルは目を丸くした。
「テオ? どうしたの、急に……」
約三週間ぶりに見るテオの姿に、マリエルは困惑しているようだった。グレイストン伯爵もしかめ面でこちらを見ている。
テオはまっすぐに進み出ると、抱えていた紙束とずしりとした袋を、ふたりの前にドサッと置いた。
「お嬢さま、もう大丈夫です!」
テオは力強く宣言した。
「これが、シモンたちが隠し持っていた『呪符』です。そしてこっちが、契約を維持するための『供物』。すべて取り返してきました!」
「シモンたちの……?」
テオの突然の暴露に、二人とも戸惑っているように見えたが、「シモン」という言葉に反応して、マリエルが手を伸ばす。
紙束を繰るマリエルの様子を窺って、グレイストン伯爵も手を伸ばした。
グレイストン伯爵の視線が、文字の上を滑っていく。
その顔からさっと血の気が引き、紙を持つ手がわずかに震えた。
「これは……「陽だまりの家」の帳簿か……? 数字が……シモンの説明と違う……」
しばらく何かつぶやきながら読み込んでいたようだが、やがて、ぐっと目頭を押さえて、口を噤んだ。
(効いてる……!)
長い沈黙を経て、大きく、重い息を吐き出すと、どこを見るでもなく、ぽつりとこぼした。
「……もっと、追及していればよかった。」
誰に向けられた言葉なのか、テオにはわからなかった。
続いて、グレイストン伯爵は袋の口を開け、中に入った膨大な金の束を確認すると、項垂れるように嘆息した。
テオは、喉が熱くなった。
――さあ、これで終わる。呪縛は解け、マリエルさまは自由になるのだ。
「テオ、ありがとう」
ふいに、花がほころぶような明るい声が響いた。
見ると、マリエルが満面の笑みを浮かべていた。不安がすっかり晴れた、心からの安堵の表情だった。
(はい、マリエルさま、おれ、やりました……!)
頭の中にあふれる情景。
昼下がりのお屋敷。荷運びをしていると、軽やかな声がかかる。
『テオ、今日もがんばっているわね。』
マリエルさまの優しい微笑み。
そんな日常が、帰ってくるーー!
「これで、安心して結婚できるわ」
――え?
「…………安心して、結婚……?」
掠れた声でくり返すが、言葉の意味が入ってこない。
呆然と立ち尽くすテオに向かって、グレイストン伯爵が深く頭を下げた。
「助かった」
短く、だがまっすぐな声だった。
――頭を、下げている。
テオは呆然とその姿を見つめた。
冷酷な悪党なら、こんな顔をするだろうか。
呪いでお嬢さまを縛るような男が、こんな声で礼を言うだろうか。
何も、わからなくなる。
頭を上げたグレイストン伯爵は、隣のマリエルを見た。
その横顔には、苦い悔恨が滲んでいた。
「情けない……あなたは、あれほど忠告してくれていたというのに……。
私は、あなたにふさわしくない。」
消え入りそうな声でこぼすグレイストン伯爵に、マリエルはふわりと微笑んだ。
「わたしは、あなたの、人を信じようとなさるところが好きなのです。
足りないところはこれからわたしが支えます。それが、夫婦というものではないですか?」
ふたりの間には、初々しい、しかし、確かな絆が育まれているように見えた。
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テオは、頭の中がしびれたようになって、何も考えられなかった。
頬を染めて微笑むマリエルさま。
しかめっ面を緩めてはにかむグレイストン伯爵。
先ほどまで思い描いていた世界と、目の前の光景がうまくつながらない。
この数週間、胸のうちにみなぎっていたものが、静かにしぼんでいった。
ふたりを見ているのが、なぜだかつらくて、テオは逃げるように踵を返した。
背後で、マリエルの笑い声が小さく聞こえる。
夜風が、妙に冷たかった。
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屋敷を出たテオは、人通りの絶えた路地をひとりあてどなく歩いていた。
どこをどう歩いたのか、自分でもよくわからなかった。
気づけば、屋敷の灯りは遠く後ろに消えていた。
夜の冷気が、すとんと落ちた肩を通り抜ける。
テオの頼りない足音だけが、石畳に跳ねては消えていった。
