おとぎ話の始まり(10)
2019.03.25 更新:2/2
陽が昇り、お母様と共に野営地へ戻ると、グレンやセリーナたちは起き上がっていた。身支度を整え、朝食の準備をしているようである。
「あ、何処に行ってたんだよ。心配したんだぞ」
「えへへ、ごめんなさい」
「次からはちゃんと誰かに声を掛けろよ」
「はーい!」
グレンはちらりとお母様へ視線を送ったが、何をしていたのかまでは聞いてこなかった。それをありがたく思いながら、私も彼らの輪の中へ加わる。
お母様と姉妹たちも獲物を取りに出掛け、ちょうどグレンたちの食事が始まる頃、仕留めた獲物を傍らで食べ始めた。昨晩と同じく顔色は悪く引きつっていたけれど、いつも通りに、平穏に時間は流れた。
でも、それも、すぐ終わってしまう。
食事が終わり、一休みしたら、森を出る予定らしい。
農村に立ち寄って帰りの旅支度を整え、そして森へ入り、草原の町を目指すそうだ。
お母様たちは、この辺りに縄張りを持つ、群れのハーピー。
私は、彼女たちの群れを抜け、人間と共に生きる事を選んだ。
いつまでも、あったかくて、ふわふわした時間は、続かない。もう、お互いがいる場所に、戻らないと。
それは、お母様も、三羽の姉妹も知っている事だ。昨晩までは元気だった、特に四の妹は、物静かに落ち込んでいるように見えた。
太陽は高く上り、朝方の白い眩さは無くなった。
野営地は綺麗に撤去され、荷物は綺麗にまとめられ、身支度も整った。
いつでも、出発できる状態となった。
もう、帰らないと。
みんなそれに気付いているのに、何故か言葉少なく、出発を切り出さない。ぎこちない沈黙が、私たちの周囲を包んでいた。
「あ、あの、やっぱりもっと滞在するのは……」
意を決したように、セリーナが口を開く。けれど、私はそれに首を振った。
そもそもここは、お母様の縄張り。よそ者の私たちが、そんなに長い間、居座っているわけにもいかない。本当なら、片隅にいる事すら許されないのだから。
一晩という約束で――もう、じゅうぶんなのだ。
「グレンたちの道具とか、食料とかも、少ないもんね。私の冒険は、もう、この辺りで満足だよ」
「リアさん……」
「みんなに、また会えた。それだけで、とっても嬉しい」
いつまでも灰色の羽根が抜けない愚図な私を、守り続けてくれた家族に。
純白の羽根になって、翼も身体も大きくなった事を伝えられたのだ。
だから、もう、満足だ。
お母様は、静かに瞼を下ろす。その側にいる鳶色の一の姉様は、寂しそうに微笑み、金色の三の妹は俯く。桃色の四の妹は……誰が見ても分かるくらいに項垂れ、ふるふると肩を震わせていた。
「……娘に会わせてくれた事は、感謝する。だが、受け入れるのは今回限りだ。私達にあまり干渉しようとするな、次にやって来ても私が姿を現すとは限らない」
毅然とした女王の言葉に、冒険者は皆、静かに言葉を噤む。唯一、グレンが眉を吊り上げ、お母様に詰め寄ろうとしていたが、それを私は押しとどめる。
「私は群れを離れた身だから。当然のこと」
「でもよ……」
「会えただけで、じゅうぶん。これが、私たちの約束なの」
人には人の掟があるように、魔物にだって魔物の掟がある。
私だって、それに習わなければならないのだ。
「会えて良かった、お母様。一の姉様も、三の妹も、四の妹も」
お母様は、しばらくの間、口を閉ざしていた。やがて小さく呼気を漏らすと、不意にグレンへ鋭い眼差しを向けた。
「……そこの冒険者。グレン、と言ったか」
「あ、ああ」
「二の娘……いやリアは、今後、お前に任せる。けして傷つけないと誓った、昨晩のあの言葉、必ず果たせ」
グレンの表情が、驚きに染まる。
昨晩、お母様と何かあったのだろうか。セリーナたちを思わず見たが、彼女たちも知らないようで、顔を見合わせている。
「もしも反故にし、リアを傷つけた場合には、私は群れを率いてお前達の住み処を必ず襲う。だが、もしもリアを大切にするのなら……」
お母様は一呼吸を置き、穏やかな声音に変える。
「助けが必要になった時、協力しても良い」
「お母様!」
私はたまらず、お母様のもとへ駆け寄る。真紅の翼に抱き着けば、お母様の優しい微笑みがそっと向けられた。
「……そうならないよう、気を付けるさ」
