最終話 瀬戸内を見る
気がつくと、夜が明けていた。
瀬戸内の海は朝日を反射してキラキラと輝き、高松と女木島の街並みは、はっきりと見える。
俺はそばに置いてあった鉛筆と水筆を鞄にしまった。そして、彼女が描かれたスケッチブックは最後に、大切に鞄の中へしまった。
朝日が射す。
もう歩き慣れた山道を。
何度も行った神社を。
駆け抜けた細い路地を。
見慣れた港を。
俺は、確かめるように歩いて、鳥居の下に置いてあった自転車を取り、朝一番のフェリーへと乗り込んだ。
いつものように甲板に出て、徐々に遠ざかっていく女木島を見た。
鬼ヶ島ではなかった、ただの島。
鬼という言葉に隠された、暮らしの姿。
そして、この今も観光客を呼び、貴重な観光資源となった鬼。
どれも、この島を形取る大切なものだった。
鬼ヶ島、だから鬼がいるのではない。
ただの島、だから何もないわけではない。
鞄からクリアファイルを取り出した。
そして、一枚の絵を取り出す。
俺がここまでくることになったきっかけの絵。
それと目の前の島を照らし合わせた。
「やっぱり、赤いな」
朝日に照らされた島は、赤く見えた。
そして、その絵は唐突に吹いてきた風によって空へと舞った。
フェリーは止まることなく目的地へと進んでいく。
俺はただ、遠ざかる女木島を眺めていた。
——
港に着いた後、ピコン、というスマホの通知音に気づいてスマホを開いた。
『おーい、生きてるか?』
光からだ。
『あぁ、生きてるよ』
『おーじゃあインハイ来れるじゃん』
そう言われて俺は日付を確認した。七月二八日。
そうだ、今日は光のインターハイの日だ。
『何時からだっけ?』
『昼から。今から電車乗れば間に合うぞ』
『え、会場どこ?』
『大阪』
どうしようか、と一瞬迷う。
しかし、光には色々と助けられた。応援には行ってあげよう。
『わかった、じゃあ今から行くわ』
『しゃー!待ってるぞ!』
そう言って、高松駅に向かおうと自転車に跨った。しかし、何か大切なことを忘れている気がする。
何だったか……しばらく、自転車に跨ったまま考えていたが、ふと立っている足に筋肉痛のような痛みが走って顔を顰める
「いっっっっったぁ……」
昨日、あれだけ島中を走り回ったせいだろう、急に足にズキズキと痛みが出始めた。
片手で足を押さえていると、ふと思い出す。確か、こんな風に足を攣ったことがある。
「———あ、やべ」
完全に思い出した俺は急いでペダルを踏んだ。
進路希望調査──その紙を今日までに提出しないと、担任にどやされる。
それどころか、家に詰めかけてくるかもしれない。
俺は大急ぎで家に戻ると、進路希望調査を掴み取って、再び飛び出した。
学校に到着すると、体育館でバスケ部かバドミントン部かが練習している声が聞こえてくる。
俺はそれを聞き流しながら自転車を止め、足早に職員室へと向かった。
「おー、前田。進路か?」
職員室には、担任と数人の先生がいるだけだった。
「あっはい……これです」
そう言って鞄から進路希望調査書を取り出して気がついた。
急いで家を出たせいで、何も書いていない。
「…………何も書いてないようだが?」
「あっ、えっとこれには深い訳があってですね……」
焦って必死に言い訳を口にする。目が泳ぎまくっている俺を見て、担任ははぁっと大きなため息をつき、一本のボールペンを差し出してきた。
「深い訳がないと逆にダメだろ。ほら、来たってことはもう書けるんだろ?」
「あっはい」
俺は素直にそれを受け取って、名前を書いた。
そして第一希望の欄の「進学」という文字に丸をつけて、その横に「美術系大学」と書き加えた。
担任はそれを見て苦笑したが、今度はちゃんとそれを受け取ってくれた。
——
息を切らして高松駅に到着し、券売機で香川と岡山を瀬戸大橋で繋ぐ「マリンライナー」の乗車券を買った。
5番線に行き、すでに到着していた列車に乗り込む。
まもなく発車した列車は、高松の街を抜け、坂出の工業地帯を駆け抜けていく。やがて視界が開けると、瀬戸大橋の白いケーブルが目に飛び込んできた。列車はそのまま、青い海の上へと躍り出る。
ひんやりと冷房の効いた車内に、窓から柔らかな日差しが差し込む。そのぬくもりが、体に心地よさを運んでくれた。
ふと車窓に目をやると、穏やかな海原にいくつもの小さな島が浮かんでいる。
鞄からスケッチブックを取り出した。
彼女が描かれた絵を裏返して、鉛筆で今日の日付を書きこむ。
そして、その下に小さく、一文を書き添えた。
「女鬼の島へ」
このままでお読みいただき、ありがとうございました!
面白かったと感じていただければ嬉しいです。