マリエルさまの笑顔、伯爵とシモンの密談、アジトでの潜入工作。そして、先ほどのふたりの様子。
唇をかみしめていないと、何かがあふれてしまいそうだった。
「よぉ、テオ、どうした? そんなしょげちまって。」
ふと視線を向けると、ダリオが街灯の下、壁に背を預けて佇んでいた。
「あ……師匠。」
掠れた声に、師は少し目を見開いて、苦笑した。「しょうがねぇな」というように。
それを見た途端、テオは抑えていたものがこみ上がって、そのまま吐き出してしまった。
「……おれがやってたことって、よけいだったんでしょうか……。」
はっきり口に出した途端、鼻の奥がツンとしてくる。
そんなテオを、ダリオはいつもの様子で笑い飛ばした。
「ははっ、なぁに落ち込んでんだ。おまえ、ちゃんと守れたじゃないか、お嬢さまのこと。」
軽い音を立てて肩が叩かれる。
「かっこよかったぜ、テオ。さすがは俺の一番弟子。」
「……でも、おれは……"暗殺"を実践できる覚悟がありませんでした……」
一瞬、ダリオは虚空を見上げて小さくつぶやく。
「……そういやそういうことになってたな」
「え?」
「いやなんでもない」
ダリオは視線を戻すと、静かなまなざしで、テオに言った。
「それでいいよ。おまえに向いてなかっただけだ。おまえは、"暗殺"しなくったって、解決できただろ。」
「師匠……」
『ありがとう、テオ』
先ほどの、マリエルさまの笑顔を思い出す。
朗らかな、憂いのない笑顔。テオが、守りたかった笑顔。
しぼんでしまった心の中に、ふたたび、ぽっと暖かな明かりが灯った。
テオは、顔を上げると、大きく息を吸い込んで宣言した。
「……はい! 守れました! ありがとうございました!!」
ダリオはそれを見て目を細めると、ひょいっと手を挙げた。
「じゃ、元気でな」
「また明日」とでも言うような軽さで別れを告げると、大きなカバンを担ぎ、夜の暗闇に消えていく。
テオもまた、街灯の明かりの下を、足を止めることなく進んでいった。
おわり
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【エピローグ(あるいはおまけ)】
一連の騒動からひと月。
ロゼッティ家を狙った詐欺事件の顛末は、あっという間に裏社会と街の噂を駆け巡った。
アーク商会に偽の振替受領証を持ち込んだ男が、その場で衛兵に突き出され、領主の元に届いた「裏帳簿」によって、一味の余罪が明るみに出た、とか。
組織の首魁は行方をくらましたものの、彼らの慈善事業を隠れ蓑にした詐欺計画は完全に潰え去った、とか。
その一味に狙われたグレイストン伯爵は、無事にロゼッティ家の持参金を取り戻し、先日、マリエル嬢との結婚式が盛大に執り行われた、とか。
この恐るべき詐欺事件の全貌を暴いたのは、ロゼッティ家の下働きの少年だという噂が流れたが、「テリー」などという名の下働きはいないらしく、眉唾物とされた。
ただ、ロゼッティ家の住み込みの下働きの一家が、最近、報奨金を与えられて、市内に家を構えたらしい。
グレイストン伯爵の市民権拡充事業とも関係しているそうだが、そこまで結びつける者はあまりいなかった。
そんな噂から遠く離れた街の安宿。
ダリオは、詐欺師たちからくすねた金で、気ままな放浪生活を送っていた。
最近は、滞在先の宿屋にこもって流行の小説を読むのがお気に入りである。
そんな暮らしをしていたある日、部屋のドアがノックされた。
コンッ、コンッ。
「ダリオさんのお部屋で間違いないですか? 預かりもので~す。」
「は? 俺に?」
使い走りらしき少年が、小さな包みを差し出してくる。
「確かにお渡ししましたんで。では~。」
それだけ言うと、さっさと去っていく。
訝し気に包みを開けると、そこには精巧な木彫りのしおりとメッセージカード。
「……テオ? お礼の品? …………なんでここ知ってんだよ……こわ……」
そろそろとしおりを本に挟むと、誂えたようにぴたりと収まった。
「…………。まぁ、使うけど……」
ほんとにおわり
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
ちょっとでも笑ってもらえたらうれしいです。
ついでに、感想もらえたらさらにうれしいです。




