エピローグ
「とまぁ、そういうわけなんです。」
すべて話し終え、俺はコーヒーを飲む。
「なるほど……でも、どうしてこの話を僕に?」
するとハルが、
「あなたは信頼できると思ったからですよ。ここは愛を信じる喫茶店ですから。あなたの愛を信じようと思ったんです。」
大岡さんに向かって言った。
コイツ、時々こういう恥ずかしくなるようなことをさらりと言うよな。
「し、しかし……気になりますね。」
大岡さんは誤魔化すようにコーヒーを飲みながら言う。
「気になる……と言うと?」
「はい…ミーさんのお父様からの手紙の中の1文ですよ。『安藤にThankと言うことも忘れないでね』っていう。」
「ああ……たぶん、お世話になった人の名前なんじゃないですか?」
俺が軽く答えると、
「いや、父さんの知り合いの中に『安藤』なんて人いなかったわよ。」
ミーがいきなり話に割り込んできた。
「なんだよ。急に客に話しかけるなよな~。」
「いいじゃん。どうせ私の話だったんだし。」
「まぁな。あのとき俺がグーを出していたら今こんなに苦労してなかっただろうな~。」
ハルがしみじみとこう言うと、全員で顔を見合わせて笑った。
「あ、そういやマスター。
あっちのお客さんホットケーキセット2つね。」
「了解。俺がコーヒー淹れるから、ミーはホットケーキ頼むわ。」
「はいよ~。」
そう言って店の奥へ行く。なんだかんだ息ピッタリだな~。
「あ、そういえば。大岡さんは中国に行ってらしたんですよね?」
「ええ…。なかなか日本との違いがあって面白かったですよ。」
「へぇ……例えば?」
前の依頼人とこんな会話をすることになろうとは……。
「そうですね…一番大きかったのは言葉ですね。」
「そりゃ、日本語と中国語ですからね。
違って当たり前でしょう?」
「あ、いえ…そういう意味ではなくてですね。」
「じゃ……どういう?」
大岡さんはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干し
「日本で今使われている漢字は昔の中国から来たものですよね?それなのに、全く違う意味を表すものもあるんですよ。」
「ほう……と、いうと?」
コーヒーを淹れ終えたハルが会話に加わる。
「はい……これ、どういう意味だと思います?」
言いながら大岡さんは鞄から手帳を取り出し適当なページに文字を書く。
「…………手紙、じゃないんですか?」
俺がそう答えると
「日本ではね。でも、中国ではこれはトイレットペーパーを意味するんですよ。まぁ、他にも色々あるんですけどね。」
と、大岡さんが解説をしてくれた。
「へぇ………同じ字でも言語が変われば意味も変わるんだ……。あ、今トイレットペーパーで思い出したんですけど…。」
「はい?」
「俺最近、芯まで使えるトイレットペーパーっていうのを使ってるんですけど、普通のトイレットペーパーと比べて固いもんだからケツが痛いんですよね~。」
「あ~……それは辛いですね…。」
「そうか………それだ。」
ハルがいきなりそう呟いた。
「え?芯まで使えるトイレットペーパーがどうかした?」
「馬鹿!それじゃねぇよ。」
「え?でも、それだ。って今……。」
「それは今の中国語の話のことだよ。」
俺と大岡さんは訳がわからず顔を見合わせた。
ハルはなおも続ける。
「ミーの親父さんはやっぱり……おいミー。
お前、あの手紙持ってるか?」
と、今度はミーに声をかける。
話を振られたミーは、奥のキッチンでホットケーキを作りながら、
「手紙?持ってるけど……それがどうかした?」
ハルはミーの答えに頷くと、ミーの質問には答えず、俺たちの方に向き直り
「このあと、もう少しお時間いただけますか?」
と尋ねてきた。
「俺は大丈夫だけど……。」
「僕も……でも、どうして?」
大岡さんのこの質問にハルは
「なに、ちょっとした説明とプレゼントをするだけですよ。」
と言って、意味ありげに笑った。
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閉店後、喫茶 BeLiebeには俺、ハル、ミー、そして大岡さんの4人だけが残っていた。
「それじゃミー。あの手紙を出してくれ。」
