片恋い 3
「帰国の挨拶か」
オルフェルノの王に謁見するのはこれで2度目だ。
晩餐会で顔を合わせた時のような、人当たりの良さはない。玉座に居る王はやはり、威厳に満ちていた。
クラウスは、王に向かい頭を下げた。
「はい。この度は妹とそれに連なる者達の行った愚行、全ては、止めることの出来なかった私の責任です。ご迷惑をおかけしました」
誠心誠意行った謝罪に対してアルムクヴァイドが返したのは、それを受け入れる言葉ではなく厳しい忠告だった。
「素直に謝罪できるのは美徳だと思うが、あまり褒められたものではないな。クラウス公子」
「陛下…」
顔を強ばらせてクラウスはアルムクヴァイドを仰ぎ見る。
その目には睥睨した様子はないが、酷く鋭利な冷ややかさがあった。
公子という立場であるクラウスに対して、オルフェルノの王は当たり障りのない言葉で誤魔化すつもりはないらしい。
「安易な謝罪は、自国の不利を招く。その辺りは貴方のお父上の方が得意だろう。良く学ばれることだ。オルフェルノは貴国との同盟を続けるつもりなのだから、簡単には揺らがないでもらいたい」
「…心致します」
重たい言葉を、粛々と受け止め、首肯する。
「将軍も言ったはずだ。そちらが、確かに咎人が罪を償うのであれば、この件は我らの胸にしまっておくと。約束を果たされる気でいるのならば、蒸し返すことはない」
あまりの割り切りの良さに、クラウスはかえって身が引き締まる思いがした。
罪を犯した者達の処遇を身内贔屓などで終わらせようものならば、この国は容赦なくフメラシュとの関係を断ち切るだろう。その判断を、この国王は躊躇わない。
オルフェルノは確かに誠実だ。だが、甘くはない。
「承知しています。彼らの罪はフメラシュの法に照らして、必ずや処断することをお約束します」
「ならば、これでこの話はしまいだ。途中になってしまったが、とりあえず今までに決まった交渉の内容については変更するつもりはない。こちらで、文書の作成は済んでいる。中身を確認してもらいたい。署名をしてもらえば契約はなる」
アルムクヴァイドがさらりと話を続けると、重たい雰囲気は、あっさりと消え去る。
クラウスは肩からどっと力が抜けるのを感じた。
「ありがとうございます」
近侍から渡された文書を受け取ったクラウスは、一瞬逡巡した。
退室の挨拶が済めば謁見は終わる。
脳裏を過るのは、穏やかな微笑みだった。
諦めきれない思いが、口を突いてこぼれた。
「…陛下、帰国前に折り入って、ひとつお願いしたいことがございます」
「聞こう」
「この王城の侍女をひとり、フメラシュに連れ帰る許可を頂けないでしょうか?」
「侍女を?」
「はい。この国に来て私の心なぐさめ、我が国に興味を抱いてくれた娘がいるのです。出来うるならば、連れ帰り我が国をみせてやりたい」
「それは、その侍女も望んでいるのだな?」
「え?」
「その娘はフメラシュに行くことを了承しているのか、と聞いているのだ」
「まずは、陛下に許可を…と思いまして、まだ何も話してはおりません」
「私が許可を先に出せば、それは命令になる。それをわかっていない貴方ではないだろう?」
「…それは」
狡さを指摘されたようで、言葉を濁す。
そのつもりが無かったとは…言えない。
「私は、可とも否とも言わぬよ。その娘に聞け。その侍女が真に貴殿と共にフメラシュに行きたいと望むのであれば、連れて行けばいい。だが、少しでも躊躇うようであれば、権力を行使したりせず、諦めてもらいたい。良いか?」
「……」
「私は人が権力を持つ者に振り回されることを好まない。平民であろうとも、貴族であろうともそれは同じ。誰しも幸せになる権利がある。誰であっても、望まない未来を押し付けたくはない」
幸せになる権利。
彼女が幸せになる未来。
ふと、そう考えて、クラウスは息を止めた。
彼女が幸せになる未来を、自分は準備出来ているのだろうか。
彼女が一緒に来てくれれば、クラウスは幸せだろう。
だが、彼女は?
