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灰色のハーピー  作者: 白銀トオル
番外編
33/33

おとぎ話の始まり(10)

2019.03.25 更新:2/2

 陽が昇り、お母様と共に野営地へ戻ると、グレンやセリーナたちは起き上がっていた。身支度を整え、朝食の準備をしているようである。


「あ、何処に行ってたんだよ。心配したんだぞ」

「えへへ、ごめんなさい」

「次からはちゃんと誰かに声を掛けろよ」

「はーい!」


 グレンはちらりとお母様へ視線を送ったが、何をしていたのかまでは聞いてこなかった。それをありがたく思いながら、私も彼らの輪の中へ加わる。

 お母様と姉妹たちも獲物を取りに出掛け、ちょうどグレンたちの食事が始まる頃、仕留めた獲物を傍らで食べ始めた。昨晩と同じく顔色は悪く引きつっていたけれど、いつも通りに、平穏に時間は流れた。


 でも、それも、すぐ終わってしまう。


 食事が終わり、一休みしたら、森を出る予定らしい。

 農村に立ち寄って帰りの旅支度を整え、そして森へ入り、草原の町を目指すそうだ。


 お母様たちは、この辺りに縄張りを持つ、群れのハーピー。

 私は、彼女たちの群れを抜け、人間と共に生きる事を選んだ。

 いつまでも、あったかくて、ふわふわした時間は、続かない。もう、お互いがいる場所に、戻らないと。


 それは、お母様も、三羽の姉妹も知っている事だ。昨晩までは元気だった、特に四の妹は、物静かに落ち込んでいるように見えた。





 太陽は高く上り、朝方の白い眩さは無くなった。

 野営地は綺麗に撤去され、荷物は綺麗にまとめられ、身支度も整った。

 いつでも、出発できる状態となった。


 もう、帰らないと。


 みんなそれに気付いているのに、何故か言葉少なく、出発を切り出さない。ぎこちない沈黙が、私たちの周囲を包んでいた。


「あ、あの、やっぱりもっと滞在するのは……」


 意を決したように、セリーナが口を開く。けれど、私はそれに首を振った。

 そもそもここは、お母様の縄張り。よそ者の私たちが、そんなに長い間、居座っているわけにもいかない。本当なら、片隅にいる事すら許されないのだから。


 一晩という約束で――もう、じゅうぶんなのだ。


「グレンたちの道具とか、食料とかも、少ないもんね。私の冒険は、もう、この辺りで満足だよ」

「リアさん……」

「みんなに、また会えた。それだけで、とっても嬉しい」


 いつまでも灰色の羽根が抜けない愚図な私を、守り続けてくれた家族に。

 純白の羽根になって、翼も身体も大きくなった事を伝えられたのだ。

 だから、もう、満足だ。


 お母様は、静かに瞼を下ろす。その側にいる鳶色の一の姉様は、寂しそうに微笑み、金色の三の妹は俯く。桃色の四の妹は……誰が見ても分かるくらいに項垂れ、ふるふると肩を震わせていた。


