最終話
大学を出て、駅前に戻ってきた珠子はロータリーにいたタクシーに乗った。目的地を告げると、運転手は怪訝そうな顔をしたがそれでもナビゲーションシステムに場所を登録して、発車してくれた。
「この時間に珍しいですね、お客さん。」
時刻は夕方の5時を指そうとしていた。冬の日本の空は、もう暗い。
「…。」
窓の外を眺めながら聞こえないふりをする珠子に、運転手はこれ以上の会話をやめて運転に集中した。
タクシーで廃村最寄りのバス停まで向かってもらい、後は徒歩で向かおうと思った。昔は愛車のバイクで行ったものだが、卒業を機会に後輩に安く売ってしまった。気安く向かった距離も、足が無ければ遠い。
闇深く、山深い道を行き、バスの停留所に着く。珠子は運賃を払い、ついでに三時間後にまたここに迎えに来てくれるように予約をして別れた。
遠ざかるタクシーのヘッドライトを見送って、珠子はスマートホンのライト機能を作動させて慣れた道を歩いて向かった。
「…体力落ちたなあ。」
山道は獣道になり、珠子はふうふうと息を切らしながら歩を進める。カサコソと踏みしめては鳴る草木をかき分けた。
一際大きい木の根元で、休憩をする。購入したときは熱いとすら感じていたお茶の温度も、もう冷めきってしまった。だが、急な運動に火照った体にはちょうどいい。
ふと、頭上を見ると木々の枝に憚れるように、月が覗いていた。月光により残った木の葉は銀色に光り、散っていったフレディたちを寂しそうに見つめていた。
「行くか。」
膝をぽん、と叩いて、再び珠子は歩き出した。
今はもう意味を持たない標識の角を曲がると、廃村の全容がようやく見えた。
「…。」
背後から、風が吹く。風に背中を押されて、珠子は祖母が住んだ家に向かった。家は荒廃が進んでいて、今にも崩れ落ちそうだった。
玄関の扉は外れて倒れ、ガラスの破片が飛び散っている。廊下は抜けて穴が開き、珠子の体重を心許なく支えている。
ギシリ、ギシリと床板を軋ませて、仏間へと向かった。そこには倒れた祖父の位牌と、凛として立つ祖母の位牌がそのまま存在していた。結局、実家の仏壇に戻すことはなかった位牌に、優しい祖母の面影を見た気がする。
「おばあちゃん。ただいま。」
これでクリスマスに家族と過ごすという、フィンランド人との約束は果たしたことにしようと思う。
腐った畳の上で、珠子は寝転んで天井を見つめていた。今、ここで天井が落ちてきたとして、圧死しても仕方がないよなと考えていた。
はあ、と呼気を吐くと、白く濁って息が可視化する。幾度か繰り返すと、それは水中で吐く泡のようにも見えるから不思議だ。
珠子は初めて、健を見つけたときのことを思い出していた。
ありえない方向に首が曲がった死体の腹を裂く健を何故か、神々しく感じていた。健は、醜い顔だったでしょ、と言っていたが、珠子はあの瞬間に一目ぼれをしたのだ。
てらてらと輝くように血に濡れた内臓を取り出す、私の健。
残酷で、美しい神様のようだと思った。
健が健に至るまでに、何人もの人間を食べたという。その人たちの犠牲なくして、今の健は存在しえない。ありがとう、と思う。健の血肉になってくれて。そして、少しの羨望を抱くのだった。
私も、彼の糧になれたらよかったのに。
「…あれ。」
視界がぼやけて、初めて涙を流していたことを知る。熱い涙はこめかみを伝って、耳裏を濡らした。
「なかなか、止まらないな。」
珠子は観念して、涙が止まらない目を瞼で閉じた。瞼の裏で、走馬灯のように健との日々が浮かんでは消えていった。
なんて、
なんて美しい、私の青春。
光のように輝いていた、あの日々は愛しく慈しむべき確かな青春だった。
ビジネスホテルでの生活も三日目を迎えた。
些か狭いユニットバスにも慣れ、生活圏内はほぼベッドの上と言う環境にも居心地の良さを感じ始めた朝だった。
相変わらずコンビニで買った食べ物で朝食を済ませて、今日は一日ホテルに籠ろうと思い、部屋の掃除サービスの断りを内線でいれる。
ベッドの上で服を畳んだり荷物を整理して、丁寧にスキンケアなどをしてみた。顔にパックをしながら、珠子はスマートホンでできるゲームを楽しんでみた。
「ふう。」
いつもより、もっちりとした頬に満足して触れながら何気なくテレビの電源を入れる。
朝のニュース番組を見ていると、速報のテロップが画面の上部分に流れた。
それは、三人の死刑囚の刑を執行したという法務省からのお達しだった。
「…椿の首、落ちたんだ。」
12月25日。三人の死刑囚の名前の中に、宮野健の名前があった。
了