「ほう……?」
「あんたの力を借りなければならない事態が、起きないように」
グレンとお母様は、少しの間、互いに見つめ合う。火花が散るような鋭い眼差しではあったけれど……仲良くなったと、思ってもいいだろうか。
「~~~~ッ二のねえざまァァァアアアア!」
――唐突に響き渡った、涙声。
顔を伏せ、肩を震わせていた、四の妹である。
勢いよく顔を上げた彼女の顔は、ぐっしゃぐしゃに濡れて真っ赤に染まっていた。四の妹はそのまま私のもとへやって来て、ガバッと勢いよくしがみついた。
「一緒にいようよ~~! 天敵なんがじゃなくて、私だぢのどころにいようよ~~!」
ピイピイと、雛鳥みたいに泣き出してしまった。
落ち込んでいるように見えたが、どうやらずっと泣くのを我慢していたらしい。もしかして、私が群れを離れてから、本当はずっとそう思っていたのだろうか。
可愛い、可愛い、四の妹。まったく、お前は。
泣きじゃくる姿に、私の方まで釣られて泣いてしまいそうになるが、二番目の姉としてぐっと堪える。
「嬉しいよ、ありがとうね。そう思ってくれて」
「グズ……ッルウウウ」
「でもね、もう決めたんだ」
灰色の羽根を脱ぎ捨てた瞬間から、もう、心は決まっていた。
私は、グレンたちのところで暮らす。自然には戻らず、人間たちのもとで、ずっと暮らすのだ。
「四の妹にとって、人間は天敵。間違いじゃないよ、それが正しい」
「ならぁ……」
「でも私にとっては違うの。違ったの」
四の妹は、ぶんぶんと頭を振る。分からない、分からないよ、と何度もぐずる彼女に、私は小さく笑う。
「四の妹は、お母様を守ってね。それでいつか、今よりも立派になって、群れを率いる女王になってね。私は、私で頑張って、人間のところで暮らしていくから。大丈夫。四の妹も、一の姉様も、三の妹も、私も、お母様の娘だもの!」
白い翼で、四の妹の桃色の頭を撫でる。肩を震わせてしゃくり上げているが、物分かりのいい子だ。本当は、一緒に暮らせない事くらい分かっている。それでも引き留めてくれた事を、とても嬉しく思う。
視界の片隅に佇み、私と四の妹を見守るグレンたちは、こっそりとまなじりを拭っている。中には、顔を背け、鼻を啜っている人もいた。私も釣られて、小さく鼻を鳴らす。
「ほら、最近は縄張りの見回りだってしているんでしょ? 泣いてないで、笑って見送って」
「――その通りだ。おいで、四の娘」
お母様が厳格な声で呼ぶ。四の妹は小さく頷くと、ぐしゃぐしゃの顔を翼で拭いながら、お母様のもとへと戻っていった。
「二の娘は、リアという名を持ち、人間の住み処に受け入れられた。見送った私達が出来るのは、リアのこれからを願うだけだ。そうだろう?」
お母様は三羽の姉妹にそう言い聞かせ、私へと眼差しを向けた。
「お前が選んだ場所で、しっかりとおやり。お前はもう、雛ではなく、私を超える立派な大人なんだから」
「――うん!」
私は大きく頷き、翼を寄せ合う三羽の姉妹のもとへ近付く。
鳶色の一の姉様。金色の三の妹。桃色の四の妹。私の自慢の、綺麗な姉妹たち。
「私、人間の住み処で頑張るから。みんなも、頑張ってね」
「ああ……二の妹もな」
「怪我なんて、しては駄目よ。二の姉様」
「グス……ッルゥゥウ!」
ぎゅっと彼女たちと抱きしめ合い、そして、お母様ともお別れの挨拶をする。
「お母様、行ってきます」
「ああ……お前が向かいたい場所へ行けるよう、願っているよ」
「――リア、そろそろ、出発だ」
「うん!」
グレンたちの隣へ並び、共に歩き始める。翼を振り続ける私に、お母様たちも翼を振ってくれた。四の妹なんか、羽根が抜けちゃうんじゃないかというくらい、ぶんぶんと振り回してくれた。
彼女たちとの距離は次第に離れていき、その姿もどんどん小さくなる。懐かしい声も、うっすらと、遠く響く。きっともう、その声を聞く事はないのだろうと、心の何処かで思った。
寂しくないと言ったら、やはり嘘になるけれど――でも、不思議と、名残惜しさはない。
だって、みんな私の自慢の家族だから、心配なんかまったくないのだ。
私はひとしきり翼を振った後、背中を向け、振り返る事なくしっかりと前へ進んだ。
故郷の森を抜けた時、吹き付けた風は、グレンたちと一緒にいる事を決めたあの日のように、私を押した。
