老兵
韓国、慶尚道の静かな農村。
75歳になるキム・ソンホは、古い納屋のシャッターを上げた。埃の舞う光景の中に鎮座しているのは、銀色のボディがくすんだ一台の車。1975年製、ヒョンデ・ポニーだ。
「さあ、行こうか。お前も外の空気を吸いたいだろう」
かつてソウルのタクシー運転手として、がむしゃらに働いたソンホの相棒。今では「古臭い鉄屑」として、若者からは見向きもされない車だ。しかし、ソンホにとってはこの車こそが、貧しかったあの頃の希望そのものだった。
ソンホがポニーを走らせ、舗装の甘い田舎道へと繰り出す。
途中、村のガソリンスタンドに寄ると、輸入物の高級車に乗った若者たちが嘲笑混じりの視線を送ってきた。
「おい、あんな化石みたいな車、まだ動くのかよ」
ソンホは何も言い返さない。ただ、ポニーの痩せたハンドルを優しく握りしめる。
彼らは知らないのだ。この車が初めて発売された時、どれほど多くの韓国人が「自分たちの手で車を作れるようになった」と涙を流したか。
日本や欧州から「パクリだ」「偽物だ」と石を投げられ、蔑まれても、この車は必死に未舗装の道を駆け抜け、国を、そして家族を支えてきたのだ。
ポニーのエンジンは、今の車のような滑らかさはない。少し振動があり、ガソリンの匂いが車内に漂う。しかし、それがかえってソンホには心地よかった。
彼は、亡き妻と初めてドライブに行った海岸沿いの道を目指す。
バックミラーに映る自分の顔は深くシワが刻まれているが、ポニーの角ばったダッシュボードは、あの日のままだ。
ポニーのヘッドライトが、夕闇に沈む田舎道を頼りなく、しかし真っ直ぐに照らす。
かつて世界中から「まともな車ではない」と差別され、無視されたポニー。その小さな背中は、今では世界を席巻するジェネシスやアイオニック5といった「後輩たち」の、何よりも強固な礎だった。
帰り道、ソンホはふと足を止め、ポニーを眺める。
そこへ、偶然通りかかった一台の車が、静かに横に並んだ。デジタル・ピクセルのライトを輝かせるアイオニック5だ。
アイオニック5から降りてきた若いドライバーは、ポニーの姿を見て目を丸くした。
若者は、ポニーの直線を多用したデザインを、自分の最新EVと見比べながら感嘆の声を漏らす。
そこには差別も、嘲笑もない。あるのは、時代を超えた「敬意」だった。
ソンホは少しだけ誇らしくなり、微笑んだ。
「ああ。こいつがいなけりゃ、あんたのその立派な車も、この世にはなかったんだよ」
夜の帳が下りる頃、ソンホは再びポニーを納屋へ戻した。
冷えていくエンジンの「キン、キン」という金属音が、まるで昔話を語っているように聞こえる。
差別された時代を越え、ただ静かに役割を全うした老兵。
ソンホはそっとボンネットを撫で、電気を消した。
韓国車の本当の物語は、この古ぼけた、しかし誇り高い一台から始まったのだ…