焦るあまり、自分本位に話を進めていたようだと、ここに来て初めて自覚する。
クラウスの動揺は、敏いオルフェルノ王には知られてしまっている。
それでも、表面上取り繕う。
「わかりました」
努めて冷静に、粛々と、彼は王の言葉を承知した。
そうすることしか、出来なかった。
あの侍女と言葉を交わしたのはあの時きり。
注意深く彼女の存在を探すけれど、その姿を捉えることは出来なかったからだ。
そのうち、アリューシャのことがあって呑気に彼女を探している場合ではなくなった。
すれ違っているのかもしれない。だが、彼女の行動を把握しているわけではなかったから、どうしようもない。
名前すら、聞くのを忘れていたのだ。
舞い上がっていたのが、それだけでもよくわかる。
だが、時間をおいても思慕は募る一方だった。
記憶の中の少女の笑顔が、クラウスの心を捉えて離さない。
彼女を思うだけで、心が安らぐのだ。
これほどに、誰か一途に思うのは初めてだった。
一目惚れというものが、本当にあったなんて。
クラウスは帰国の準備に忙しくしながらも、彼女を探し続けた。
ようやく彼女を見つけたのは、帰国するその日、だった。
「やっと、会えたね」
「クラウス…殿下?」
突然声を掛けられて、彼女は戸惑っているようだった。
仕方が無い。クラウスは毎日のように彼女を想ったが、この娘からすれば他国の公子に恋心を抱かれ、探されていたとは思いもしないはずだから。
彼女の中にクラウスへの恋心がないことなど、わかっている。
それでも、彼女にとってきっと悪い話ではないはずだ。
そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと、驚かせないように距離を詰める。
「予定を繰り上げて、早めに帰ることになったんだ」
不思議そうな顔で見上げてくる彼女の前に立ち、クラウスはその小さな手を取った。
初めて彼女の触れた時と同じように、やはり繊細なほどの華奢さに戸惑いながらも、この細い手首に唇を寄せたいと、そんな欲求を堪えて微笑んだ。
「前に話した時、私の国に来ないかって誘っただろう?」
「え…」
「貴女は社交辞令だと思ったようだったけれど、私は本気だったんだよ。貴女の隣はほっとするんだ。どうか、私と一緒に我が国に来て欲しい。…はいと、言ってくれないかな?」
沈黙は逡巡か。彼女の背中を押すように、言葉を重ねる。
「君が来てくれることは、この国とフメラシュの親交のためにもなると思う」
握り締めた手にそっと力を入れ、じっと彼女の返答を待った。
娘は、取られた手を見つめ、ゆっくりと視線を上げた。
迷うことのない眼差しがクラウスを映し出す。
凪いだ波紋のない水面のように透明な藍緑。
揺るぎない一途な瞳に飲まれる。
彼女は真っ直ぐにクラウスを見つめると、口を開いた。
「私は……オルフェルノという国が大好きなんです。だから、離れたくない。…大切な人がたくさん居る大切な国だから。…どうしても離れたくない、傍にいたい人がいるんです」
躊躇いのない思いが言葉となって届く。
そこにある感情に、クラウスは言葉が詰まりそうになった。
「…もしかして、好きな人?」
「はい」
彼女はほんのりと、はにかんだ。赤くなる目元に、その想いが一方通行のものでないと気付く。
「その人は、貴女を幸せにしてくれる?」
ああ、そんなこと。
訊かなければ、良かった。
口にした言葉に、後悔はすぐ訪れた。
あどけない少女だと思っていた娘は、恋する乙女の顔をしてゆっくりと微笑んだ。
クラウスには、もう何も言えない。
幸せなのだと、言葉ではなく彼女のそのやわらかな笑みが伝えるから。
手のひらから滑り落ちた皿が割れるように。
クラウスの独りよがりな初恋は、砕け散って終わった。
……結果的にはよかったのかもしれない。
恋という羽がへし折られれば、舞い上がった心はようやく地に足を着いて、冷静さを取り戻し始めた。
オルフェルノの王の言葉を、彼は反駁し自分の行動を振り返る。
自分の我侭で彼女を連れ帰ったとして、…果たして彼女を幸せにできるのだろうか、と。
自分はどうやって彼女を傍に置くつもりだったのか?
漠然とした展望は、……彼女を幸せにできる未来を上手く描き出すことが出来なかった。
知らなかったとは言え、彼女は平民だ。
妃にすることは出来ない。
思い込んでいたように貴族の娘だったとしても、結論は同じ。他国の貴族でしかない者を妃にすることを、大貴族たちは反対するだろう。
その反対を押し切ってまで彼女を妻の座に迎えることは、今のクラウスには出来ない。
社交的と言えば聞こえはいいが、結局のところ、クラウスは今まで衝突や軋轢を恐れて、そういうものを上手く躱してきただけに過ぎないのだ。
今更、彼らを敵に回してうまく立ち回ることなど出来はしないだろう。
それでなくともクラウスは、今回の失態を叩かれることになる。その上、彼女の事で我を通せるほど強くない。
しばらくは侍女として傍に置き、余熱が覚めてから愛妾として、囲うか。
自分にできることといえばその程度。
それが、クラウスの持つ力の現実。
その情けない事実に悔しくなって、唇を噛み締めた。
愛らしい微笑みを思い浮かべればまだ胸は痛むけれど。
クラウスに出来ることは、彼女の幸福をただ、願うだけ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これにて、フメラシュ編終了となります。
実際のところ、失恋したクラウスがリュクレスの幸せを願えるまでには、少し時間がいったのではないか、と想像しています。なにせ、初めての恋ですから。
帰国して、自分に足りなかったものをたくさん知って、彼は良い男になっていくのでしょう。
ちなみにリュクレスが将軍にクラウスのことを言わなかったのは、ただ困っているところを助けただけのつもりでいるからです。きっと今も、彼の恋情は理解していないと思います。よく聞けば、どこにも告白的な言葉はないですからね(笑)