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球技大会二日目。一回戦の一試合目。鏡は選手でごった返す体育館の入口に来ていた。狭い空間での人の圧迫感は鏡を不快にさせるがなんとか吹雪を探し出そうとする。
探し始めるとどうだろう。吹雪はいとも簡単に見つかった。いつもハープアップの髪をポニーテールにした吹雪が同じクラスメイトと思しき女子生徒と楽しそうに話していた。
「吹雪。」
鏡はさして大きくない声で吹雪を呼ぶ。人が多く届くかわからない声。こちらを向くか怪しかったが吹雪はすぐに鏡へと顔を向ける。
「鏡。――ごめんなさい。ちょっと待ってて。」
友達に謝り、人を掻き分けながらやってくる。鏡の目の前まで来た吹雪は笑顔ですこぶる機嫌がいい。
「鏡!応援に来てくれたのね。」
「ああ。応援はもちろんだけど――――はい、これ。忘れてたぞ。」
吹雪の目の前でヘアゴムを見せる。吹雪は驚きながらそれを手に取る。
「良かったあ~。失くしたかと思っていたのよ。まさか鏡の家に忘れているなんて。」
そう言って吹雪は髪を結んでいた綺麗なヘアゴムを外すと鏡から受け取ったヘアゴムで綺麗に纏め直した。
「どう?変になってない?」
ポニーテールにした髪をこちらに向けてくる。綺麗な髪がそれに合わせて揺れる。
「大丈夫。おかしくない。似合っている。」
素直な感想を漏らすと吹雪は優美な笑みを浮かべる。
「そう。なら良かった。あ、そろそろ試合が始まるわ。鏡は二階から見て応援してね。じゃあね。」
友達の元へと戻って行く吹雪を見て鏡は二階へと上がって行く。
「吹雪ちゃん。さっきの人誰ー?」
吹雪の友人の立川愛生が興味津々に吹雪に訊ねる。
「内緒。」
人差し指を口へと当てしーっと音を出す。
ただの友達ではないと思った愛生のテンションが上がる。色恋の話題として吹雪はよく上がるが特定の相手のいない吹雪にまさかの相手がいたとあっては無理もない。
そう思い拳を握っていると軽く頭を叩かれる。
「なーに勝手に妄想してんだか知らないけど一人で盛り上がらないこと。まだ分からないんだから。」
そう言うのは堂守要。ため息を吐きながら肩をすくめる。
「で、どうなの吹雪。」
愛生を叩いていたが要も同じように気になっていた。
「同じく内緒よ。」
鏡のことはまだ教えない。もっといいタイミングで一斉に教えたいのだ。まあ、さっきのやり取りは結構人に見られていたから変な噂は出そうだけども私が否定すればいいし、鏡は全然認知されていないからそこは安心していいわね。
「内緒とか言ってるけど本当はただの友達とかそんなところでしょ。」
「大正解よ。さすが要ちゃん。」
要の言う通り鏡は吹雪にとって友達だ。騎士だ婚約者となっているが友達であることに変わりないのだ。偶然だろうが見事言い当てる要に賛辞を送る。
「むー、絶対違うよあれは!異性間であんな見つめ合い方恋人かそれ以上じゃないと……。」
吹雪の否定の言葉を聞いてもまだ疑っている愛生。別に間違いではない。仮初とは言え、鏡と吹雪は婚約者なのだから。
「はいはい、わかったわかった。ほら、試合始まるから行くぞ。」
むくれる愛生を引きずるりながら要が体育館へと入る。それを笑いながら吹雪も続いてはいる。
体育館は二階のギャラリーに沢山の生徒が隙間なく群がっており、大変騒がしい。
吹雪は自分のクラスの応援席の端に鏡がひっそりといるのを見つける。
小さく手を振れば鏡も片手を上げて返してくれる。それに加えて
「皇さーん!頑張ってー!!」
クラスメイトが大きく手を振って応援してくれる。手を振ったつもりはないが笑って返す。それだけでクラスメイトは喜ぶ。
――ほんと、皇の名前は邪魔ね。
「両チーム並んでください。」
沈んだ思考を晴らすように審判の声が体育館に響く。
審判の声に従って並ぶ。挨拶を交わしジャンケンでサーブ権を決める。校内の特別ルールで十二点先取で勝ち。十一点で同点になったとしても先に十二点目を獲得したチームの勝ちだ。
サーブ権は向こうのチームの物となる。
全員で誰がどこを守ってもいいように練習してある。
ホイッスルの音が響くと同時にボールを高くあげる。自然と低く構える。
鏡が応援に来ている。鏡の前で無様な格好は見せられない。
ただ一つのボールへと意識を集中させた。
