第68話 暗器の交錯と、夜逃げのハネムーン
カーテンが固く閉ざされた、薄暗い二階の一室。
部屋の中央、椅子に頑丈に縛り付けられた圭介の膝の上に、少女──アンナ・ミラーは愛おしそうに身体を預けていた。
滑らかな舌先が、圭介の首筋を淫らに、そして冷たく這う。
「……殺すつもりだったけど。」
「……気が変わった」
深い沈黙。
圭介の喉がゴクリと鳴り、額からツッと汗が滲み落ちる。
(正気じゃない……!)
( こいつ、完全に狂ってる……!)
「……お前を、飼うことにする。」
「……いいな?」
アンナの瞳には、泥のような所有欲だけが滾っていた。
「……せいぜい、私に媚びろ」
首を必死に振る圭介。
その抵抗すら愛でるように、アンナは手にしたナイフの先端を圭介の喉元へぐっと強く突き立てた。
「……ホントの名前は?」
「っ……ケースケ……ケースケ・ツボイ……っ!」
「……ケースケ」
不自然にイントネーションの狂った声で、アンナはその名を復唱する。
「……たった今から、私はお前のご主人様。」
「パイクの目の前で、お前をグチョグチョに犯してやる」
ニヤリと口角が裂けるほど吊り上がり、アンナは歓喜に全身を打ち震わせた。
そのまま手際よく圭介の腰のベルトを解除し、華奢な手先でシャツのボタンを一つ、また一つと外していく。
「や……やめろ……っ!」
「……なぜ?」
濡れた目つきで嫌らしい笑みを浮かべるアンナ。
彼女は指先が肉に食い込むほどの強力で圭介の顎を固く掴み上げると、喉元へ冷たい刃を擦り寄せた。
「……まったく、しつけがなってないな。」
「ペットのくせに、ご主人様に逆らうなんて」
男の衣服を剥ぎ取り、その肌を切り刻みながら蹂躙しようとした──まさにその瞬間。
──ガタッ……。
階下から、かすかな足音が響いた。
アンナの鋭い視線が即座にドアへと向けられる。
彼女は舌打ちひとつ打たず、素早く圭介の口へ再び猿轡を押し込むと、足音もなく階段へと消えていった。
同じ頃、隠れ家の玄関先。
身を潜める三つの影があった。
大口径の拳銃を構えたエレノアが、低い声で囁く。
「……ここなのか?」
ジャンゴが二丁の拳銃を引き抜き、残砲を確認する。
「情報屋の話じゃな……」
「ヴァレリアの手下の女が、男と住んでるらしい」
後ろからモーゼルを握りしめたミリアムが続いた。
「信者の証言とも一致しています。」
「黒髪の男と、女がここに隠れていると……」
エレノアはドアの横に貼り付き、窓から中を覗き込む。
「……誰もいねえ。物音がしねえな……」
エレノアはドアノブに手をかけ、目線だけでミリアムへ合図を送る。
──裏に回れ。
無言で頷き、ミリアムは素早く建物の裏手へと走り去った。
バガンッ!!
エレノアが力任せにドアを蹴破る。
飛び込んだ二人の視線の先に立ち尽くしていたのは
テンガロンハット
黒いロングコート。
短く切り揃えられたボブカット。
小柄で華奢な体に、透きとおるような白い肌と整った顔立ち。
見た目は十代後半の少女
だが、その淡い瞳だけが、底なしの暗闇のように無機質だった。
アンナ・ミラー。
「……なんだい、君たち」
ニヤッと不自然な作り笑顔を浮かべるアンナ。
エレノアは銃口を直撃させ、咆哮した。
「パイクと黒髪の男はどこだ!?」
ジャンゴも無言で二丁拳銃の照準を合わせる。
「……ここは、私の家だよ」
アンナは平然と言い放つ。
(……賞金稼ぎ。)
(あの金髪……かなりのベテラン。)
(横の獣人……隙がない。……やっかいだな)
アンナはニヤニヤとした笑みを崩さぬまま、観察を続ける。
エレノアは視線だけを動かし、壁にかかった衣服を一瞥した。
「そうかよ。じゃあなんで、男物の服が転がってんだ?」
「……ああ。それ、彼氏のなんだ。」
「……まったく、散らかしっぱなしにしてさ」
わざとらしくため息をつくアンナ。
エレノアの鋭い眼光が、今度は壁の女物のシャツへ注がれる。
「じゃあ……そのシャツはお前のサイズじゃねえな。」
「それに、自分の家の中でテンガロンハットかぶって過ごす奴がいるかよ」
沈黙。
「……ふふふふふ。……だね」
一拍。
「……君たちも、パイクと黒髪の男を追ってるのかい」
「そうだ……両手を上げろ!」
エレノアが引き金に指をかける。
「『アンナ・ミラー』!!」
作られた微笑のまま、アンナの目だけが死んだように暗く沈む。
「……まあまあ。落ち着きなよ。」
「私が来た時には、誰もいなかったんだ」
アンナは肩の位置まで両手をゆったりと上げた。
「手を降ろしても、いいかい?」
ゆっくりと手を下げるアンナ。
──その瞬間。
ガタッ……!