「リアちゃんの家族を探しに来たのに、不思議な体験したわね」
「ああ。まさか、人間の言葉をあんなに話すハーピーが、リアちゃん以外にもいるとはな」
農村の近くで、道程の確認がてら休憩を取っている間、そんな言葉が交わされていた。
魔物と戦う事の多い冒険者にとっても、不思議な体験だった事だろう。私の自慢の家族が、どんな素敵で、どんなに綺麗な羽根を持っているのか、覚えてもらえるならこんなに嬉しい事はない。
「リア」
傍らに、グレンがやって来る。彼は隣に腰を下ろすと、少し眉を下げ気味にしながら呟いた。
「寂しく、ないか」
「ル? どうしてそんな事を聞くの」
「いや、だってさ……」
グレンは心配性だなあ。私はもう、ちゃんとお別れしたんだから。群れを抜ける時に、そして、ついさっきにも。
私の気持ちも――お母様や姉妹たちに、ちゃんと伝わっている。
心配する事は、何もない。
「私はグレンやセリーナたちのところで暮らすの。そう決めたんだから、変えたりしないよ。みんな元気で暮らしていた……それが分かって、じゅうぶん」
「……そうか」
グレンのごつごつした顔に、ようやくいつもの笑顔が戻った。私の頭をわしわしと撫でる手のひらも、いつも通りに、力強く温かかった。
お母様とは違うけど、グレンの手も、安心する。だからきっと、寂しさをそんなに感じないでいられるのだ。
「――おい、ところで、グレンや?」
「おめえ、昨日の夜、あの赤いハーピーと何かあったのかァァァ……?」
いつの間にか集まっていた冒険者たちが、グレンの背後にずらりと並んでいた。
睥睨するような威圧感の滲む微笑みに、グレンの広い肩がぎくりと飛び跳ねた。
「何かあったって言われても、ちょっと話しただけだ」
「てめッこの野郎! 俺らが寝ている間に!」
「見張りを俺らにさせといて! この野郎!」
「お前らが想像するような事は何一つないっつうの! 釘を刺されただけだし、それどころか殺されるかと思ったわい!」
「答えになってねえ……ッどんな事をされたんだ! ええ?! 吐けこんにゃろう!」
半ば引きずられるような恰好でグレンは連行されていく。それと入れ替わるように、私の隣に、セリーナがやって来た。
「結局、凶鳥と呼ばれたハーピーは、リアさんのお母様の事だったんでしょうか」
「……うん。そうみたい」
「そうですか……魔物と人の間にあるものは、複雑ですね」
「うん」
「でも……真紅の羽根が綺麗な、素敵なお母様でしたね。三羽の姉妹も、皆さん」
柔らかな声で告げたセリーナに、私は大きく頷き、満面の笑みを咲かせた。
群れを率いる、立派な女王。世界で一番尊敬する、お母様。
けれど、そんなあの人にも、“変えたい”と思う事があった。
――あの時、置き去りにするしかなかった想いの正体を、ようやく、ようやく知った。
学者と呼ばれる人間と交流を持ち、人間の知識を学び、その学者と親しい関係になり。
けれど、それで何かが変わる事もなく、何かへと結び付く事もなく、結局は凶鳥と呼ばれる魔物として恐れられた。
その事を、私だけは忘れないよう、ずっと覚えていよう。魔物と人間、天敵同士にしかなれなかったその関係を、踏み越えていこうとするのだから。
私はこれから先、もっと色んな事を知るべきだ。人間の事も、魔物の事も。楽しい事だけじゃなくて、辛い事も全部、知っていかなければ。
きっと、大丈夫だ。お母様には、一番覚えるのが早くて筋が良いって言われたんだから。
二度目のお別れをしたこの日、私は二度目の決意を胸に宿した。女王の二番目の娘として、恥ずかしくない立派なハーピーになろう、と。
◆◇◆
天敵の人間達に囲まれて、二の娘――リアは去っていった。
終始、彼女は楽しそうに笑っていた。群れにいた頃よりも、ずっと朗らかに、枷が無くなったように自由に。灰色の雛の頃、ついぞ見られなかったその微笑みに、私は喜びと衝撃を受けていた。
人間達に、何かを命令され、蔑まれ、痛めつけられた様子は欠片も無く、まるで対等な間柄のように振る舞う。あまりにも信じがたいそれが真実であると、私にはまだ受け入れがいものがあった。
一度は、人間と親しくなった。それこそ共に生きるのだろうと、漠然と思うくらいには。
