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鏡は学校を後にしてから吹雪と落ち合う予定の公園へと向かった。まだ、吹雪は来ておらず鏡はベンチに腰を下ろした。公園には桜の木があり花びらがヒラヒラと落ちている。
それを眺めているとピンクの淡い光の玉がこちらに漂ってきた。
手のひらを村といた時と同じように差し出す。
ゆっくりと光の玉が鏡の手のひらへと近づき、光が触れた瞬間鋭い痛みが走り、鏡は思わず手を引っ込めた。
何が起きたのか分からず光をじっと見つめていると、光が揺れ強く輝き始めた。それと同時に桜の木が大きく揺らめき大量の花びらが地面へと落ちる。
花びらはそこからゆらゆらと浮かび上がり鏡へと襲いかかる。
鏡はベンチからすぐさま離れ花びらを躱す。ベンチは花びらでピンク色に染まった。鏡は取りいつでも花びらが来てもいいように構える。突然のことで頭が着いていかないが敵意を確かに感じる。
また光が強くなる。ベンチの花びらが意思を持っているかのように鏡へと向かってくる。鏡は躱し続けながらどうして襲われているか考えていた。
精霊が意味もなく人を襲うことはない。つまり鏡はあの精霊もしくはあの桜の木に何かをしてしまってそれの報復を受けていると推測出来る。しかしその何かが全く鏡には思い当たらず困惑する一方だった。むやみに精霊を傷つけるわけにもいかずひたすら避け続けていく。いつか精霊の怒りが消えるのではと思っていると
「鏡!? 何しているの!」
最悪のタイミングで吹雪が公園にやって来た。
そうだった。待ち合わせをしていたんだ。これはまずい。
「吹雪ここから離れろ!巻き添えを食うぞ!」
吹雪にそう返すと花びらが吹雪へと向かっていく。
それを見て鏡は吹雪を守ろうと吹雪の前へと出る。
「何があったかはよく分からないけど――氷麗。」
花びらが鏡と吹雪へ向かって来る。何が起きているのか理解をした吹雪は自身の精霊の名を呼ぶ。
「凍りなさい。」
吹雪が花びらを見定めて一言放つと花びら一つ一つが凍りつき地面へと落ちた。精霊は突然花びらが凍り慌てる。しかし鏡には光がくるくる回っているようにしか見えない。
「契約している精霊ではないみたいね。これは保護対象になるわ。――凍れ。」
精霊がその場から逃げようと離れるが吹雪よって氷漬けにされそのまま地に落ちた。
吹雪は精霊が閉じ込めてある氷を拾うとスカートのポケットへと入れた。
「いいのか精霊をそんなふうに扱って。」
鏡が不安から訊ねる。精霊を傷つけるのはあまり良しとはされていない。
「鏡には分からないだろうけどあの精霊普通の状態じゃなかったのよ。現に理由もなしに鏡を襲ったのでしょう。もし鏡が何かしてたとしてもこの精霊は普通じゃなかった、それは確かよ。」
ポケットに手を当てながら答える。
「普通じゃないってどういうことだ? 俺には全く分からなかったけど。」
鏡の目からはいつも通りの光の玉にしか見えなかった。突然理由もなく襲ってきたということ以外は。
「普通の人には分からないわ。この精霊《毒》に犯されていたの。毒に犯された精霊は体の一部、もしくは全てが爛れているの。精霊使いは精霊の姿をしっかり捉えることが出来るから一目で分かるけど鏡みたいな普通の人は分からないわ。けれど進行が進んで《毒》が精霊の体を形成し始めると普通の人でも光が黒いもやを纏って見えるみたいよ。」
吹雪が真剣な目で答える。その目には怒りが宿っている。
「最近この《毒》に犯された精霊が意味もなく人間や動物、同族の精霊までも襲うといったことが起きているの。」
「その《毒》って一体なんなんだ。精霊は病魔といったものには基本無縁だろう。」
精霊が病気にかかることはない。また精霊に死というものはなく自然消滅しかない。自然消滅は死ではない。違いは俺にはよく分からないが。
「《毒》については現在調査中。今《御三家》と《七色》が懸命に研究しているところ。現段階で《毒》に犯されている精霊が現れているのは日本の主要都市のみ。特にここは多いから気を付けてね。」
「気を付けろって言われても精霊を見ることが出来ない俺には見分けがつかないから下手に攻撃とか出来ないぞ。」
