24
既に7月になりカラッとした天気が続くこの頃。鏡はある悩みを抱えていた。この悩みは以前も抱えていたものがまた再発したのだ。一度解消したのでもう二度とならないと思っていたのになってしまった。そう、《精霊器》が抜けなくなった。いや、まさかこねはちょっとまずいと息を吐いた。
「俺鏡くんと一緒のチームにはなりたくないなー。」
人の机頭をのっけてそう言い放ったのは信治だった。放課後暇な信治が鏡の前の席に座ったのだ。
「悪かったな《精霊器》扱えなくて。」
「また使えなくなってほんとどうしたのー?」
そんなの俺が知りたいと鏡は思った。そもそもどうして使えたのか分からなかったのだから当然かもしれない。また使えるかも怪しく不安になる。
「まあ交流会は俺と同じチームにならないことを祈るんだな。元気とかどうだ?」
「げ、元気くんはね、はぁ……。」
何故か目を泳がす信治に首を傾げる。元気なら強いのに何か問題でもあるのか?
「鏡くんは知らないだろうけどめっちゃ強いんだよ元気くんは。でも、戦ってる時いつもニッコニッコで怖いのー。」
「楽しいだけなんだろ?」
「ま、まさか鏡くんも戦闘狂!?」
そんな訳あるかと返して席を立つ。特に部活にも所属していないのであとは帰るだけだ。信治も続いて荷物を持って立ち上がる。教室の扉へと向かおうとそちらを見ると真っ赤な髪の自分と同じくらいの歳の少年が立っていた。激しい剣幕で鏡を睨んでいる。しかし覚えのない人物で少し見入ってしまう。
「お前が藤白鏡か?」
突然見知らぬ人物に訊ねられる。藤白と呼ばれ静の家、黒桐家でのことを思い出す。《御三家》《七色》は藤白と呼んでくるかも知れないということを。しかし、藤川という苗字である事は事実。藤白ではない鏡は単純に自分の名前を間違えられるのは気分が良くない。
「違う。藤川鏡だ。」
少し不機嫌に返すとギッと目を見開き鏡を睨みつける。その剣幕にたじろぎ一歩下がってしまう。
「そうか! おまえか! なら死ね!」
両腕から炎が今日に向かって飛んでくる。突然の事で避けるなど出来ず腕を顔の前に出し目を瞑る。熱が来ると思っていたがそれは少しもやってこない。
恐る恐る腕をどかして目を開けると水が盾のように鏡を守っていた。透けて見える少年の輪郭が朧気に揺れている。
「まったくこれだから紅井は品がない。耳障りな罵声に気持ち悪い顔。」
少年の背後から少女が現れる。短く切りそろえられた藍色の髪が艶を放っている。水はこの少女が出したのだろう。
「ああ!? うっせ! 引っ込んでろブス!」
ぐるりと紅井と呼ばれた子が振り返る。物凄い量の束ねられた赤い髪がもっさりと揺れる。
「ブス……? すぅー──。」
少女は息を少し吸うとにっこりと笑い紅井の横を通り過ぎて前に出る。
「──誰がブスだチビぃ!!! 」
突然の怒りの形相と怒声に鏡と信治は驚いてしまう。そして鏡の前にあった水の盾がうねったかと思うと鏡に向かって伸びてきた。
「鏡くん!」
「ぐっ、うぅっ!」
ギリギリと水に首を締め上げられる。水に絞め殺される。窒息だが水だから溺死になるのかと一瞬頭をよぎる。足が浮き一気に不安が押し寄せる。
「今助けるから!」
「おっと邪魔はさせねぇよ!」
鞭を取り出した信治に向かって炎を放つ。一瞬で炎に包まれてしまうが鞭を振るうとその炎が鞭にまとわりつく。
「突然人に向けて火とか火傷したらどーするのー? ごめんじゃすまないよー? 紅井焔さまー?」
へらへらと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「──ぶっ殺す!」
「ははは、無理だよ。」
