第1話 黒帽子の賞金稼ぎと、荒野の神様(前編)
乾いた風が、赤茶けた砂をさらう。
どこまでも続く荒野。
灼熱の太陽に焼かれた大地を、一頭の黒馬がゆっくりと進んでいた。
馬上には、一人の女。
艶やかな金髪が風に揺れる。
黒い革のカウボーイハットの影から覗くのは、吸い込まれるような蒼い瞳。
通った鼻筋。
長い睫毛。
透き通るような白い肌。
男なら誰もが振り返るほどの美貌。
しかし、この世界では――。
「醜女」
そう呼ばれる顔だった。
引き締まった腰。
しなやかに伸びる長い脚。
黒革のジャケットの背には、白いドクロが描かれている。
腰には二挺のリボルバー。
鞍には、磨き抜かれたスピンコック式レバーアクションライフル。
彼女の名は――
エレノア・ウエストウッド。
西部辺境では知らぬ者はいない賞金稼ぎ。
早撃ち無敗。
数え切れない賞金首を地獄へ送った女。
人は彼女をこう呼ぶ。
《ブラック・エル》
《死神ウエストウッド》
《黒帽子のウエストウッド》
その名を聞けば、悪党は酒場を出て逃げる。
それほどまでの伝説だった。
しかし。
「……二日前か。」
エレノアは馬を止めると、砂の上へ静かに降り立った。
しゃがみ込み、指先で乾いた土をなぞる。
馬蹄の跡。
五頭。
砂の崩れ方。
乾き具合。
「二日前……五頭。」
小さく呟く。
「追いつけそうだ。」
追っているのは、西部中に悪名を轟かせる強盗団――アウトレイジ・バンチ。
列車を襲い、銀行を襲い、保安官すら返り討ちにした無法者ども。
賞金は一人五百ドル。
団長の首なら二千ドル。
「逃がしゃしない。」
革の水筒を取り出し、一口だけ水を飲む。
喉を潤す程度。
荒野では、一滴の水が命になる。
帽子を深くかぶり直し、再び馬を進めた。
◇
一時間ほど進んだ頃だった。
地平線の向こう。
陽炎の揺らめきの中に、小さな人影が立っていた。
エレノアの表情が変わる。
無意識に右手がホルスターへ伸びる。
異常なし。
続いて鞍からライフルを抜く。
片手だけで軽々と回し、レバーを一度鳴らす。
カシャン。
乾いた金属音だけが荒野へ響いた。
馬をゆっくり歩かせる。
距離を詰める。
百メートル。
八十。
五十。
そして見えた。
「……女?」
そこに立っていたのは、銀髪の女だった。
長い銀髪。
整った顔立ち。
雪のように白い肌。
豊かな胸。
くびれた腰。
長い脚。
この世界の価値観では、これ以上ないほどの醜女。
奇妙なのは服装だった。
鮮やかな花柄。
帯で締めた東洋風の衣。
『キモノ』と呼ばれる衣装だろうか。
そんな格好で荒野にいる人間など見たことがない。
しかも。
ふらふらだ。
今にも倒れそうなほど青い顔をしている。
女はエレノアを見ると、力なく右手を上げた。
「……お主……。」
声までかすれている。
「なにか……食べるもの……持っておらんかの……。」
そのまま前のめりに倒れた。
エレノアは慌てて馬から飛び降りる。
ライフルは構えたまま。
「……おい。」
返事はない。
「お前、何者だ。」
女は薄く目を開けた。
どこか底知れない笑みを浮かべる。
「わしか……。」
一拍置いて。
「ツボニールじゃ。」
名乗った。
それだけだった。
◇
夜。
満天の星空の下。
焚き火の炎が静かに揺れていた。
ダッチオーブンから立ち上る湯気。
煮込まれた豆と豚肉の香りが夜風に乗る。
「ほら。」
エレノアは木皿にポークビーンズを盛ると、ツボニールへ差し出した。
「食え。」
「……すまんのう。」
ツボニールは両手で皿を受け取り、一口。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
「ほう。」
もう一口。
「なかなかいけるではないか。」
「そうか。」
エレノアも自分の皿によそいながら笑う。
「これも食え。」
ビスケットを放る。
ツボニールは器用に受け取った。
「よいのか?」
「何がだ。」
「賊を追っておるのであろう?」
その言葉に。
エレノアの手が止まる。
「……。」
ゆっくりと腰へ手を伸ばす。
ホルスター。
しかし。
「……ない。」
拳銃がない。
一瞬で立ち上がる。
ライフルへ手を伸ばそうとしたその時。
「これか?」
ツボニールが、人差し指と親指だけで拳銃をつまみ上げていた。
「……ッ!」
エレノアの目が見開かれる。
「お前……いつの間に。」
賞金稼ぎとして十年以上。
背後を取られたことなど、一度もない。
それなのに。
まるで子供から玩具を取り上げるように。
気付かれず、拳銃を抜かれた。
エレノアはゆっくり立ち上がる。
ライフルを構えた。
蒼い瞳が鋭く細められる。
「奴らの仲間か。」
焚き火を挟み。
二人が向き合う。
夜風だけが静かに吹き抜けた。
ツボニールは肩をすくめる。
「奴らが誰かは知らぬ。」
そして微笑んだ。
「じゃが、敵ではない。」
一拍置く。
指先で拳銃をくるりと回し、そのままエレノアへ放った。
エレノアは反射的に受け取る。
「安心せい。」
ツボニールは焚き火の向こうで、どこか愉快そうに笑う。
「それにな――」
その瞳だけが、一瞬、底知れぬ深さを帯びた。
「これでは、妾は殺せまい。」
エレノアの背筋に、荒野の夜風よりも冷たいものが走った。
この女は何者だ。
賞金首か。
詐欺師か。
それとも――本当に、人ならざる何かなのか。
「あの胡散臭い神様はいったい何者なんだ?」と思った方へ。
ツボニールの正体や、エレノアと圭介の縁が結ばれるまでの裏側は、拙作『狂乱の聖女は、担任教師を運命の恋人だと思い込んでいる。』第69話・第82話・第83話・追記2で描かれています。
同じ世界をつなぐサイドストーリーとして、お楽しみいただければ嬉しいです。




