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キヲク  作者: けせらせら
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7・永作香澄の章 (2)

 西日暮里にあるアパートの一室で、香澄は身を竦めるようにして座っていた。

 10畳の部屋は意外にも掃除したばかりのように綺麗に片付けられていた。

(どうすればいいの……?)

 澤村が何を求めてここへ連れてきたか、そのくらいは香澄も想像がついている。それなのに、それを断ることが出来ない自分に香澄は腹を立てていた。

 あの日、あの男を追いかけたことは自分も記憶している。しかし、その後、どこまで追いかけたのか、何があったのかはまるで憶えていない。新聞の記事で見たあの男の死に本当に自分が関わっているのだろうか。それが自分でもわからない。

「お待たせ」

 コーヒーカップを二つ持った澤村がキッチンから現われた。その一つを香澄の前に置く。「たまにお袋が訪ねてきて掃除していくんだ。今日も来たみたいだなぁ」

 澤村は部屋を見回しながら言った。「コートくらい脱いだら?」

「そんなことより、さっきの話ですけど――」

「あの男のことか……君が殺したの?」

 コーヒーを啜りながらちらりと香澄の顔を見る。

「ち、違います!」

 香澄は身を震わせた。あの事件の犯人はすでに捕まっている。自分が関わっているはずがない……そう思いたかった。

「なら、何なの? あの男、いったい誰さ?」

「……わかりません」

「何なの、それ? 今になってまだ隠すわけ?」

「違います。本当にわからないんです」

 香澄は素直に答えた。もう隠すことは出来ない。本当のことを話せば、いくら澤村でもわかってくれるかもしれない。香澄は一縷の望みを託した。

「よくわからない話だなぁ」

 澤村はまるで疑うように言った。さらに――「そういや、君、俺の名前で有りもしない伝票なんか作ってなんかいないだろうね」

 香澄は驚いて澤村の顔を見た。

(なぜ……?)

 その表情に澤村は満足そうにニタリと笑った。

「へぇー、身に憶えがあるって顔だね」

 探るような目で澤村は香澄の顔を覗き込んだ。

「いえ……そんな……」

 慌てて視線を逸らす。だが、すでに遅かった。

「やっぱり覚えがあるんだぁ。どういうことか説明して欲しいな」

 澤村はコーヒーカップをテーブルの上に置くと、香澄のほうへにじり寄った。

――ジャマスルヒトハキライヨ

 ふいに頭のなかに声が響く。

 澤村の手が膝の上に置かれた香澄の手に触れる。

「何するんですか」

 瞬間的に香澄は澤村の手を振り払った。だが、澤村はおかまいなしにさらに香澄に近づいた。

「いいの? そんなことして」

「何を……」

「香澄ちゃんがやってるのは犯罪だよ。わかってるの?」

 澤村の手が香澄の肩にかかる。

「やめて」

「俺が一言、会社に言えばどうなるかわかってるんだろ?」

「それは……」

「意外だな。香澄ちゃんが横領とはね。何に使ったの? ねえ、今度、その金、俺にも回してくれないかな?」

 澤村はそう言いながら香澄を抱きしめた。

(嫌だ)

 頭がクラクラしてくる。

――ジャマ……ナノ

 声が聞こえ、意識が朦朧としはじめる。

 澤村の唇が口筋に触れる。ゾクリとした感覚。その感触に全身に鳥肌が立つ。

(助けて……)

――ワカッテル……私ニカワッテ。私ナラチャント……

 その声が頭いっぱいに広がる。

 眩暈。

 周囲の景色が歪んでいく。


 どこをどう帰ってきたのだろう。

 気づいた時、そこはいつもの自分の部屋だった。

 あの後、何があったのかもわからない。だが、手にこびりついた赤い付着物が、全てを物語っていた。

 それでも不思議と気持ちは落ち着いている。罪悪感も感じない。憶えていないことならば、強いて思い出す必要などありはしない。

(どうして?)

 ただ朦朧とする意識のなかで誰かの声が呪文のように頭のなかに響いていたような気がする。

――ワタシハアナタ。アナタハワタシ

 聞いたことがあるような声。あれは誰だったろう。

 誰かが自分のなかに存在している。そして、自分を護ってくれている。そんな感じがしていた。


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