炎の拳を振りかざし向かってくる焔と相対しながらも飄々としている。ぐるりと焔の手首に鞭を巻き付かせるとそこを支点にして宙を舞い鏡を掴む水に鞭を振るう。水は一瞬切れる。しかし、それは視覚で切れたように見えただけで途切れたところからすぐさま直っていた。
「やっぱり本人を狙うしかないかー。というわけで蒼月由依様たおれてくださーい!」
「炎の鞭ね。そんなもの。」
由依の元から水が線を描き現れ信治の鞭を払う。信治はへらりと笑い着地する。
「お前は俺が倒す!」
着地した信治を狙って焔が机や椅子を蹴散らしながら突進してくる。
「ちょ、まだ来るのー?! 蒼月に獲物とられるよ!」
「うるせぇ! それよりお前だよ!」
信治の目の前に焔が迫る。鞭を両手で強く張りガードしようとした時
「──何をしているのかしら?」
その声とともにに冷気が襲う。信治は驚き動きが止まる。しかし焔は違った。そのままの勢いで信治を吹き飛ばす。大きな音を立てて信治は床へ転がる。
「す、皇吹雪様……!?」
由依が声をした方を向いて固まる。水は既に吹雪によって凍らさられていた。鏡はそれを叩き割り開放される。
「けほっ、げほ──信治!」
地面に着いた鏡はそのまま焔に向かって蹴りをくらわそうする。
「おせぇよ!」
難なく鏡の足が掴まれる。そしてそのまま信治へと放り投げられ、信治にぶつかりお互い情けない声を出す。
「はは、藤白が自分からやられにくるとかついてるなあ? それにしても弱いなあ。」
悪辣な笑みを浮かべて鏡を見下ろす。指を鳴らしながら一歩一歩近付いてくる。
「焔さんに由依さん。私は聞きましたよね──何をしているのかしら?」
教室全体の気温が下がる。吹雪が静かに焔を睨んでいる。さすがに腕をさすりたくなるほどの寒さに焔も吹雪に気づく。そしてぱあっと笑顔になる。
「待っててください今すぐ藤白を始末するんで!」
「そこに藤白はいない! もしこれ以上なにかしでかすというのならあなた達を敵と見なします!」
腹からの怒声。本気の言葉だった。そして鏡もそうだが吹雪の怒った姿に全員が驚く。どこかバツが悪そうに焔は戦意をおさめた。
「焔さんそこからどいてもらっても、二人には近づかないよう。由依さんはそれを見張って下さい。」
「は? なんで由依に──いえ、なんでもありません。」
吹雪の鋭い睨みに大人しく従う。鏡を睨みながら由依の元へと離れていく。
「無様ね。」
「うっせ。吹雪様が相手じゃ無理だ。」
吹雪は二人に近づくと腰を落とす。
「ごめんなさい信治くん。知っていると思うけど鏡のことが知れ渡ってしまって。」
「あははー。別にいいですよー。嫌になったらとっとと逃げんるんでー。」
へらへらと笑って信治が笑うと吹雪は優しく笑って、ありがとう、と返した。
「──さて、鏡。相変わらず弱いわね。」
「仕方ないだろ。他が強すぎるんだ。」
少し拗ねる鏡を見てとそれすらも愛おしいかのように目を細める。それを見た隣の男は見てはいけないものを見た気分になる。
「なら頑張って強くなりなさい。私を守るんでしょ?」
からかうようを含んで言われムッとする。
「吹雪様。あなたがそのような弱い奴を騎士にして良いのですか。やはり、藤白など──。」
吹雪の言葉に反応して由依が物申す。しかし、それを聞いてまた顔から表情が消える。そして振り向き、大股で由依の目の前にと立つ。焔は知らねーっと少し離れた。
「由依さん。彼は黒桐に藤白と呼ばれたのよ。他家が口を挟むのは如何かしら。《七色》ごとき、私を誰だと思っているの。」
高圧的に一つ上の由依に言い放つ。それは普段の吹雪ではなく皇としての彼女だった。
「も、申し訳ありません。」
《七色》は《御三家》逆らえない。由依には謝ることしか出来ない。謝罪を受け入れ表情が戻り優しい顔になる。
「わかってくれればいいのよ。それよりも真さんがいつ来るのかって言っていましたよ。早く生徒会室に向かった方がいいかと。」
