4・鮎川早苗の章 (1)
4・鮎川早苗の章
そのニュースが飛び込んできたのは火曜日の夜だった。
鮎川早苗はいつものように残業で会社に残っていた。
外で夕食を済ませてきた関口真がパソコンの画面を見つめ、「あ……」と小さく声をあげた。そして――
「捕まったんだぁ」
と、インターネットの記事を見つめながら誰に言うわけでもなく呟いた。
「どうかしました?」
隣の席に座る早苗が声をかける。
「この前の事件の犯人、捕まったみたいだよ」
「事件って?」
「阿佐ヶ谷で男が殺された事件だよ。憶えてないか?」
もちろんすぐに早苗も思い出した。なんといってもあの事件のおかげで、二葉と再会することになったのだ。しかも、その事件には兄の秋彦も関係している。
「犯人、誰だったんですか?」
「太田沙織……21歳の大学生。殺された松野真一の恋人なんだって」
関口は記事を読みながら言った。
「恋人? 動機は?」
「さあ……そこまではまだ書かれてないね」
そう言って関口は人差し指で銀縁の眼鏡をクイっと押し上げた。関口は早苗よりも3歳年上で、ずっと事件記者をしている。「どお? 取材してみる?」
「私がぁ? まさか」
「興味あるでしょ?」
「私に事件記者は無理ですよ」
「どうして決め付けるの? やってみたら? 案外、向いてるかもしれないよ。ねえ、編集長」
関口はそう言うと編集長席に座った梶谷に声をかけた。ここ数日、会社に泊まり続けの梶谷は机に顔を押し付け眠っていたが、関口の言葉を聞いてゆっくりと顔を起こした。
「……そうだなぁ。1度、やってみてもいいかもしれないな」
梶谷は大きく背伸びをしながら言った。「もし記事になるようなら、来週号にでも載せてやってもいい」
梶谷は来年から創刊される『7DAYS』の編集長と、現在、発売されている週刊誌『RED』の編集長を兼ねている。
「ダ、ダメですよ」
早苗は慌てて首を振った。もともと早苗は文芸誌の編集者になるのが夢で、この会社に入ったのだ。配属されたのは希望していた文芸誌を扱う第2編集部だったのだが、配属されてすぐに事件事故を扱う第1編集部で人手が足りないということで応援に回されていた。それも後少しで終わることになっている。
「ダメってこたぁないだろ」
梶谷は鼻の下に蓄えた口ひげをさすりながら言った。「何事も経験さ。別に無理することたぁないんだ。練習のつもりでやってみるといい」
「でも……」
「そうそう、鮎川は当分の間、第1編集部だからな」
その言葉に早苗は愕然とした。それではこの会社に入った意味がない。
「そ、そんなぁ……」
そんな早苗の様子を眺め、梶谷は大きく笑った。
「そんながっかりした顔するなよ。冗談だよ、冗談」
「ひどぉい」
「鮎川は来年早々第2編集部に戻ってもらうことになってる……ってことで、取材は関口、おまえが行けよ」
梶谷は関口を指差した。
「えぇぇ!」
「何が『えぇ』なんだ? おまえはもともと事件記者なんだから当たり前だろ」
「そりゃ、そうですが……俺はまだ歌舞伎町での事件が……」
「なんだ、まだ記事になってないのか? とっとと終わらせろ」
「ひどいなぁ」
関口は頭を掻いた。
早苗は笑いながら関口の前にあるパソコンの画面を覗き込んだ。そこには記事と殺された『松野真一』の写真が表示されている。
その写真を見た瞬間、早苗の頭のなかにある出来事が蘇ってきた。香澄と映画を観に行った後で立ち寄ったイタリアンレストラン。あの店を出ようとした時、見かけたあの男が『松野真一』ではないだろうか。チラリと見ただけで確信はないが、あの時の男と似ているような気がする。
――どこかで逢ったような気がするんだけど……
まさか香澄がこの事件に関わっているとは思えないが、それでもあの時の言葉が気にかかる。
秋彦に一度聞いてみようかと考えていた。