だが結局、何の意味もなく、何か変わる事もなかった。石礫を投げつけられ、悲鳴と罵声を浴びせられ、恐ろしい鳥と呼ばれた。ああ、想像の容易い、ありふれた結末だ。人間と魔物など、所詮はそういう関係だ。
――私は君達、魔物と、新しい関係の可能性を探したいんだ。
馬鹿正直に私の目を真っ直ぐと見つめる、自らを学者だといったあの男は、恐怖ではなく好奇心を向けていた。何年も掛けて人間の言葉を学び、話せるようになったあの時、既に男の目的は果たされたようなものだったのだろうが、それでも男の足は途絶える事なく、私のもとへ訪れた。
単なる好奇心が別の感情に変わっていたのは、男だけではない。きっと、私もそうだったのだろう。
愛してしまったと、馬鹿正直に心の内を明かす男に、私は少なからず悪い気はしなかったのだ。
――女王の雛は、特別な雛。生まれながらに次代の女王となる血統を持ち、やがては群れを率いる長となる。
私が産む雛は、我々の中で特別視されているという事を、その男は知らなかった。
そうだとしても、私は魔物。魔物の血は強く、人間の血が現れる事はない。半分は人間、半分は魔物、そういう事はけっして起こりえない。お前の種をもらっても、生まれ落ちるのは鳥の魔物にしかならない。
そう伝えたのに――構わないと言い放った男は、私よりもよほど度胸があった。
雌しか存在しない私達の種族上、雄は攫ってきて、強引に種を奪うしか方法はない。こんな風に自ら望み捧げてきた男は、かつていただろうか。
私の腹に、次世代の女王の命が宿った事を知ると、男は相も変わらず喜んだ。まるで自らの我が子のように、鳥の魔物の誕生を熱望するようになった。以前にも増して足繁く通い、愚かにも狂喜する男の姿に、私は――何処かで喜んでいたのだ。この日々が続くのだろう、とも。
だが、終わりとは呆気なかった。
明日も必ず来るから――そう告げた男は、私のもとへ辿り着く前に、不慮の事故に遭い、命を落とした。
岩場の下で、仰向けになり、血だらけになった男。その腕には、森では見ない食べ物が抱えられていて、それが私のためであるという事はすぐに分かった。
馬鹿だな、大荷物を抱え、こんな岩場を来ようとするからだ。
血まみれの男を持ち上げ、急いで森の外の人間の村へ向かった。必死に男の身体に縋り、声を掛け、誰かいないかと叫んだ。現れた村人に安堵し、助けてくれと話しかけたのに――与えられたのは石礫と矢じりであった。
助けてくれと、叫んだのに。私を攻撃する暇があれば、早く助けてくれと、何度も叫んだのに。
結局、私は人間の手当を見届ける事も出来ず、また腹に宿った命を守るためにも、その場を離れるしかなかった。だがあの男が姿を見せる事はそれっきり無かったから――間に合わなかったのだろうな。
それが影響したのだろうか、卵を産む時期に入っても、私の身体の中に卵は留まったままであった。あまりにも長い事出ないものだから、私自身だけでなく、群れの仲間も随分と心配していた。
あの男と過ごす奇妙な時間を、私は、自覚する以上に大切にしていたのか。
ならば、必ず無事に、産まないとならないな。あの男が願っていた通りに――。
男の喪失を受け入れた頃、ようやく、四つの卵が産まれた。一つも欠ける事無く、無事に全ての卵が孵り、四羽の可愛い雛が生まれた。
驚いた事に、そのうちの一羽は、まるであの男の血をそっくりそのまま分け与えられたようだった。血肉ではなく木の実を好み、好奇心旺盛で学ぶ事にも意欲的。私のような思いをしないようにと教える人間の言葉も、一番上手に覚えていった。
そして、他の娘が灰色の羽根を脱ぎ捨て大人になっても、その雛だけ、一向に変わらず灰色のまま。
二番目の娘は、他とはかなり違う性質を持っているようだった。
魔物の暮らしに難儀し、一方で学ぶ事と好奇心が強い、可愛い私の雛鳥。
あれが何故、大きくなれなかったのか。血肉を食べられなかったのか。今なら……分かるような気がする。
(やはり私達のもとでは、あの羽根は得られなかったんだな)
精霊の力を授かったという、眩しいほどに澄んだ純白の羽根。あの羽根が、リアの心そのものなのだろう。
あの日の判断は、無駄ではなかった。心を押し殺し、住み処を立ち去る小さすぎる後ろ姿を見送ったあの時の痛みは、けして無駄ではなかったのだ!