二階の天井から不自然な振動音が鳴り響いた。
エレノアとジャンゴの意識が、ほんの一瞬だけ上方へ逸れる。
刹那。
アンナの両腕の袖口から、金属の滑走音が跳ね上がった。
──スライドレール式・隠しガントレット。
袖の中に潜んでいた二丁の二二口径オートマチックが、瞬時にアンナの手のひらへと射出され、ガチィンと固定される!
「マズイっ!?」
野生の直感で察知したジャンゴが、エレノアの体を力任せに突き飛ばした!
パンッ! パンッ!
アンナの袖口から放たれた弾丸が、空気を切り裂く。
寸前で回避したエレノアとジャンゴは、脇のカウンター裏へと滑り込んだ。
直後、アンナは落としていた自身のガンベルトから二丁のブローニングを引っこ抜き、カウンターへ向けて容赦ない掃射を開始した。
ズババババババンッ!!
「くそっ!」
激しい木屑の嵐の中、エレノアとジャンゴが撃ち返す。
アンナは軽やかな足取りでドアの陰へ身を引いた。
(分が悪いな……)
(特にあの獣人。……やっかいだ)
カチャ……。
アンナの背後──勝手口から、静かな金属音が響く。
(……まずい。)
(もう一人いたか)
アンナが振り返ると同時に、裏手に回り込んでいたミリアムのモーゼルが火を噴いた!
アンナは二丁のブローニングで精密射撃を叩き込み、弾丸同士が空中で跳ね返るような過酷な銃撃戦が展開される。
激しい銃声と怒号が階下から響き渡る中。
二階の部屋。
縛られたまま脱出できずにいた圭介の目の前に、影が降り立った。
「……まったく。油断も隙もあったもんじゃないな、ケースケ」
破られたシャツから肌を覗かせている圭介に向け、いたずらっぽく笑いかける女。
リシア
「お前にこんな趣味があったなんてな。」
「早く言ってくれたら、私がいくらでもしてやったのに」
「う、うーっ! うーっ!」
腹を抱えて笑うリシアに、目を見開いて抗議する圭介。
リシアは人差し指を自分の唇に当てた。
「しーっ。静かにしてくれ。」
「今、階下で『お客様たち』が盛大に盛り上がっている最中だからな」
不敵に口元を歪めると、リシアは圭介を手際よく拘束ごと抱え上げ、軽々と肩に担いだ。
そして躊躇することなく、二階の窓枠を蹴って外へと躍り出る!
ドスッ!
裏路地に待機させていた馬車の御者台へと着地。
「じゃあ……行くぜっ!」
リシアは手綱を激しく振り下ろし、一目散に馬車を疾走させた。
階下の激しい銃撃戦の渦中。
ドアの陰に潜んでいたアンナが、唐突に声を張り上げた。
「……やめようぜ。」
「知ってること、話すから」
「……わかったわ。ゆっくり出てきなさい!」
ミリアムの警戒する声。
アンナは両手を高く掲げ、すんなりと隠れ場所から姿を現した。
エレノアが凄まじい威圧感で銃口を突きつける。
「パイクはどこだ!?」
「……知らない」
「男は!?」
「……二階」
エレノアはミリアムたちを制し、一気に階段を駆け上がった。
だが──そこに広がるのは、もぬけのからの室内。
追いついてきたミリアムとジャンゴ、そしてアンナが部屋に入り、絶句する。
「あいつは……! ケースケはどこに行った!?」
激昂したアンナが、無機質な面影を削ぎ落としてエレノアの胸倉を掴み上げた。
「……さっきまで、ここにいた……!」
その時、部屋の中央にある椅子の上に、一通のメッセージカードが残されていることにミリアムが気づいた。
「これ……」
ため息をつきながら、ミリアムがカードをエレノアへ手渡す。
そこには、流麗で皮肉たっぷりな筆跡でこう書かれていた。
【これからハネムーンだ。追ってくるなよ。──パイク】
激怒したエレノアは、震える手でその手紙を力任せに破り捨てた。
「ふざけるなあああああーーーーーーーーッ!!!!」
隠れ家全体を激震させるエレノアの咆哮が、荒野の空へと虚しく響き渡った──。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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