鏡自身至極真っ当なことを言ったつもりだったが吹雪は呆れ顔を返してきた。
「はあ……鏡、一体なんのためにあなたに《精霊器》を渡したと思っているのよ。あれを持っていれば私たち精霊使いと同じように精霊を見ることが出来ることは知っているでしょう。」
窘めるように鏡に言い聞かせる。
《精霊器》とは精霊使いが物体に精霊の加護を宿したもので精霊使いが認めた者にしか扱えない。鏡は《精霊器》と言われて思い当たる節が一つだけあった。
「え、まさかこの間突然寄こした刀が《精霊器》とか言わないよな。」
鏡の言葉を聞いて吹雪が愕然とする。鏡がこちらに引越してすぐ吹雪から日本刀を一振与えられていた。鏡は扱い自体は知っているが持ち歩こうなどと思うはずもなく現在鏡の借りている部屋に飾られている。
「あ……、あんたっていう奴は……!前々から思ってたけど精霊に関しての知識が乏しすぎるのよ!」
吹雪がこう言ってしまうのも無理ない。鏡ほど知らないという方が珍しいのだ。精霊が世間一般に認知され長い時が経った。すでに一般常識となっている。
「仕方ないだろ。お前も知っての通り俺の地元で精霊使いはそんないないし、《精霊器》なんて存在しないような所だぞ。」
「はあ……。知ってたけど、知ってましたけど。それでも気づいて欲しかったのよ。とりあえず今後その刀は持ち歩くこと! 分かったわね!」
吹雪が鏡に指を突きつけ注意する。吹雪は普通に知っておいて欲しかった。騎士であるなら。
「善処する。」
銃刀法に引っかかるから持ち歩かないけど。心の中で答えたことと反対のことを考える。だがそれも
「《精霊器》は銃刀法に引っかからないから持ち歩きなさいよ。」
10年以上付き合いのある吹雪にはお見通しだった。
「……わかった。持ち歩くよ。」
観念した鏡は渋々納得すると吹雪は満足気な顔をした。吹雪が嬉しそうなのでまあ、良しとした。
「――さて、予想外のアクシデントにあったけど本来の目的を果たさないとね。」
「そう言えば今日呼んだのってなんなんだ?」
「黒桐家から鏡を連れて来いって言われてね。それで呼んだのよ。」
「げっ! 黒桐の本家に行くのか!? そうか、この近くに本家があったな……はあ……。」
鏡は思わずため息をついてしまった。黒桐とは七色の内の一家で皇家に仕えている家だ。
そも《御三家》とは現在の日本を支えている精霊使いの家系だ。神木家、聖川家、皇家だ。皇から分かる通り、吹雪は皇家の一人娘。皇家は代々一子のみで皇家の直系は異常なまでに精霊に好かれる。契約せずとも力を貸してくれるという、精霊の支配者とも影で呼ばれている。
では《七色》とは。七色は《御三家》に仕える家である。藤白、黒桐、紅井、蒼月、緑山、浅黄、紫崎の七つの家がありそれぞれ別の立場で《御三家》を支えている。
黒桐は皇家に仕える家で皇に仇なす者を決して許さず皇に絶対の忠誠を誓っている。
同じ《七色》で黒桐家と同様皇に仕える藤白家があるが現在藤白家は解体され、消えている。
そして今その《七色》の黒桐家の本家に鏡と吹雪は来ている。
「お待ちしておりました皇様。」
黒桐家の門前の一人の青年が恭しく吹雪を迎えた。丁重なもてなしに吹雪が嫌そうな顔をする。
「変に私を持ち上げるのは止めなさい静。」
吹雪が態度を改めるように言うと青年は面白そうに口角をあげる。
「はいはい。分かったよ吹雪。久しぶりだな鏡。」
二人を出迎えたのは黒桐静。黒髪を後ろで束ねており妙な色気がある。
「久しぶり静。今日俺を呼んだのはじい様か?」
じい様とは静の祖父で前黒桐家当主。穏やかな人物で鏡は非常に好いていた。
静がにやりと笑う。鏡は嫌な予感がしてならない。
「残念だな。呼んだのは当主だよ。ついてこい当主が待っている。」
嫌な予感は的中した。鏡は静の父が苦手だ。
静に案内され家の中に入る。昔ながらの日本家屋で天井が低い。170もあるとどうにも狭く感じる。
静についていき奥の部屋へと辿り着く。そこには当主である黒桐流が正座で待っていた。
「皇吹雪様とその騎士、藤白鏡様を連れてきました。」
静が先程とは打って変わって抑揚のない声で当主に報告をする。