無用な争いを起こさないよう、可愛い雛が傷つかないよう、人間の暮らしなども知る限り教えたが……まさか、こんな形で実を結ぶなんて、思っていなかった。
人と魔物。幾つもの時代を経てもきっと変わらないだろう天敵同士が、どう在るべきなのか、どう接するのが正しいのか、女王となり長くなった今もよく分からない。
巣の外へ旅立つというのは、大きな勇気がいるのだ。私にはもう、叶わない。
だが、二の娘が選んだ場所を、進もうとしている道を、阻む理由は何処にもない。
あの子はきっと……――。
「……リア、か。ふふ」
月光花セルネリアなる花の名から付けられたという、二の娘の名前。
まったく、あの冒険者。グレンと言ったか、あれはつくづく、よく似た男だ。
――呼び名がないのは困るな。そんなに美しいのに、君とか一番目の娘とかつまらない。
――私は別に構わない。
――いやいや、もったいないよ。そうだな、空も大地も燃やすような見事な真紅だ……同じ色の花を咲かせる“サンダリアン”から取って、君の名前は……。
ああ、忘れていたよ。そんなやり取りがあった事も。
そんな事だから、私はこうして女王を続けているのだろうな。
「……お前が目指したかったところに、私の娘が行くのかもしれないな」
娘から教わるとは、思いもしなかった。子は知らず内に、大きくなっていくものらしい。
過去の出来事は、私にとって唯一恥ずべき汚点であると思っていた。だが、今ならば、ようやく言える。あの時間は大切で、愛おしい幸福な一時であったのだ、と。
「――ああ、そんな風に過ごせるよう、祈っているよ。リア」
純白の翼を羽ばたかせ、無邪気に微笑む娘の姿が、鮮やかに浮かんだ。
◆◇◆
出発した時と同様、四日間ほど費やし、私たちは無事に帰還を果たした。
広大な草原の中に町の姿に、無意識にほっと安心してしまうほど、私はすっかりこの場所に心を寄せているらしい。
賑やかな通りを進み、冒険者ギルドへと到着すると、顔馴染みのギルド職員や冒険者が早速出迎えてくれた。
「わあー! リアちゃぁぁん!」
「癒しが帰ってきたぞ! むさ苦しさから解放だァァァ!」
わらわらと駆け寄ってくる彼らに、代わる代わるに頭を撫でられ、高い高いされ、抱き上げられグルグル回される。
短くはない間、喧騒とは無縁な場所に身を置いていたから、その騒々しさが全身に響く。騒がしくて、大きな声が聞こえて、あっちこっちから笑い声が飛び交って。
懐かしく、そして、安心する。
私の居場所は、やっぱりここなのだ。
「おい、それで! どうだった!」
「どうだったって、何がだ」
「とぼけんなよ! リアちゃんの里帰り計画はどうなった?!」
「家族は無事に見つけたの?!」
一斉に詰め寄り問い質す居残り組に、グレンたちは顔を見合わせる。そうして、ふっと笑みをこぼすと、鷹揚として頷いた。
「ああ……無事に見つかったぞ」
「お、おお……?!」
「そ、それで、どうだった! リアちゃんの家族は、どんな感じだった?!」
「ええっと……なんだ……すごかった」
「ああ、うん……こう、すごかったな」
「そうね、もう……やばかったわね」
「重要なところが、何一つとして伝わってこねえ……!」
「ねえもうちょっと、もうちょっと詳しく!」
すっかり質問攻めにされているグレンたちだが、その傍らでは、別の熱狂があった。
出掛け前にも異様な空気を滲ませていた、魔物の生態調査員たちである。
「セリーナ、調べてきたんだろうな!」
「はい、群れの女王から、教えてもらえる事の限り。ですが、絵などは描いてません」
「ぎェェエエ! やっぱり行けば良かったー!」
「そこ重要だろー!」
羊皮紙の束を掲げるセリーナの周囲を、一斉にくず折れた調査員たちが取り囲む。
凄まじい落胆ぶりを見せていたものの、セリーナが羊皮紙の束を渡せば、ひったくるように受け取り文字を追う。さっきまでは悲嘆に暮れていたのに、もうニヤニヤと頬を緩めている。彼らの感情の異常なふり幅の大きさは、やっぱり不気味と呼ぶ他ない。