例えば、プロ野球選手の豪速球と単に力があるやつが投げたただ速い球は完全に違う。前者に技術と年月が篭っている。それは、その人のみに与えられた、いや勝ち取ったものであって誰も真似出来ないものだ。
それは高校生レベルと言えど同じことが言えるだろう。たとえ練習したからといって経験者、または今もなお勝負事に身を置いている者に少し身体能力が高いだけだからといってちょっと頑張って練習したからと追いつけるものだろうか。ましてバレーボールでまったくの初心者だった者が軽々飛び跳ねスパイクを決めるだなんて誰が想像しただろうか。
鏡は目の前の光景に驚くしかなかった。それは他の生徒も同じだろう。
吹雪のコートでは経験者と思しき人がトスを上げる。そのボールへ向かって飛ぶのは水色の髪を持った生徒――皇吹雪。
勢いよく振り下ろされた腕はボールの芯を捉え、綺麗なスパイクが決まる。
体育館が歓声で湧く。
吹雪はチームメイトとハイタッチをしていく。その手首には無骨なブレスレットと言うより腕輪と形容すべきものが着いている。『遮断器』と呼ばれるもので精霊の加護を一切無くすもの。つまりただの人へと戻す装置。球技大会中、試合中の生徒は全員身につけている。
一般的に精霊使いは身体能力が低いと言われている。らしい。最近知ったばかりだが。契約した精霊の加護が意識しなくとも働いているらしく普通と思っていてもそれは補助がついたもので地力がつかないという。最近それが問題視されて学校の体育でも『遮断器』導入されたと。俺の地元にはなかったが。
だが、吹雪の運動神経は今は飛び抜けたものになっていた。実は昔は加護がない状態では走るのも遅く体の動かし方さえなっていなかった。中学生の時は鏡達と同じように山を駆け回れるようになっていたがこうして離れたところから見るのは久しぶりだった。
遠くから見た昔の吹雪と変わり羽が生えたように動く吹雪を見て感慨に浸ってしまう。
当の吹雪は鏡からの温かい眼差しを感じて少しばかり拗ねていた。親目線なのだ、鏡は完全に。
それでも鏡の驚いた顔を思い出して悦に浸る。
拗ねていても仕方ない。目の前の相手に集中しようとすると相手コートから鋭い視線を感じる。可愛らしい少女が射殺さんとばかりに睨んでくる。明らかに敵意ではなく殺意。対戦相手だからという訳ではなさそうだ。
吹雪は他の人から分からないようため息を吐く。
基本《御三家》としてまた精霊使いとして人から尊敬または敬遠されることの多い吹雪だが、やっかみ、妬み、嫉みがない訳では無いがここまでは久しぶりだった。何が彼女の癇に障ったかはわからないが敵意を向けてくるなら結構。全力で相手をするまでだった。
構えて相手をじっと見据える。低い体勢で一部の隙もない。
――――全力でねじ伏せる!
マッチポイント、吹雪のチームメイトのスパイクが相手コートに綺麗に決まる。
ホイッスルが響き渡り試合終了を告げる。
試合は圧勝だった。サーブミスがあるだけで相手に点をほとんど与えなかった。
反対側の応援席から自分のクラスの応援席を見てたが途中から声援が小さくなったのがわかった。終いには吹雪のクラスのスパイクが決まる度に歓声を上げてた。勝てないとすぐに気づいたみたいだ。
鏡は立ち上がり伸びをする。コートの方を見ると両チームが礼をしていた。自分のクラスのコートを見ると早苗がじっと吹雪の背を見ていた。なんとも嫌な予感がして刀に触れると早苗に微かだが黒いもやが漂っているように見えた。見間違いかと思い目を一度擦り再度目を向けると消えていた。
見間違いと分かり安堵する。
何か心に引っかかるものを感じながら鏡はギャラリーを後にした。しばらく吹雪の試合がないので一旦教室に戻る。
教室は意気消沈としていた。
「あー、ぐやしい!ぐやしいけど、負けたのも納得する!清々しすぎるよー!」
悔しさと清々しさで心がグチャまぜになって声を発したのは雛だった。
鏡は誰か思い出せなく少し申し訳なかった。
他のクラスメイト慰めればいいのか肯定するればいいのかわからず苦笑いしていたがみんな同じ気持ちで、負けても納得してしまうものだった。
「ほらほらー。みんな落ち込まないでー。もう少しで俺達の試合もあるんだからさー。」
信治が手を叩いて場を盛り上げようとする。
「そうだよ!男子の試合があるんだから!みんなでちゃんと応援しようよ!」
早苗もここぞとばかりに信治に便乗する。
「応援しよう!私たちの雪辱を晴らしてー!」