「あ! 真のこと忘れてた! おい、由依! 行くぞ!」
「は、ちょ、待ちなさい! その、最後に言いますがやはり藤白は許すべきではないかと。では、失礼します。──焔! 置いてくなあ!」
最後に忠告めいたことを残して由依も後を追いかけるように消えていった。
「──。」
ぽつりとなにか言ったのか吹雪の口が動く。しかし、離れていた信治と鏡には聞こえなかった。
「──さて。」
パンと手を打ってくるりと振り返る。
「保健室に行くわよ。怪我を治さなくちゃ。」
保健室に向い扉へと近づくと中から話し声が漏れていた。一人は新島祥子ともう一人のは男の声がだった。
「どうしてあなたなの! 人選どうかしてるとしか思えない。」
「はっはっはー! 仕方ないだろお前と一番の仲が俺だからな☆」
「前から言ってるけどその言動うざいわ。」
扉を開けようとした吹雪の手が止まる。開けてもいいのか躊躇してしまう。
「誰かいるみたいですねー、開けないんですかー吹雪さん? なら俺が開けますねー!」
勢いよく扉をスライドさせる。大きな音を立てたおかげか会話は止まり中にいた二人の視線が扉の方へと向く。
「祥子先生ー。怪我したので治してくださーい。」
「怪我? わかったわ。そこの椅子に腰掛けてちょうだいって……三人も? 一体何をしたのかしら。」
くすくすと笑いながら三人を椅子ではなくソファに導いた。椅子は二脚しかないせいだ。
「私は大丈夫ですから二人を。」
「二人とも怪我したところ出してね?」
正面のソファに座り二人に傷を出すよう促す。それぞれ腕を捲る。その他にも痣などは作っていたがそこだけなのは必要が無いからだ。
祥子が手をかざすと淡く光出して光が二人を包んだ。痛みが引いていき怪我が消えていく。
「──これで大丈夫よ。私がもっと上手ければ怪我を見せてもらわなくても出来のだけれど。」
「全身の怪我を治せるだけでも十分ですよ。怪我を見ずにとなったら上位精霊でないと厳しいですから。」
吹雪がフォローを入れる。怪我を治すには対象の認知が必要で一つの傷から全身の怪我を治す祥子も十分な力を持っている。
「ありがとうございます。」
「ありがとうございまーす。それで気になってたんですけどそこの男の人って祥子先生の彼氏ですかー?」
にやにやと揶揄いを含んだ笑みを浮かべる信治を小声で鏡が窘める。
「よーく聞いてくれた! 俺は祥子と深ーく繋がってる──」
「違う。新しい保健医よ。前にいた人が急遽退職してしまったからそれで派遣されたのよ。」
祥子にばっさりと否定されて男が肩を落とす。信治はそれを見て笑いをこらえるように肩を震わせている。
「星川新よ。よく保健室に来そうな二人だから覚えてあげてね。」
鏡は星川先生と心の中で呟いて覚えた。忘れそうになりそうだが今後も嫌でも利用するから覚えるか。
三人は保健室を後にして帰路についた。適当に授業のことなどをだべりながら歩いていると
「あ、忘れてた。今日おばさんのところ行くって言ってたんだ。」
「おばさん? こっちに親戚なんていたの?」
親戚なんて、というのは親戚がそもそもいたのかと言うことだ。鏡から親戚と言う言葉を長い付き合いの中でも一度も聞いたことがなかったのだ。
「いや、商店街で八百屋やってる人でこの間桃買いたかったんだけどなくて。今日また行くって言っちゃったからさ。俺商店街で買い物していくけど二人は?」
「俺は行かないよー。用ないしー。」
「もちろん行かないわ。荷物もちさせられたらたまったものじゃないわ。」
「そんなことしねえよ。それじゃ商店街こっちだから、二人とも気をつけろよ。じゃあな。」
二人に背を向けながら手を振る。
「じゃーねー。」
「今度桃食べさせてよね。」
