子犬と侮るなかれ
時は遡って、ベルが朝食を平らげる少し前。冒険者ギルドに面したこの町一番の大きな通りで、とある冒険者グループと一匹の魔物が戦闘を繰り広げていた。
「おいアロルド!どうすんだよ!」
「なんだよこいつ!死にかけてなんかねえ、話が違うじゃねえかっ」
「うるさいうるさいっ!黙って足の一本でも切り落とせっ!」
戦闘を繰り広げていた、というのは語弊があるかもしれない。
なぜなら相手の魔物は威嚇したような姿勢のまま微動だにしていないからだ。目も開いたばかりと思しき幼さだが、どんな剣技もその皮膚を通さずに弾かれる。
戦士風の男二人から怒号が飛ぶが、アロルドと呼ばれた魔術師もそれに返す余裕などなかった。愛用の大杖を握る両手にとどまらず、頬からも滴るほどの汗を流しながら幾度も何種類もの魔法を施行する。
(くそ、くそ!なんでだ、どうして通用しない…っ!)
発動はしている。だがそのどれもが一切通っていないようだった。自身がこれまで何十何百と成功してきた魔法のどれもが当たらずに直前に弾かれ、阻まれ。まるで見えない壁が立ち塞がっているかのような錯覚を覚える。
「ど、どうするんだよ…もう結界も全部剥がれそうなのに…」
後ろで怯えた声を出す仲間の結界師に舌打ちをしたいのを堪えて精神支配の魔法を発動するが、またも同じ結果に終わる。
どうするなんてこっちが聞きたい。
発案者は自分だが同意したてめえらも同罪だと、そう吐き捨てるより先にまた詠唱を始めたのは現実逃避に他ならなかった。
(だって誰が考えるんだ?あんなみすぼらしい格好の亜人の、しかもガキが!たった一人で捕まえた獣一匹俺達が奪えないなんて…!)
アロルド率いる冒険者グループ<アロンの杖>はこのあたりでは名の知れたグループだ。
ランクは高くなく、依頼を受けるのも最低限のためギルドにはあまり顔を出さない。他のグループと交流を持つようなこともない。
それなのになぜ有名かといえば、いわゆる裏稼業───犯罪に手を染めている人間の集まりだからである。証拠はなく、時折あっても金とコネでもみ消され捕まらず野放しにされているのだった。
(くそっ…いつも通り簡単に済むはずだったのに…!)
魔物や亜人、時には人をも捕らえては売り払う。買い手は専らルーヴァの貴族連中で、慰み用に観賞用にと欲しがる物好きは片手では足りないほどだ。
精神操作系の魔法が自身の得意分野であるのに加え、他の3人も良心など持ち合わせていない根っからの悪党だ。技量も高い。だから仕事が失敗したことなど、ここ十年の間は一度もない。
一度もなかったのに。
「畜生、なんでだよ!図体だけの犬っころじゃねえか、昨日は死にかけたような有様だったろうが…!」
だから手を出したのに。子牛ほどの体躯であっても満身創痍、契約を断ち切り荷車に詰めちまえばどうにでもなると読んだのに。
ウゥ、と精いっぱい低く唸る様が苛立たしい。仲間の狼狽える様が腹立たしい。
「どうすんだよアロルド!」
「もう諦めて逃げようや!」
「そうだ、ギルドマスターとあの亜人が戻る前に──」
「その選択肢はもう使えないな」
「…っ!?」
自分の荒い呼吸音と心音の占める中、真っすぐ届く高い声。そこに僅かに含まれる不機嫌な色に冷や汗がどっと噴き出た。
振り返ることは出来なかったが発した人物が誰かは本能的に理解する。
「…は。そんな羽虫程度の魔力量で契約を断とうと?笑わせる」
理屈ではなかった。昨日の夜、扉が開かれた瞬間感じた畏怖は勘違いや酔いのせいでは無かったのだ。
「投降しないなら殺す。選べよ、人間」