「うん。」
ハルに応えてミーは鞄の中からあの手紙を取り出す。
「いつもお守りがわりに持ってるんだ。」
ミーはそう言いながら手紙をテーブルの上に広げる。
「では説明しましょう。この手紙にたどり着くために俺たちは謎を解きました。1年ほど前の出来事です。」
ハルが説明を始める。
「そして見事手紙を見つけ、その中身に俺を含めた全員が心動かされた。」
その場にいた全員が静かに頷く。
「しかし、変だとは思いませんか?自分が死ぬ直前に、最愛の娘に残すものが手紙だけとは。」
「でもそれは、父さんだし……。」
「それでも、だよ。
ケイ、大岡さん。2人ならミーの親父さんの立場になったとき、手紙だけを残そうとしますか?」
突然の質問に俺が答えられないでいると……
「僕なら、少しでもいいからお金を残そうとしますね。会社をおこしたがっていることを知っているなら尚更。」
と、大岡さんが答える。
それを聞いてハルも頷いて
「俺もそう思います。てことは、ミーの親父さんもミーにお金を残しているはずなんですよ。」
「でも、実際にはお金は無かった……だろ?」
俺がミーに同意を求めると、ミーは静かに首肯した。
「そう………たしかに無かった……でもそれは、ただ見つけられなかっただけなんです。
この手紙に隠された暗号をね。」
言いながら、ハルは手紙を持ち上げる。
「だーかーらー!その手紙のどこに暗号が隠されてるんだ?」
俺はハルに問いかける。
「もしかして……『安藤にThankと言うことも忘れないでね』?」
「大岡さん、正解です。
ミー、安藤っていう知り合いはいなかったんだよな?」
「え?あ、うん。」
「でもなぁ……それが暗号だとして、いったいどう読めっていうんだ?」
「ところでミー。
お前、最後に親父さんに会ったときに悪口言われて喧嘩になったって言ってたよな?」
ハルは俺の質問をスルーして、話を進める。
「え?そう……だっけ?あ、でも……う~ん…………癖毛がどうって言われた気はするけど。詳しくは覚えてないかな。」
「おいハル!それとこれ、何の関係があるっていうんだ?」
「その『癖毛』っていうのが、『ク=セ=ジュ?』の聞き間違いだったとしたら?」
「は?!クセジュ?なんだそれ。」
俺は理解できなかったが、大岡さんはわかったようで頷きながら言う。
「なるほど……フランス語ですね。」
「フランス語?今のがですか?」
俺が聞き返すと
「はい。フランスの哲学者モンテーニュが言った『私は何を知るか?』を意味するのが、さっき言った『ク=セ=ジュ?』なんです。
この言葉は、懐疑主義を表す象徴的な言葉の1つなんです。」
ハルに代わって大岡さんが説明してくれた。
「そういうこと。つまり、『癖毛』は『ク=セ=ジュ?』フランス語が大事だって意味なんです。
そうなると、この『安藤にThank』というのもフランス語に出来るってことになる。
ただし、『に』は初めの暗号で抜けていたから、ここでも抜いて、『に』のままで置いときます。」
「でも、フランス語になおすといっても……。」
大岡さんがそう言うと今度はミーが
「あ!もしかして……数字?」
とハルに尋ねた。
「正解。この文は、フランス語の数字の列に置き換えが可能なんだ。」
「フランス語?数字?」
俺の頭がついてこない。
するとミーが説明してくれた。
「あのねケイちゃん。クラシックバレーの練習で『アンドゥトゥロワ』ってよく聞くでしょう?
あれって、フランス語で『1、2、3』を意味するんだって。こないだ友達が言ってたの。」
「てことは………『安藤』は『アンドゥ』で『1、2』?」
そうそうとハルが頷いている。
「『に』はそのままだから、数字の『2』ね」
ミーが続けて言った。
「最後の『Thank』は『サンク』で『5』でしょうか?」
「大岡さん、博学ですね。」
「いえ、そんな……。
それで、この4桁の数は……?」
「おそらくですけど、銀行か何かの暗証番号でしょう。」
ハルはそう言うと手紙を折り畳んでミーに返し言った。
「これで、親父さんからの本当に最後のメッセージ…………プレゼントは渡したからな?」
「…………うん!ありがとう……。
本当に、ありがとうございました!」
そう言って、ミーは深々と頭を下げた。