「……娘に会わせてくれた事は、感謝する。だが、受け入れるのは今回限りだ。私達にあまり干渉しようとするな、次にやって来ても私が姿を現すとは限らない」


 毅然とした女王の言葉に、冒険者は皆、静かに言葉を噤む。唯一、グレンが眉を吊り上げ、お母様に詰め寄ろうとしていたが、それを私は押しとどめる。


「私は群れを離れた身だから。当然のこと」

「でもよ……」

「会えただけで、じゅうぶん。これが、私たちの約束なの」


 人には人の掟があるように、魔物にだって魔物の掟がある。

 私だって、それに習わなければならないのだ。


「会えて良かった、お母様。一の姉様も、三の妹も、四の妹も」


 お母様は、しばらくの間、口を閉ざしていた。やがて小さく呼気を漏らすと、不意にグレンへ鋭い眼差しを向けた。


「……そこの冒険者。グレン、と言ったか」

「あ、ああ」

「二の娘……いやリアは、今後、お前に任せる。けして傷つけないと誓った、昨晩のあの言葉、必ず果たせ」


 グレンの表情が、驚きに染まる。

 昨晩、お母様と何かあったのだろうか。セリーナたちを思わず見たが、彼女たちも知らないようで、顔を見合わせている。


「もしも反故ほごにし、リアを傷つけた場合には、私は群れを率いてお前達の住み処を必ず襲う。だが、もしもリアを大切にするのなら……」


 お母様は一呼吸を置き、穏やかな声音に変える。


「助けが必要になった時、協力しても良い」

「お母様!」


 私はたまらず、お母様のもとへ駆け寄る。真紅の翼に抱き着けば、お母様の優しい微笑みがそっと向けられた。


「……そうならないよう、気を付けるさ」

「ほう……?」

「あんたの力を借りなければならない事態が、起きないように」


 グレンとお母様は、少しの間、互いに見つめ合う。火花が散るような鋭い眼差しではあったけれど……仲良くなったと、思ってもいいだろうか。



「~~~~ッ二のねえざまァァァアアアア!」



 ――唐突に響き渡った、涙声。

 顔を伏せ、肩を震わせていた、四の妹である。


 勢いよく顔を上げた彼女の顔は、ぐっしゃぐしゃに濡れて真っ赤に染まっていた。四の妹はそのまま私のもとへやって来て、ガバッと勢いよくしがみついた。


「一緒にいようよ~~! 天敵なんがじゃなくて、私だぢのどころにいようよ~~!」


 ピイピイと、雛鳥みたいに泣き出してしまった。

 落ち込んでいるように見えたが、どうやらずっと泣くのを我慢していたらしい。もしかして、私が群れを離れてから、本当はずっとそう思っていたのだろうか。


 可愛い、可愛い、四の妹。まったく、お前は。


 泣きじゃくる姿に、私の方まで釣られて泣いてしまいそうになるが、二番目の姉としてぐっと堪える。


「嬉しいよ、ありがとうね。そう思ってくれて」

「グズ……ッルウウウ」

「でもね、もう決めたんだ」


 灰色の羽根を脱ぎ捨てた瞬間から、もう、心は決まっていた。

 私は、グレンたちのところで暮らす。自然には戻らず、人間たちのもとで、ずっと暮らすのだ。


「四の妹にとって、人間は天敵。間違いじゃないよ、それが正しい」

「ならぁ……」

「でも私にとっては違うの。違ったの」


 四の妹は、ぶんぶんと頭を振る。分からない、分からないよ、と何度もぐずる彼女に、私は小さく笑う。


「四の妹は、お母様を守ってね。それでいつか、今よりも立派になって、群れを率いる女王になってね。私は、私で頑張って、人間のところで暮らしていくから。大丈夫。四の妹も、一の姉様も、三の妹も、私も、お母様の娘だもの!」


 白い翼で、四の妹の桃色の頭を撫でる。肩を震わせてしゃくり上げているが、物分かりのいい子だ。本当は、一緒に暮らせない事くらい分かっている。それでも引き留めてくれた事を、とても嬉しく思う。


