63ただの女性
まさか、実乃梨の会社に電話してくるとは思わず、つい塩対応の受け答えをしてしまう。会社にかけてきた時点で、実乃梨が快く話をするわけがないとわからないのだろうか。そもそも、なぜ会社に連絡を入れてきたのか、自分の個人情報が筒抜けになっているのは、すでにあきらめていた。
いったん、電話を保留にして、和音への対応を考える。ふうとため息をついて、頭を抱えていると、電話を受けた社員が、心配そうにこちらに視線を向けてくるのを感じる。
「間違い電話みたいだったんですけど、どうやって断ったらいいか迷っていて。普通に断っても、電話を切らせてもらえなさそうで」
「面倒なお客さんに当たったみたいね」
「そう、ですね。本当に」
そうは言っても、実乃梨の口元は自然と緩んでいた。実乃梨の様子が変わったことに気付いた社員が今度は不審な目を向ける。
「面倒だという割に、ずいぶんと楽しそうに見えるわよ。電話だけど、私が代わりに断ろうか。今の栄枝さんに任せるのは不安なんだけど」
「じゃあ、お願いします。相手の電話番号だけ聞いてもらえますか」
あっさりと実乃梨は他の社員に和音の電話の対応を任せた。しかし、その際に折り返しの番号を聞くことは忘れない。社員は電話の相手と実乃梨の関係が気になったが、言われた通りに断りを入れて、電話番号を相手に尋ねるのだった。
昼休憩になると、実乃梨は誰も使用していない会議室に駆け込んだ。新しい職場は、自分で昼食を用意する必要があり、実乃梨は自分で弁当を作り持参していた。大抵は昨日の夕食の残りをその日の晩のうちに弁当箱に入れるため、朝から料理することはめったになかった。
会議室の机の上に弁当を広げる。そして、昼食の時間がもったいないとばかりに、急いで弁当の中身を口に運んでいく。今日の弁当は、昨日の夕食のポトフとおにぎりの組み合わせで、専用の容器に入ったポトフとラップに包んだおにぎりをあっという間に平らげる。
食べ終わるとすぐにスマホを机の上に出して、一度深呼吸する。
「はは。和音に電話するだけなのに、こんなに緊張するなんて」
実乃梨は社員からもらった電話番号のメモを見ながら、スマホに番号を入力していく。心なしかスマホをいじる指が震えていた。
「もしもし」
「和音ですか?栄枝実乃梨です」
「ああ、実乃梨さん?今朝はよくも、私の電話を切ってくれたわね」
「お元気そうでなによりです。それで、用件は何ですか?こちらは昼休憩の時間を削って電話をしています。用件があるのなら、手短にお願いします」
相手はすぐに電話に出たが、相変わらず自分勝手な女性である。実乃梨は彼女の変わらない様子に内心ほっとしていた。手紙では、運命の男とやらが現れてラブラブ状態だと記載されていた。頭がどれだけお花畑になっているのか心配していた。
「ねえ、その人が和音さんの大切な人?ボクもその人とおしゃべりがしたいな!」
「もう、セイ君ったら、人の電話に勝手に割り込まないでよ」
「だって、その人の話しになると、和音さん、テンション上がってうれしそうなんだもん。ボクより好きなのかなって、心配で」
「セイ君は可愛いねえ。でも、少しだけ静かにしてくれる?《《お姉さん》》の大事な電話の邪魔をしないでくれる?後でじっくり可愛がってあげるから」
いや、すでに頭の中はお花畑に成り下がっていた。どうして、隣に男がいるのだろうか。そして、どうして馴れ馴れしく名前を呼び合っているのだろうか。話し方も男に媚びたような余ったらしい声で吐き気がする。
「実乃梨さん、急に黙っちゃったけど、大丈夫?」
「電話を切ってもいいですか?和音は、自分に新しくできた《《運命の相手》》(ただの男)を私に紹介するために、会社にわざわざ電話したということですね」
電話越しに聞こえた、男にしては高めの声と、可愛らしい話し方で大体の想像がついた。手紙に記載されていた特徴と一致している。男ということは、この一年近くの間に和音も……。
「和音も《《ただの女性》》に成り下がったというわけか」
「何か言った?私の彼氏を紹介するのも用件の一つではあるけど、それよりも重要な話があるの」
「はあ」
実乃梨のつぶやきは和音にまでは届かなかったようだ。そのまま、実乃梨の言葉をスルーして、本題を話し始める。
「相沢が難産の末、亡くなったわ」
その声は、これまでの冗談めかした軽い口調とは違い、平坦で感情がこもっていなかった。