雛が信治の背中を叩く。げほっと信治が噎せる。なかなかの強さみたいだ。みんなの士気が上がって来たところで早苗が鏡の方を見て怪しく笑う。
「そういえば試合の時見えたんだけど――――鏡くん相手の応援席にいたよねー?」
「ん?ああ。友達がいるから応援してくれって言われたから。」
鏡は正直に答える。嘘を言う必要を感じていないからだ。
「えっ!?鏡くんクラスメイトより友達を優先したの……?それも相手チームなのに……?」
悲しみを帯びた非難の目を向けてける。それは早苗だけに留まらずクラスメイトにも広がっていく。中には応援に行かなかった生徒まで。けれど鏡は甘んじてそれを受け入れた。事実、鏡はクラスメイトの応援よりも吹雪の応援をしていた。この事は揺るがない。
「うん。俺にとってそっちの方が大事だったから。次は男子の応援だよね。それには行くよ。試合が被ってないから。」
あっけらかんと言い放つ。それによりさらに鏡を見る目が鋭く冷たくなる。それに耐えきれなくなったのは元気だった。
「応援はこ――――」
「応援をする義務ってないよね、そもそも。それは個人の自由。確かにクラスメイトとして団結力を高めることって重要だけどクラスメイトが一番って訳じゃないはず。」
元気の言葉を遮るように急いで言い切る。ここで何かを言えば元気にまで非難の目が向いてしまう。それは避けなければ。
早苗が冷たい目で鏡を見下ろす。背は早苗の方が低いはずなのに見下ろされているような気分になる。
「鏡くんってけっこう酷い人なんだね。いいよ、みんな行こう。鏡くんなんて置いて。」
早苗が先頭を切って教室から出て行く。それに続いてクラスメイトもぞろぞろと出て行く。
教室には鏡と元気、それに信治と一人の女子が残った。
「鏡!どうして俺を庇ったんだ!」
開口一番元気に怒鳴られてしまう。どうして怒られたか皆目見当のつかない鏡は頭を捻る。
「あの時俺の言葉を遮っただろ!別に他の奴に嫌われたって気にしないってのに。」
「元気が嫌われるのは違うだろ。俺は事実吹雪の応援に行ったんだ。それはどうあってもかえられないことだ。それに元気は関わっていない、そうだろ。」
少しキツめに反論をする。無関係の人間が嫌われるのはおかしい。元気じゃなくとも鏡は遮っていた。
「まーまー、二人ともそこまで。お互いがお互いを思ってるのはよーく分かったから。応援するんでしょ次の試合は。だったら早く行かないと。てか、俺選手だった!ごめん!先行ってるねー!」
慌てて信治が教室から出て行く。信治のおかげで二人の間の空気は和らいだ。
「悪かった鏡。怒鳴ったりして。」
「いいよ。俺のためを思ってだろ。」
「鏡……。お前良い奴だよ、ほんと。」
しみじみと褒めてくる元気に頭を振る。どう考えても優しいのは元気だ。不利益を被るわかっているのに庇ったんだ。これを優しくないと言わずなんと言う。
それを伝えると元気が熱い抱擁を交わしてきた。
「お前やっぱり男前だな!」
バシン!と音がなるほど強く叩かれる。一瞬呼吸が止まった。
男前なのか……?自分では当たり前のことを言ったつもりなんだけどな。それに男じゃないしな。
こういう時騙している罪悪感が心を襲ってくる。
「ねぇーねぇー。むさ苦しい友情確認し合ってるところ悪いんだけど私 の存在にも気づいてくれなーい?」
女の呆れた声がする。二人は離れて声のする方を見ると笑顔の女子生徒が立っていた。棒付きキャンディを舐めているのか口から出ている白い棒がやに目立つ。
「やーっとこち見た。どうも新保雛でーす!いやー藤川くん大変そうだねー。早苗に目を付けられて。」
人の悪い笑みを浮かべて鏡を見てくる。哀れんでいる様ではなく単純に面白い、愉快、といった風だ。
「何が目的だ新保。」
鋭く雛を睨みつける元気。不信感を前面に出し鏡が驚く。だが雛はまったく気にした様子はなく飴をぼりぼりと噛み砕いている。
「館林くんは相変わらずだねー。べっつに私早苗や早苗の傀儡と同じよーうに藤川くんを責めたりしないよ。」
「傀儡って他のクラスメイトのことか。酷い言い方だな。」
「だって事実それみたいなもんだしー?館林くんは気づいているでしょ、明らかに早苗に都合のいいように動いているってこと。」
飴のついていない棒を元気に差し向ける。元気の眉間にしわがよる。
「新保は傀儡?というか操られていないのか?」
「はあー、馬鹿じゃないの?操られていたならこんなこと言わないでしょ。」