 視界の片隅に佇み、私と四の妹を見守るグレンたちは、こっそりとまなじりを拭っている。中には、顔を背け、鼻を啜っている人もいた。私も釣られて、小さく鼻を鳴らす。


「ほら、最近は縄張りの見回りだってしているんでしょ? 泣いてないで、笑って見送って」

「――その通りだ。おいで、四の娘」


 お母様が厳格な声で呼ぶ。四の妹は小さく頷くと、ぐしゃぐしゃの顔を翼で拭いながら、お母様のもとへと戻っていった。


「二の娘は、リアという名を持ち、人間の住み処に受け入れられた。見送った私達が出来るのは、リアのこれからを願うだけだ。そうだろう?」


 お母様は三羽の姉妹にそう言い聞かせ、私へと眼差しを向けた。


「お前が選んだ場所で、しっかりとおやり。お前はもう、雛ではなく、私を超える立派な大人なんだから」

「――うん!」


 私は大きく頷き、翼を寄せ合う三羽の姉妹のもとへ近付く。

 鳶色の一の姉様。金色の三の妹。桃色の四の妹。私の自慢の、綺麗な姉妹たち。


「私、人間の住み処で頑張るから。みんなも、頑張ってね」

「ああ……二の妹もな」

「怪我なんて、しては駄目よ。二の姉様」

「グス……ッルゥゥウ!」


 ぎゅっと彼女たちと抱きしめ合い、そして、お母様ともお別れの挨拶をする。


「お母様、行ってきます」

「ああ……お前が向かいたい場所へ行けるよう、願っているよ」


「――リア、そろそろ、出発だ」

「うん!」


 グレンたちの隣へ並び、共に歩き始める。翼を振り続ける私に、お母様たちも翼を振ってくれた。四の妹なんか、羽根が抜けちゃうんじゃないかというくらい、ぶんぶんと振り回してくれた。


 彼女たちとの距離は次第に離れていき、その姿もどんどん小さくなる。懐かしい声も、うっすらと、遠く響く。きっともう、その声を聞く事はないのだろうと、心の何処かで思った。


 寂しくないと言ったら、やはり嘘になるけれど――でも、不思議と、名残惜しさはない。


 だって、みんな私の自慢の家族だから、心配なんかまったくないのだ。


 私はひとしきり翼を振った後、背中を向け、振り返る事なくしっかりと前へ進んだ。

 故郷の森を抜けた時、吹き付けた風は、グレンたちと一緒にいる事を決めたあの日のように、私を押した。






「リアちゃんの家族を探しに来たのに、不思議な体験したわね」

「ああ。まさか、人間の言葉をあんなに話すハーピーが、リアちゃん以外にもいるとはな」


 農村の近くで、道程の確認がてら休憩を取っている間、そんな言葉が交わされていた。

 魔物と戦う事の多い冒険者にとっても、不思議な体験だった事だろう。私の自慢の家族が、どんな素敵で、どんなに綺麗な羽根を持っているのか、覚えてもらえるならこんなに嬉しい事はない。


