38 バラード
まだ夏休み中のある日、完成したバラードをはなれで聴かせてくれる約束だった。
しかし時間になってもカズ君は来ない。お店の配達がおしているらしい。飯沼君と畑君はお休みで、久し振りに3人だけの集まりだ。
結局竜岡さんは練習の見学に来なかった。誘ってはいたのだけど、レイ君が許可しなかったそうだ。
「作詞、大変そうだったよ」
「俺だっていつも苦労してるさ」
涼しげな顔で言われても全然説得力がない。
「レイ君がバラードにどんな詞を書くか気になるけどね」
「さぁ……書けないからカズに任せた」
顔色は変わらないが視線を足元に落とす。確かに今までラブソングは無い。
「体験しなければ歌詞は書けない訳じゃないし、大体今は彼女がいるじゃない」
「…………」
胸がざわつく。
「竜岡さん、好きなんでしょ?」
少し間を空けて微かに頭を横に振る。
「……分からない。嫌いではない、が」
照れて誤魔化す、という感じではなかった。竜岡さんの笑顔が頭に浮かんで消える。
当然もの凄く腹がたった。色々言いたかった。
しかしレイ君は竜岡さんに対して適当な扱いをしてないし、ファンの女の子とは明確に区別している。だから時間はかかっても、いずれは……。そう思いグッと押さえた。
「怒らないんだな」
「怒って欲しい?」
「いや……」
レイ君は一瞬だけ微笑を浮かべる。そして足を組み替え、ため息をついた。
「大体経験があっても書けない事はあるよ」
「それって……」
「辛くて苦しくて、想えば想うほど孤独だった」
「…………」
「叶わないのは分かってたし、叶ったとしても代償が大きすぎた」
まるで歌うように呟く。下を向くレイ君の長い睫毛が微かに震えている気がした。
暫くしてレイ君は視線を私の方へ向けたが、何処か遠くを見る目付きだった。
「年月が過ぎれば書けるかも知れない。後悔はしてないから」
「そう……」
あれほど女の子に人気があっても、その中には居ない誰かを想っていた、という事?
後悔してない、というのがせめてもの救いだ。
「さて、カズがどんな詞を書いたか楽しみだろ?」
気を取り直すように明るい声でレイ君は言った。
「う、うん」
「遅刻だから罰として先に公開だ」
以前遅刻した時のようには怒っていない。むしろ楽しそうだ。
勢いよく立ち上がり、さっさとピアノの部屋へ向かって行った。私も慌てて追いかける。
ピアノの譜面台にはもう楽譜が並んでいた。
その中の一枚を私に差し出す。譜面上では初めて見る、でも見覚えのあるクセのある字が書かれていた。
おそるおそる手に取り目を通す。
優しい言葉で紡がれた詞はカズ君らしくて、思わず笑みがこぼれる。歯の浮くような単語は一つも使われてないが、ちゃんとしたラブソングだ。
「早く聴いてみたいな」
それが実現するのにあと10分もかからなかった。
照れまくって全然私の方を見なかったけど、カズ君はしっかりと歌いあげてくれた。
レイ君も穏やかな表情で、丁寧に美しいメロディーを奏でる。
一番にこの曲を聴ける私は……幸せ者だ。