身を翻してゴミ箱に近づいて棒を捨てる。そしてポケットから新しい棒付きキャンディを取り出して包み紙を捨て口に咥える。
「まあみんな操られているってわけじゃないけどね。印象操作ってところかな?てかそれぐらいしか出来ないんだよねー。」
「印象操作?もしかして希樹は心理学に精通しているのか?」
「んーん。そんなわけないよ。だったらあんな馬鹿みたいなことしない。もっと単純だよ、館林くん。」
元気は顎に手を当てて唸り始める。鏡も一応考えてみる。
単純なこと。さっき新保は印象操作って言ってた。さらにもっと前には都合のいいように動いている、と。
鏡はなけなしの知識を振り絞る。しかし、鏡の知識は自然に対するものが多く野草の知識は役に立つはずはなく、吹雪との会話や教えられたことを必死に思い出す。そしてある一つのことに思いたる。
「魅了の精霊……?」
昔吹雪に精霊にはどんなのがいるのかと訊ねた時何故かわからないが真っ先にこれを教えられた。理由は珍しからだそうだ。
「いぐざくとぅりー!まさかの藤川くんが大正解するなんて!あんまり精霊について詳しくなかったんじゃなかったっけー?」
棒付きの飴を差し向けてくる。表面は濡れていて少し光っている。汚いな、と眉を顰める。
雛は鏡のそんな様子も気にすることなく飴は向けたままだ。
鏡が世間もとい精霊に関して疎いことはすぐにクラスの全員が知ることとなった。精霊学の授業で基本的なことにすら答えることが出来なかったのだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいや。そう、魅了の精霊。早苗が中学生の時契約したみたい。」
「どうしてそんなことを新保が知っているんだ?」
「自慢げに本人が教えてくれたの。魅了の精霊って珍しいじゃん。たぶんそれで。」
「魅了の精霊ってそんな珍しいのか?」
素っ頓狂な声で鏡が訊ねると四つの呆れた目が向けられる。
「鏡……お前……。」
「なーんかアンバランスな感じ。もしかして知らないふりでもしてるの?」
元気は呆れて額に手を置き、雛は少し苛立つように言葉を投げかけてくる。
「魅了の精霊っているってことだけは分かっているの。でも資料が圧倒的少なくて本当は居ないんじゃないかーっていう説を唱える人もいるくらいなの。わかった?」
飴を向けられながらきつく言われ鏡は慌てて首を縦に振る。この学校に来てから鏡は自分のモノの知らなさを思い知らされてばかりいる。
「そんな稀有な精霊と契約した早苗はちょっとおかしくなったの。そう、どこかおかしくなったの……。」
言葉に覇気が無くなっていく。腕もだらりと落ち、肩も沈んでしまう。
「元から人にちやほやされるのが好きな子だったけど今回藤川くんにしたみたいに誰かを貶して陥れるようなことはしてなかった。努力をしてそれで自分から人を傷つけることなんてしなかったのに……。どうして……。」
「新保……。」
「新保さん……。」
目を伏せ飴のついた棒を強く握りしめている。
「本当にごめんなさい。私が謝って済むことじゃないけど、あれでも親友だから。ごめん。」
悲愴感と震えた肩が思いの丈を伝えてくる。心から早苗を思っているのだと十分に分かる。
「新保さん。」
雛に呼びかける。
友達を思っている。それはわかった。だからこそ言わなければならない。
「新保さんが謝ることじゃない。」
そう、新保さんが謝ることじゃない。
新保さんが俺に何かをした訳じゃない。もし謝るとしたらそれは希樹さんであるはずだ。
新保さんは自分が謝ることで希樹さんを止められなかった罪悪感を晴らしたいだけなんだ。
「本当は分かっているんでしょ。新保さん。希樹さんをどうしたい?」
鏡は真剣な顔で静かに問う。暫く黙っていた雛は伏せていた目を上げる。その瞳は救いを求めているが強い意志が宿っている。
「私は……私は――!また昔みたい早苗と帰りたいだけなの!」
早苗がおかしくなるほど雛とは親密な付き合いがなくなっていった。他の人よりは会話はする。他の人には話さないことも話してくれる。けれども目が合うことがなくなった。手が触れることがなくなった。並んで帰ることがなくなった。
それが何よりも悲しかった。寂しかった。
心からの叫びに鏡はにっこりと笑う。
「じゃあ希樹さんを昔の頃に戻さないとね。」
優しい声で鏡は告げた。
人物紹介とか必要ですかね……?
もし要望があった際は簡単なものを割り込み投稿で一話目に据え置くようにはしたいと思っています。