「リア」


 傍らに、グレンがやって来る。彼は隣に腰を下ろすと、少し眉を下げ気味にしながら呟いた。


「寂しく、ないか」

「ル? どうしてそんな事を聞くの」

「いや、だってさ……」


 グレンは心配性だなあ。私はもう、ちゃんとお別れしたんだから。群れを抜ける時に、そして、ついさっきにも。

 私の気持ちも――お母様や姉妹たちに、ちゃんと伝わっている。

 心配する事は、何もない。


「私はグレンやセリーナたちのところで暮らすの。そう決めたんだから、変えたりしないよ。みんな元気で暮らしていた……それが分かって、じゅうぶん」

「……そうか」


 グレンのごつごつした顔に、ようやくいつもの笑顔が戻った。私の頭をわしわしと撫でる手のひらも、いつも通りに、力強く温かかった。

 お母様とは違うけど、グレンの手も、安心する。だからきっと、寂しさをそんなに感じないでいられるのだ。


「――おい、ところで、グレンや?」

「おめえ、昨日の夜、あの赤いハーピーと何かあったのかァァァ……?」


 いつの間にか集まっていた冒険者たちが、グレンの背後にずらりと並んでいた。

 睥睨するような威圧感の滲む微笑みに、グレンの広い肩がぎくりと飛び跳ねた。


「何かあったって言われても、ちょっと話しただけだ」

「てめッこの野郎! 俺らが寝ている間に!」

「見張りを俺らにさせといて! この野郎!」

「お前らが想像するような事は何一つないっつうの! 釘を刺されただけだし、それどころか殺されるかと思ったわい!」

「答えになってねえ……ッどんな事をされたんだ! ええ?! 吐けこんにゃろう!」


 半ば引きずられるような恰好でグレンは連行されていく。それと入れ替わるように、私の隣に、セリーナがやって来た。


「結局、凶鳥と呼ばれたハーピーは、リアさんのお母様の事だったんでしょうか」

「……うん。そうみたい」

「そうですか……魔物と人の間にあるものは、複雑ですね」

「うん」

「でも……真紅の羽根が綺麗な、素敵なお母様でしたね。三羽の姉妹も、皆さん」


 柔らかな声で告げたセリーナに、私は大きく頷き、満面の笑みを咲かせた。




 群れを率いる、立派な女王。世界で一番尊敬する、お母様。

 けれど、そんなあの人にも、“変えたい”と思う事があった。



 ――あの時、置き去りにするしかなかった想いの正体を、ようやく、ようやく知った。



 学者と呼ばれる人間と交流を持ち、人間の知識を学び、その学者と親しい関係になり。

 けれど、それで何かが変わる事もなく、何かへと結び付く事もなく、結局は凶鳥と呼ばれる魔物として恐れられた。


 その事を、私だけは忘れないよう、ずっと覚えていよう。魔物と人間、天敵同士にしかなれなかったその関係を、踏み越えていこうとするのだから。


 私はこれから先、もっと色んな事を知るべきだ。人間の事も、魔物の事も。楽しい事だけじゃなくて、辛い事も全部、知っていかなければ。


 きっと、大丈夫だ。お母様には、一番覚えるのが早くて筋が良いって言われたんだから。


 二度目のお別れをしたこの日、私は二度目の決意を胸に宿した。女王の二番目の娘として、恥ずかしくない立派なハーピーになろう、と。



◆◇◆



 天敵の人間達に囲まれて、二の娘――リアは去っていった。

 終始、彼女は楽しそうに笑っていた。群れにいた頃よりも、ずっと朗らかに、枷が無くなったように自由に。灰色の雛の頃、ついぞ見られなかったその微笑みに、私は喜びと衝撃を受けていた。


 人間達に、何かを命令され、蔑まれ、痛めつけられた様子は欠片も無く、まるで対等な間柄のように振る舞う。あまりにも信じがたいそれが真実であると、私にはまだ受け入れがいものがあった。


 一度は、人間と親しくなった。それこそ共に生きるのだろうと、漠然と思うくらいには。

 だが結局、何の意味もなく、何か変わる事もなかった。石礫を投げつけられ、悲鳴と罵声を浴びせられ、恐ろしい鳥と呼ばれた。ああ、想像の容易い、ありふれた結末だ。人間と魔物など、所詮はそういう関係だ。



 ――私は君達、魔物と、新しい関係の可能性を探したいんだ。



 馬鹿正直に私の目を真っ直ぐと見つめる、自らを学者だといったあの男は、恐怖ではなく好奇心を向けていた。何年も掛けて人間の言葉を学び、話せるようになったあの時、既に男の目的は果たされたようなものだったのだろうが、それでも男の足は途絶える事なく、私のもとへ訪れた。


 単なる好奇心が別の感情に変わっていたのは、男だけではない。きっと、私もそうだったのだろう。

 愛してしまったと、馬鹿正直に心の内を明かす男に、私は少なからず悪い気はしなかったのだ。


 ――女王の雛は、特別な雛。生まれながらに次代の女王となる血統を持ち、やがては群れを率いる長となる。


 私が産む雛は、我々の中で特別視されているという事を、その男は知らなかった。

 そうだとしても、私は魔物。魔物の血は強く、人間の血が現れる事はない。半分は人間、半分は魔物、そういう事はけっして起こりえない。お前の種をもらっても、生まれ落ちるのは鳥の魔物にしかならない。

 そう伝えたのに――構わないと言い放った男は、私よりもよほど度胸があった。


 雌しか存在しない私達の種族上、雄は攫ってきて、強引に種を奪うしか方法はない。こんな風に自ら望み捧げてきた男は、かつていただろうか。


 私の腹に、次世代の女王の命が宿った事を知ると、男は相も変わらず喜んだ。まるで自らの我が子のように、鳥の魔物の誕生を熱望するようになった。以前にも増して足繁く通い、愚かにも狂喜する男の姿に、私は――何処かで喜んでいたのだ。この日々が続くのだろう、とも。



