魔法なんて
立ち上がりメモ帳を取り出す。辺りを見回し空の青さをペンで掻き回す女性を見つめ、取材だと割り切りつつもスッキリとした横顔に見惚れてしまう。彼女目に映る青空は海なのだろうか。いくつかの鉱物を砕いて水で溶いたそれは確かに外の景色と同じ色を取る。
「私たちが描き写す世界はただ現実そのままじゃないんです」
絵画を嗜む者の中には職業として今の世界を描くスパイのような人物もいるのだろう。現実の景色をそのまま記した絵画は報告書として有用なものとして扱われるのだとか。現状は空に浮かんだこの都市の中にそのような人物は見受けられないもののいつ潜り込んでくるものか分かったものではない。
「今から描き足します、例えば空の中に混ざっているあちらの魔女たち」
切れ切れの雲が青空の中に可愛らしく纏っているそこに幾つもの黒の群衆があり、目を凝らす。ローブに先の尖った帽子といった装いをして箒にまたがった彼女たちはみな魔女なのだろう。世界中で一部の女性にしか見られない不思議な力を扱う存在、いつの日にか不思議な力を魔法、それを扱う人物を魔女と呼んだ者が現れそのまま定着したのだという。
「かわいい仔猫ちゃんたち、もしもみんな本当にネコだったらどうかな」
真っ白な布には雲の縁取りや空の色合いの層だけが下描きとして記されておりあまりにも寂しい。そんな虚しさ全開の世界の中に滑空するネコの輪郭を描き足した。帽子を被った子やローブを纏って気力の無い瞳でこちらを見つめる子、浮いている箒の房とじゃれている子までいて目の前の景色からはあまりにも程遠い。
「なるほど、つまり空想を入れるんですね、それにしてもこのネコたち絵画の景色と比べて浮いてるように感じられますが」
彼女の語ることをしっかりと拾い上げ手帳に綴りつつ意地悪なコメントを残す。そうした反応も彼女にとっては想定の範囲内なのだろう。つい先程掻き混ぜていた絵の具に白を加えて再び混ぜ合わせる。
「もう少し柔らかい色にしたいから」
きっとこのまま描いても色は美しいだろう。しかしながらそれで満足を示す彼女ではなかったようで空の色を過剰なまでに薄めて更に水を加えては顔を引き締める。
「同じ色を使っても水の量や塗る時の力加減で全然違って見えるの、塗ってみるから見てて」
太陽はほぼ白の黄色で塗り、周辺は可能な限り白色の近隣程度の水色を塗りつける。そこから遠くなるにつれて濃い色を選び幾つかの色の層を作り上げる。色彩のグラデーションが斬新なバウムクーヘンの一部を思わせる。
「ここからもっと遠いところは色を変えないけど塗り方を変えるから」
短い斜め塗り一つ、反対向きの斜めを重ねて少し重なる位置にも同じように交差する青を置いて。更に幾つもの小さな交差が描かれ所々に残された余白は青空の中に星が宿っているように見えている。
「こうしたら濃いところも少し優しく見えるかなって」
それから細い筆を選んでネコを黒で染めて行く。幾つもの細かな毛で覆われた可愛らしいネコが出来上がるにつれて現実には存在しない空が作り上げられ愛着が湧いている自分に気が付き深呼吸をする。
「完成。これから街の中のものも描くからついてきて」
街の中では魔女たちが蔦で編んだかごを手に掛けて各々歩き回っている。今日は10月31日、彼女たちは元々から魔女の格好をしているがためにそれを衣装としている様子。その中に混ざる白い幽霊やタキシード姿の吸血鬼は魔女以外の人物だろうか。
「極東で言うところの百鬼夜行っていうものかな」
西洋の百鬼夜行が今ここにあり。頭にかぼちゃを被った女性とその隣にカブを被った友人と思しき人物が人々にお菓子を要求している。彼女たちの右手にはカゴが掛けられており左肩にはトートバッグが提げられている。そんなトートバッグから覗く黒い帽子が彼女たちの正体を語っている。
「魔女も別の衣装を着るんですね」
「そりゃあ彼女たちもこういう機会は珍しいからいつもと違うことがしたい人もいて当然」
イーゼルを立てて帆布を乗せて先を尖らせた墨を手に絵を描く彼女がそこに描いているのは自身の目に映る景色だろうか、だとすると彼女には人とは違って見えているのかも知れない。なぜだか女性の顔が全てネコなのだ。
「編集者から取材の誘いを受けた時にも説明されたのですがあなたの絵ではどうして全ての女性の代わりにネコを描くのでしょうか」
画家は黙り込み、細い指に挟まれた墨は忙しなく震えている。もしかすると訊ねてはいけないことだったのかも知れない、後悔に覆われ始めたその時、彼女は恐る恐る口を開き始める。
「実は私、女性の事が大嫌いで。魔法が使えないからってみんなして」
魔女が多くいるこの地域では女性は魔法を使えることが半ば当然という事なのだろう。故に魔法を使えない人物は除け者にされたり陰で嘲笑われる事もある。
「この絵も魔法って言えるじゃないですか、取材が入る程の話題を、それほど多くの人の心を動かしたのですから」
「たまに言われるけど、あの人たちと同じものだと思われたくないから美しい技術って広めて」
魔力のない魔法、人の心を動かす魔女と呼ばれても苦しみの記憶が蘇るだけなのかも知れない。この街で微量ながらも深刻な問題として扱われるそれを抱き、しばらく固まったままだった彼女だがやがて再びその手を動かし始める。そこには差別を受けた者ならではの表現が収められていた。