連れていかなくて良かった。
そう思った私を、きっと誰も咎めないだろう。
「リアちゃん、おかえり。初めての冒険は、どうだったかしら」
「ルッ! ダーナ!」
ふわりと頭上から舞い降りたダーナに、私は飛びつく。美しい深緑色の装束に顔を埋めれば、爽やかな緑の香りが鼻を掠めた。
柔らかい慈しみに満ちた彼女の美貌から、微笑みがこぼれる。私の背をそっと撫でる指先はたおやかで、温かい。真紅のお母様とはまた違う温かい抱擁に、冒険の疲れが溶けていくようだ。
「あのね、お母様と姉妹にね、会えたの。今の私を伝えて、これからも町にいるって、ちゃんと言ってきたの」
「そう……良かったわ。無事に戻ってきてくれて、私もとっても嬉しい」
ダーナの唇が、私の頭の天辺に落とされる。
ああ、やっぱり、私の居場所はここだなあ。ここが、一番、安心するもの。
「――ああ、そうそう、リアさん」
騒ぐギルド職員の輪から抜け出し、セリーナが私のもとへやって来る。おもむろに鞄を探ると、その中から何かを取り出し、私へ見せた。
それは、色とりどりの、綺麗な羽根だった。
かっこいい鳶色、きらきらした金色、柔らかい薄桃色に――一回り大きく立派な、真紅の羽根。
懐かしく憶えのある匂いもふわりと漂っている。ああ、それは……。
「もしかしてそれ、リアの家族のやつか?」
グレンが尋ねると、セリーナは頷いた。
「ええ、一緒に過ごした時、野営地に抜け羽根が落ちていたので。念のため聞いてみたら、好きなようにしていいと言って下さったから、持ち帰ってきたんです」
一の姉様の、鳶色の羽根。
三の妹の、金色の羽根。
四の妹の、薄桃色の羽根。
そして、お母様の、大きな真紅の羽根。
そうっと額を寄せれば、みんなが側にいるような、不思議な安らぎを覚えた。
「いつまた会えるか分かりませんし……思い出になるんじゃないかと」
「……そうだな」
グレンは小さく笑い声をこぼし、太い指で真紅の羽根を取る。
「リアが、俺らのところで暮らす事を選んでくれて、その引き換えに手放したものが何なのか。俺らにも、教えてくれる」
「……ええ、そうですね」
セリーナは静かに呟くと、ふと、私の顔を覗き込んだ。
「リアさん。ご家族の羽根、綺麗に保管して、ギルドに飾りましょうね」
「うん! みんなにも見えるところが良い!」
「ふふ、そうですね。それじゃあ、訪れる方達の目がすぐに留まる、うんと目立つところに飾りましょうね」
セリーナが持ち帰った四枚の羽根は、その後、劣化防止などの魔術を組み込んだ特別製の大きな額縁に入れられ、冒険者ギルドのホールに大々的に飾られるようになった。
鳶色の羽根に、金色の羽根。薄桃色の羽根に、真紅の羽根。
色艶の異なる四枚の羽根を、初めて訪れた冒険者や旅人などは、その額縁を不思議そうに見上げるようになる。
「見て、大きな羽根だね。ほら、この赤いのなんかは特に」
「大きな翼を持つ鳥なんだろうな……すごく綺麗だ。なあ、これは、何の魔物だい?」
その問いかけに、私は決まって胸を張り、堂々と答えるのだ。
「――私の、自慢の家族の羽根だよ!」
番外編【おとぎ話の始まり】はこれで終了になります。
お付き合い下さった方々、手に取って下さった方々、ありがとうございました!
本編のラスト【22】に繋がる感じに仕上げています。
この出来事により、リアはより上空からの強襲と偵察の技を磨き、人間の事を学ぼうとし。
グレンも、上のランクを目指すために頑張るのでしょうね。
ファンタジー小説において、人間と魔物は敵同士。それは間違いではなく正しい事ですが、その片隅に彼らのような一人と一羽が居ても良いですよね。
ベタな王道は、やはり書いていて楽しく、安心する。彼らの関係が、本編ラストのように、ささやかな詩で語られる優しいものであるよう親心で思います。
異種間交流系の話も、実によい。
改めまして、お付き合い下さってありがとうございました!