 だが、終わりとは呆気なかった。

 明日も必ず来るから――そう告げた男は、私のもとへ辿り着く前に、不慮の事故に遭い、命を落とした。

 岩場の下で、仰向けになり、血だらけになった男。その腕には、森では見ない食べ物が抱えられていて、それが私のためであるという事はすぐに分かった。

 馬鹿だな、大荷物を抱え、こんな岩場を来ようとするからだ。


 血まみれの男を持ち上げ、急いで森の外の人間の村へ向かった。必死に男の身体に縋り、声を掛け、誰かいないかと叫んだ。現れた村人に安堵し、助けてくれと話しかけたのに――与えられたのは石礫と矢じりであった。

 助けてくれと、叫んだのに。私を攻撃する暇があれば、早く助けてくれと、何度も叫んだのに。

 結局、私は人間の手当を見届ける事も出来ず、また腹に宿った命を守るためにも、その場を離れるしかなかった。だがあの男が姿を見せる事はそれっきり無かったから――間に合わなかったのだろうな。



 それが影響したのだろうか、卵を産む時期に入っても、私の身体の中に卵は留まったままであった。あまりにも長い事出ないものだから、私自身だけでなく、群れの仲間も随分と心配していた。


 あの男と過ごす奇妙な時間を、私は、自覚する以上に大切にしていたのか。

 ならば、必ず無事に、産まないとならないな。あの男が願っていた通りに――。


 男の喪失を受け入れた頃、ようやく、四つの卵が産まれた。一つも欠ける事無く、無事に全ての卵が孵り、四羽の可愛い雛が生まれた。



 驚いた事に、そのうちの一羽は、まるであの男の血をそっくりそのまま分け与えられたようだった。血肉ではなく木の実を好み、好奇心旺盛で学ぶ事にも意欲的。私のような思いをしないようにと教える人間の言葉も、一番上手に覚えていった。

 そして、他の娘が灰色の羽根を脱ぎ捨て大人になっても、その雛だけ、一向に変わらず灰色のまま。


 二番目の娘は、他とはかなり違う性質を持っているようだった。



 魔物の暮らしに難儀し、一方で学ぶ事と好奇心が強い、可愛い私の雛鳥。

 あれが何故、大きくなれなかったのか。血肉を食べられなかったのか。今なら……分かるような気がする。


(やはり私達のもとでは、あの羽根は得られなかったんだな)


 精霊の力を授かったという、眩しいほどに澄んだ純白の羽根。あの羽根が、リアの心そのものなのだろう。

 あの日の判断は、無駄ではなかった。心を押し殺し、住み処を立ち去る小さすぎる後ろ姿を見送ったあの時の痛みは、けして無駄ではなかったのだ!