藤白――何故かこの家では俺は藤白と呼ばれる。
鏡は何度も訂正をしたがついぞそれは叶わず諦めた。
「本日はお越しいただきありがとうございます。どうぞこちらにお座りください。」
穏やかな声が響き渡る。俺はこの声はとても好きだ。
流の向かいには座布団があり奥から静、吹雪、鏡の順で座る。
「此度は藤白様がようやくこちらの学校に転入されたことをお祝い申し上げるためお呼びさせて頂きました。」
軽く頭を下げ鏡の転入を祝う。鏡はたかが転入で大袈裟ではと思ってしまう。
「祝いの席も設けていますので、夕餉はぜひこちらで召し上がってください。」
「わざわざありがとうございます。」
ご飯がいただけるのはありがたい。鏡は反射的に頭を深々と下げた。
「それで今日お呼びしたのはどういった用件ですか。まさか鏡のことを祝うためだけ、ではないでしょう。」
吹雪は流を真っ直ぐ見据える。流は一度目を伏せ息を吐く。
「吹雪様は知っておいででしょうが、近頃《毒》に犯された精霊が無意味に人を襲うといったことが増えています。《毒》が人為的に作られたものであることは判明しましたが、未だ犯人は見つかっておりません。また、《毒》に犯された精霊を助ける手立ても一切なく光の精霊使いを頼るほかないですが、それではきりがありません。今後被害は増え続けるかと思います。今後もし《毒》に犯された精霊を見つけた際は保護をし御三家もしくは《七色》に伝えてください。こちらで《毒》の解明をしたいので。ご協力お願いいたします。」
鏡は話を聞かされ公園で出会った精霊を思い出し、鏡のポケットをちらりと見る。そこには氷漬けにされた精霊がいる
「藤白様。どうかお気をつけてお過ごしください。」
黒桐家の庭で夜空を眺める。星の少なさに物寂しい気持ちになる。
晩ご飯は祝いということもあった豪華なものだった。あまりの美味しさに脳みそが美味しいという感情以外発しなくなるかと思った。
「鏡、何してんだ。」
静に声を掛けられ後ろを振り向く。振り向いた先には風呂上がりなのか髪の毛が濡れた静がタオルを肩にかけこちらに歩いてきていた。
「星を見ていただけだ。そろそろ帰らないとなって思って。それと静、お前髪はちゃんと乾かせ。風邪ひくぞ。」
「別にこれぐらいじゃ風邪はひかない。それよりももう帰るのか。泊まっていけばいいのに。」
「そういうわけにはいかない。家に取り込んでいない洗濯物がある。」
夜中に雨でも降ったりしたら絶望ものだ。もう一度洗うはめになる。
「そっかお前一人暮らしか。それじゃあ次会うのは学校か。」
「そうだな。ま、クラスが違うから会えるか分からないけど。」
鏡は四組で静は一組だ。わざわざ会いに行こうとは思わない。さらに鏡は騎士、静は精霊使い。ますます機会は減っていく。
「なあ、鏡。」
「ん? 何だ。」
静の真面目な声音に気付かず鏡は呑気に返事をする。
「どうしてお前がここで藤白って呼ばれているか分かるか?」
「いや、全く。」
それは鏡がここで一番知りたいことでもある。
「もしかして俺の祖先が藤白なのか? 一文字違うだけだし。」
違うと分かっていてもそれぐらいしか理由は思いつかない。
「分からないならいい。でもお前がこのまま吹雪の騎士であるならお前は藤白と呼ばれる。特に《御三家》と《七色》からは。もしかしたら敵意すらも向けてくるかもしれない。」
「敵意って昔のお前みたいにか?」
意地の悪い顔を向ける。鏡は昔静にかなり嫌われていた。色々あって今は良い友人となったが。
「……そのことは忘れろ。本当は俺が騎士になるはずだったんだ……。」
静の言葉に鏡は何も言えなかった。静がどれほど吹雪を慕い、騎士であろうとしたのか知ってしまった今は何も言えない。
「でも、お前が吹雪の騎士なってよかった思っている。鏡。改めて聞くぞ。――お前は誰の騎士だ。」
静に認められてから何度も訊かれたことだ。迷うことは無い。
「俺は吹雪の騎士にして、吹雪の友だ。たとえ大を捨てることになったとしても吹雪を守る。」
何度も何度も言ってきた台詞。この気持ちに嘘偽りなど一つもない。吹雪の真っ直ぐの瞳に静は目を細める。
「ああ……やっぱりお前は藤白だよ。」
羨ましげに悲しそうに静は呟いた。