鏡の背中を眺め消えるのを待って吹雪は信治へと向く。真剣な顔で信治は面倒なことかと身構える。それを見て少し苦笑してまた真剣な顔へと戻る。
「そう、身構えなくてもいいって言いたいのだけれど心して聞いてくれるかしら。」
「別にいいですけど、どうせなら歩きながら話しましょー。どうせ途中まで一緒なんですからー。」
とても心して聞く者の喋りと態度ではないが吹雪はそうね、と言って二人横並びで会話をし始めた。
「先日の『パラドクス・ランド』についてよ。処分が決まったの。」
「へえ、それって俺にもですかー?」
「あなたにはないわ。ただ、心乃葉さんに下された処分を伝えるから心乃葉さんに悟れられないように。それがあなたの役目よ。」
やっぱり面倒事だと信治は少しばかり嫌な気分になる。つまり自分の主人に対して隠し事をしろ、ということなのだから。
「神木道元様の決定よ。私ではどうにもできなかった。」
苦虫を噛み潰したような顔に不安を覚える。一体どんな処分が下されたというのか。唾を飲み込み口を開く。
「それで心乃葉への処分ってなんですかー?」
軽口で訊ねることしか出来ない。真面目な聞き方など忘れてしまったのだ。へらへらとあいも変わらない態度だが吹雪は滲み出る緊張を感じる。バレないよう息を吸う。このことを伝えるのは躊躇うが伝えなければ、私が伝えなければ彼は知らないままだ。
「────。」
意を決して心乃葉への処分を伝える。そして信治の顔が歪み化け物を見るかのような目を向けられた。その瞳を覚悟していたのかその視線を大人しく受け止める。
「──以上よ。私からこの子を託すから心乃葉さんの近くに。」
ぽわ、と小さく光ったかと思うと光の精霊が信治の前に現れる。
「その子がいれば大丈夫。その子は隠れるのも上手だからバレないわ。だから、あなたがその子と契約して心乃葉さんのことを守ってくれないかしら。」
「俺が……。」
俺が守るのはまあ、騎士として当然だけど。でもそこまでする義理はあるかと問われるとない。友達とも言えない、ただ家の関係で、歳が近いから、とだけで結ばれた関係だ。けれど、見捨てるほど酷い関係でもない。
「まー、知らない仲じゃないですからねー。ということでよろしくねー。 」
『ふん、吹雪の頼みだから契約するだけだ。お前となんてしたくて契約するんじゃないからねー、いーっだ!』
両方の人差し指を使い口を広げ歯を食いしばる。僅かばりに苛立つ。だが、契約はなされた。手のひらが熱くなったかと思い、見てみると小さな黄色の半透明の印が浮き上がっていた。
『必要な仕事は勝手にするから! あとは、知らない! 話しかけないでね!』
そう言って姿を隠すが契約している信治には気配は感じられる。
「ごめんなさいね。光の精霊で頼みを聞いてくれたのがその子だけだったから。」
「なんか面倒そうですけどー──ありがとうございます。わざわざ、心乃葉の自業自得だというのに。」
「私が勝手にしている事だから。さすがにこの処分を容認なんて、できない。」
「それは俺もですかねー。心乃葉の様子注意してくんでなんかあったら連絡しますねー。」
一瞬真面目になったと思いきやすぐさま普段通りに戻ってしまう。切り替えの速さに吹雪は少し面白くなっていた。
「それうしてくれると助かるわ。こんなこと頼んで本当に申し訳ないわ。くれぐれも、くれぐれも他の人にバレないように。」
「わかってますよー。そこら辺口固いんでー。」
若干信用が低い言い方だが大丈夫だろうと判断する。荒川信治の素行は既に調べており問題ないことは知っているがそれとは別に何度か話して信用に足ると思ったのだ。
「それじゃまた学校で。」
「さよならー。」
そう言ってお互い別の道へと進む。特に振り返ることも無く家へと帰った。