 無用な争いを起こさないよう、可愛い雛が傷つかないよう、人間の暮らしなども知る限り教えたが……まさか、こんな形で実を結ぶなんて、思っていなかった。

 人と魔物。幾つもの時代を経てもきっと変わらないだろう天敵同士が、どう在るべきなのか、どう接するのが正しいのか、女王となり長くなった今もよく分からない。

 巣の外へ旅立つというのは、大きな勇気がいるのだ。私にはもう、叶わない。


 だが、二の娘が選んだ場所を、進もうとしている道を、阻む理由は何処にもない。

 あの子はきっと……――。


「……リア、か。ふふ」


 月光花セルネリアなる花の名から付けられたという、二の娘の名前。

 まったく、あの冒険者。グレンと言ったか、あれはつくづく、よく似た男だ。



 ――呼び名がないのは困るな。そんなに美しいのに、君とか一番目の娘とかつまらない。


 ――私は別に構わない。


 ――いやいや、もったいないよ。そうだな、空も大地も燃やすような見事な真紅だ……同じ色の花を咲かせる“サンダリアン”から取って、君の名前は……。



 ああ、忘れていたよ。そんなやり取りがあった事も。

 そんな事だから、私はこうして女王を続けているのだろうな。


「……お前が目指したかったところに、私の娘が行くのかもしれないな」


 娘から教わるとは、思いもしなかった。子は知らず内に、大きくなっていくものらしい。

 過去の出来事は、私にとって唯一恥ずべき汚点であると思っていた。だが、今ならば、ようやく言える。あの時間は大切で、愛おしい幸福な一時であったのだ、と。


「――ああ、そんな風に過ごせるよう、祈っているよ。リア」


 純白の翼を羽ばたかせ、無邪気に微笑む娘の姿が、鮮やかに浮かんだ。



◆◇◆



 出発した時と同様、四日間ほど費やし、私たちは無事に帰還を果たした。

 広大な草原の中に町の姿に、無意識にほっと安心してしまうほど、私はすっかりこの場所に心を寄せているらしい。


 賑やかな通りを進み、冒険者ギルドへと到着すると、顔馴染みのギルド職員や冒険者が早速出迎えてくれた。


「わあー! リアちゃぁぁん!」

「癒しが帰ってきたぞ! むさ苦しさから解放だァァァ!」


 わらわらと駆け寄ってくる彼らに、代わる代わるに頭を撫でられ、高い高いされ、抱き上げられグルグル回される。


 短くはない間、喧騒とは無縁な場所に身を置いていたから、その騒々しさが全身に響く。騒がしくて、大きな声が聞こえて、あっちこっちから笑い声が飛び交って。

 懐かしく、そして、安心する。

 私の居場所は、やっぱりここなのだ。


「おい、それで! どうだった!」

「どうだったって、何がだ」

「とぼけんなよ! リアちゃんの里帰り計画はどうなった?!」

「家族は無事に見つけたの?!」


 一斉に詰め寄り問い質す居残り組に、グレンたちは顔を見合わせる。そうして、ふっと笑みをこぼすと、鷹揚として頷いた。


「ああ……無事に見つかったぞ」

「お、おお……?!」

「そ、それで、どうだった! リアちゃんの家族は、どんな感じだった?!」

「ええっと……なんだ……すごかった」

「ああ、うん……こう、すごかったな」

「そうね、もう……やばかったわね」

「重要なところが、何一つとして伝わってこねえ……!」

「ねえもうちょっと、もうちょっと詳しく!」


 すっかり質問攻めにされているグレンたちだが、その傍らでは、別の熱狂があった。

 出掛け前にも異様な空気を滲ませていた、魔物の生態調査員たちである。


「セリーナ、調べてきたんだろうな!」

「はい、群れの女王から、教えてもらえる事の限り。ですが、絵などは描いてません」

「ぎェェエエ! やっぱり行けば良かったー!」

「そこ重要だろー!」


 羊皮紙の束を掲げるセリーナの周囲を、一斉にくず折れた調査員たちが取り囲む。

 凄まじい落胆ぶりを見せていたものの、セリーナが羊皮紙の束を渡せば、ひったくるように受け取り文字を追う。さっきまでは悲嘆に暮れていたのに、もうニヤニヤと頬を緩めている。彼らの感情の異常なふり幅の大きさは、やっぱり不気味と呼ぶ他ない。

 連れていかなくて良かった。

 そう思った私を、きっと誰も咎めないだろう。


「リアちゃん、おかえり。初めての冒険は、どうだったかしら」

「ルッ! ダーナ!」


 ふわりと頭上から舞い降りたダーナに、私は飛びつく。美しい深緑色の装束に顔を埋めれば、爽やかな緑の香りが鼻を掠めた。

 柔らかい慈しみに満ちた彼女の美貌から、微笑みがこぼれる。私の背をそっと撫でる指先はたおやかで、温かい。真紅のお母様とはまた違う温かい抱擁に、冒険の疲れが溶けていくようだ。


