4・鮎川早苗の章 (3)
萩原順子と会うことが出来たのは三日後の金曜日になってからだった。
秋彦に事件のことを聞いた翌日、早苗はすぐに萩原順子に電話をした。最初は早苗からの電話に迷惑そうにしていた順子も、何度か電話するうちに、次第に早苗が興味半分で事情を訊きたがっているのではないと信じてくれるようになっていった。
早苗は会社を早退すると、順子の住む西日暮里の駅前で彼女が現われるのを待っていた。
午後4時。
約束の時間ちょうどに、日に焼けた褐色の肌の若い女性がバスを降りて真っ直ぐに早苗のいるほうに向かってきた。
焦茶のセーターに薄いブルーのジーンズを履き、肩まで伸びた黒い髪の一部を青く染めている。
「あの……鮎川さん?」
わずかに早苗よりも背が高い。
「ええ。あなたが萩原順子さんね」
「うん」
順子は伏せ目がちに答えた。
早苗は順子を連れて、すぐ駅前に見える喫茶店へと入った。テーブルが三つとカウンターだけの小さな店で、店内にはラジオ放送が流れていた。客は手前のテーブルに座ってマンガ本を読んでいる学生らしき姿が見えるだけだ。
早苗は髭面のマスターにコーヒーを頼むと一番奥のテーブルに座った。
「あの……」
と、順子は座るとすぐに口を開いた。「記者なの?」
早苗は電話で順子に出版社の名前を出していた。
「えっと……出版社で仕事はしているけど、記者というわけではないわ」
早苗は正直に言った。そのほうが素直に話してもらえそうな気がした。
「じゃ、これは記事にはならないんだよね?」
「ええ」
それを聞いて順子はほっとした顔をした。
「じゃあ、なんで沙織のことを調べてるの?」
「うまく説明出来ないんだけど……すごくこの事件のことが気になるの。彼女が殺した松野真一さんと私の友達とがひょっとしたら関係があるかもしれなくて。それで沙織さんのことを教えてもらえたらと思って。沙織さんとは付き合いは長いの?」
「あの子、良い子だよ」
順子はぼそりと言った。「あの子とは中学の時から友達だけど、人なんて殺せるような子じゃない」
「それじゃどうして松野さんのことを?」
「それはわかんないけど……でも、沙織は彼が殺された次の日も、誰よりも彼が殺されたことを悲しんでた」
「沙織さんは、自分が松野さんを殺したことを知らなかったってこと?」
「ええ」
「本当かしら?」
「本当だよ。あの子、私の前で泣いたんだ。演技であんなふうに泣けるわけないよ」
順子の言葉はぶっきらぼうだが、だからこそ尚更説得力があった。
その時、マスターがコーヒーを運んできた。二人は黙ってその様子を眺めていた。やがて、マスターが離れていくと早苗が口を開いた。
「沙織さんは事件の時のことを記憶していないらしいけど、彼女、そういうふうになることって今までもあった?」
早苗の質問に順子は首を振った。
「ぜんぜん。そりゃ、お酒飲んで酔っ払うようなこともあったけど、意識がなくなるほど飲んだことはなかった。ただ……」
順子は言いにくそうに視線を外した。
「何?」
「ちょっと様子がおかしいことはあったんだ」
「どんなふうに?」
「なんか忘れっぽいっていうか……たまにぼんやりとして、話し掛けても聞いてなくて、あと約束なんかも忘れちゃって。前はあんなことなかった。それに変な夢を見るって言ってた」
「夢?」
「誰かに殺される夢だって……ただの夢だから気にしないほうがいいって言ったんだけど……あの子、神経質なとこがあったから。だからよく精神安定剤とかは飲んでたんだ」
順子は手を伸ばしてコーヒーを一口飲んだ。
「それじゃ病院に通ってたの?」
「ううん。そんなにひどくないよ。警察はそれが原因じゃないかって言ってたみたいだけど、沙織が飲んでたのは普通の薬局で売ってるようなやつだもの」
「事件の時も薬を飲んでいたのかしら?」
「わかんない。あの日も一度電話があって、頭が痛いって言ってたから、ひょっとしたら飲んでたかもしれない」
「頭が痛い?」
「うん。あとでわかったんだけど、彼を殺したのってその電話の後だったんだ。あの時、私もカレと一緒だったからあんまり話出来なかったけど、あの時、私がすぐに行ってあげてればあんなことにならなかったのかもしれない」
順子は俯きながら辛そうに呟いた。
悩む順子にどう声をかけてあげればいいのかわからず、早苗は黙ってその姿を見つめた。ラジオから聞こえるアナウンサーの声だけがやけに高く聞こえていた。