「あのね、お母様と姉妹にね、会えたの。今の私を伝えて、これからも町にいるって、ちゃんと言ってきたの」

「そう……良かったわ。無事に戻ってきてくれて、私もとっても嬉しい」


 ダーナの唇が、私の頭の天辺に落とされる。

 ああ、やっぱり、私の居場所はここだなあ。ここが、一番、安心するもの。




「――ああ、そうそう、リアさん」


 騒ぐギルド職員の輪から抜け出し、セリーナが私のもとへやって来る。おもむろに鞄を探ると、その中から何かを取り出し、私へ見せた。


 それは、色とりどりの、綺麗な羽根だった。

 かっこいい鳶色、きらきらした金色、柔らかい薄桃色に――一回り大きく立派な、真紅の羽根。

 懐かしく憶えのある匂いもふわりと漂っている。ああ、それは……。


「もしかしてそれ、リアの家族のやつか?」


 グレンが尋ねると、セリーナは頷いた。


「ええ、一緒に過ごした時、野営地に抜け羽根が落ちていたので。念のため聞いてみたら、好きなようにしていいと言って下さったから、持ち帰ってきたんです」


 一の姉様の、鳶色の羽根。

 三の妹の、金色の羽根。

 四の妹の、薄桃色の羽根。

 そして、お母様の、大きな真紅の羽根。


 そうっと額を寄せれば、みんなが側にいるような、不思議な安らぎを覚えた。


「いつまた会えるか分かりませんし……思い出になるんじゃないかと」

「……そうだな」


 グレンは小さく笑い声をこぼし、太い指で真紅の羽根を取る。


「リアが、俺らのところで暮らす事を選んでくれて、その引き換えに手放したものが何なのか。俺らにも、教えてくれる」

「……ええ、そうですね」


 セリーナは静かに呟くと、ふと、私の顔を覗き込んだ。


「リアさん。ご家族の羽根、綺麗に保管して、ギルドに飾りましょうね」

「うん! みんなにも見えるところが良い!」

「ふふ、そうですね。それじゃあ、訪れる方達の目がすぐに留まる、うんと目立つところに飾りましょうね」




 セリーナが持ち帰った四枚の羽根は、その後、劣化防止などの魔術を組み込んだ特別製の大きな額縁に入れられ、冒険者ギルドのホールに大々的に飾られるようになった。

 鳶色の羽根に、金色の羽根。薄桃色の羽根に、真紅の羽根。

 色艶の異なる四枚の羽根を、初めて訪れた冒険者や旅人などは、その額縁を不思議そうに見上げるようになる。


「見て、大きな羽根だね。ほら、この赤いのなんかは特に」

「大きな翼を持つ鳥なんだろうな……すごく綺麗だ。なあ、これは、何の魔物だい?」


 その問いかけに、私は決まって胸を張り、堂々と答えるのだ。


「――私の、自慢の家族の羽根だよ!」




番外編【おとぎ話の始まり】はこれで終了になります。

お付き合い下さった方々、手に取って下さった方々、ありがとうございました!


本編のラスト【22】に繋がる感じに仕上げています。

この出来事により、リアはより上空からの強襲と偵察の技を磨き、人間の事を学ぼうとし。

グレンも、上のランクを目指すために頑張るのでしょうね。


ファンタジー小説において、人間と魔物は敵同士。それは間違いではなく正しい事ですが、その片隅に彼らのような一人と一羽が居ても良いですよね。

ベタな王道は、やはり書いていて楽しく、安心する。彼らの関係が、本編ラストのように、ささやかな詩で語られる優しいものであるよう親心で思います。


異種間交流系の話も、実によい。


改めまして、お付き合い下さってありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
声出たくらい号泣でした!面白かったです! ありがとうございました!
久しぶりに☆5つ付けました。 ママンが言葉が達者な背景には愛があったんですねー。 ママンは学者さんになんて呼ばれていたんだろう。サリアン、とかかしらと考えてしまいました。 そしてグレンとリアは将来つが…
[良い点] めちゃくちゃ良い人外作品を読ませて頂きました。 人外特有の怖さや、分かり合えない点もありつつ、そこから一歩ずつ歩み寄っていく異種族交流はやっぱり良いものですね。 求めていた要素がギッチリ詰…
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