02.桜田虎武/オーロラになれなかった人のために
噛み合わせの悪さが頭痛だの肩こりだの眼精疲労だの、全身の不調を引き起こすというのを知ったのは、けっこう最近のことだ。もっと早くに知りたかった。重い腰を上げて矯正治療を始めようと医者にかかったところ、当の医者からそう告げられて、腰が重かったのすらそれが原因だと知ってしまった。もっと早くに知りたかった。
重なって生えてしまったのを抜く作業は、聞かされた話より随分マシで、麻酔による口腔の麻痺も、食事を抑えてしまえばさっさと過ぎ去るイージーな苦痛となった。問題はその後、ワイヤーを通されてからだった。これがまた厄介で、歯が締め付けられるイコール歯茎に負荷がかかるというわけで、畢竟、口周りの骨がみしみしと痛めつけられる。昼夜問わず延々と。ここからさらに、ワイヤーが取れたらその形をホールドするためのプラスチックが嵌め込まれるというのだから、恐ろしい。
そしてワイヤーの許すまじ欠陥は痛みだけではない。歯の隙間は歯の数に応じて存在するが、そこにワイヤーが介入すると、ワイヤーと歯の隙間、というデッドスペースが口内に発生する。ひとたびそこに食餌の欠片が挟まれば、舌を伸ばせば取れるわけでもなし、唾液で粘って滑り落ちてくれるわけでもなし。口内という有機物の中に無機物が存在する違和が、そういう不具合を生む。これが非常に度し難い。
「最近の子は早いうちに親御さんが連れてくるんですよ、大人になってからだと長いので」
医者はラミネートされたA4用紙で治療プランの解説をしている最中、何の気なしにそう言った。特に俺の目も見ていなかったので、本当に、『事例』としてそう喋った。それが俺にはしっかりとクリーンヒットして、その後、反骨心から最も治療が長引く最安のプランを選択した。医者は俺の腕時計を見て唇を尖らせていた。芸人時代、一張羅代わりのつもりで買ったオーデマピゲは、今でも壊れてくれない。そういう質の良さが自慢だったのに、現在はすっかり忌々しく思える。壊れれば、高かったのに、と、それはそれでむしゃくしゃするのだろうけれど。
それはそうと、件の医者の言葉は上の句も下の句も、思い返すたび嫌になる。なにせ俺は子供の頃から矯正治療をせがんでいて、親御さんに連れてきてもらえなかった方の、『もう手遅れ』の大人だからである。幼少、根を張ったものは人生に残り続けると突き付けられた気がした。貧乏性と、あとはこのがたついた歯並びそのもの。
小学校といえばそれが人生のピークだった人間か、あるいはドン底だった人間か、そういう奴が多いのだろうが、俺はまさしく後者だった。今でも、街でランドセルを見かけるだけで、背中の下の方に手が伸びる。自分のランドセルの鍵が、いつの間にか外されていないか。側面に紙やシールが貼られていないか。目立つところに彫刻刀を立てられていやしないか、と。肩から提げているのがリュックサックでもトートバッグでもボディバッグでも、あの硬い革のかたちを、光沢のなくなったざらりとした触り心地を思い出すのである。
そうなった理由は数あれど、今となってはどれも明確ではない。教師に盾突いて課題提出の日付を変えさせたことがあった。ドッヂボールでクラスメイトの眼鏡が壊れたことがあったので、ドッヂボール廃絶論を唱えたりした。女子同士の喧嘩を仲裁しようと、それぞれのシール帳にサインペンで名前を付け足してやったりした。とにかく俺は調和を乱す存在だったし、有り体に言えば、曲がったことが許せなかった。協調性と共感性に欠けていて、自己満足で人の生き方を左右させ、そういうのが積み重なって嫌われた。自業自得である。ただ一方で、ランドセルに彫刻刀が刻んだ言葉の中には『チビ』『ブス』『メガネ』などのシンプルな罵詈雑言もあって(最後のはもはや事実の羅列に過ぎなくて、小学生の語彙などはあてにならないと今なら感じる。当時は新鮮にショックを受けた)、自分を信じていた俺は現状打破のために、そういう揶揄からの脱却を図った。まったく抜本的解決策には程遠いが、貶めた相手も、受け取った相手も、とにかく未熟であったのだ。
そういうわけで、小学三年生の頃に初めて、両親に欲しいものをねだった。歯科矯正治療の時間と費用。齢十歳にして初めてものをねだる、これだけで察しがつくかもしれないが、俺の実家は貧乏といって差し支えなかった。国が認めるところの貧困家庭に値した。今考えれば、そういう家の子供特有のみずぼらしさも、排斥の要因だったのかもしれない。
どうして貧しかったか、どうして俺が十の歳まで何もねだらなかったか、どうしてその要求は可決されず計画は頓挫に終わったか、この三点はお互いに作用し、お互いに足を引っ張りあっていた。その三角形の真ん中に座っている父は夢見る男であり、その傍らに寄り添う母は恋する女であった。三角形の壁に隔てられ、二人は外界の情報を取り入れなかった。俺はどこに位置していたかといえば、天井に吊るされたモジュールのような存在であり、二人にとって『子供』という星としてロマンスの夜空を演出する一手に過ぎなかった。苦悩、後悔、失望、乗り越えるべき試練として時に立ち塞がり、それからごくたまに、愛の結晶として微笑んだ。そう見えていた。二人には、そうとしか見えていなかったはずだ。
デザイナーという片仮名を背負っていた父と暮らす1DKは、パッチワークのようにあらゆる資料や素材が壁に敷き詰められていた。母は早朝から働きに出る。父が俺の面倒を見ていたからフルタイム出勤で、とにかく働き詰めであった。帰宅して、パッチワークの壁を眺めるとうっとりとした顔を見せ、父に抱えられ、ベッドへ飛び込む。夜間のテレビを消す人はこの家にいなかったので、俺は一人リビングに残ってザッピングに明け暮れた。そのうち眠くなって、床に転がる。目が覚めると母はいなくて、父が出したコーンフレークをむさぼって、ランドセルを背負うのである。
いわゆるヒモ彼氏とそれに依存する女という、端的に言ってしまえばそれまでだったのだが、父の難解なところは澄んだ瞳で純然たる夢を追っていた、という事実である。だから母は愛想を尽かすなんてことはなかった。母が他に依り代のない孤独な身であったことも、それに拍車をかけた。母に、歯の治療の話を持ち掛けたとき、彼女は潤んだ瞳を輝かせながら、お母さん頑張るからね、お父さんを応援しようね、と肩を掴まれた。駄目だとは言ってくれないのが、半分予想はついていたのに、なおも憎らしかった。それからやっぱり、その要望が現実になることはなかった。これから巻き起こる感動の目標として消費された、と、小学校を卒業する頃、確信した。もちろん、達成されて美談の一幕として消費されても癪だったのだろう。この頃から俺は、現実的な筋道を立てずに夢を見る人、それから、賭け事みたいな恋をする人、そういう存在が嫌いだった。そういう人がのうのうと、伸びやかに、他人に寄りかかって生きていることが、端的に言って不快だった。俺は絶対にそうはならない、と決めた。中学に上がる頃には、とりあえずの防衛策として常にマスクをして過ごした。表情が読めない俺に友達はできなかった。しかし、同じように地元で進学した小学校のクラスメイトも数人いたその中学校で、俺はいじめを受けなかった。主犯と言うべきか、攻撃を行ってくるメンバーがいなければ、続ける価値もない、その程度のいじめだった。俺が受けたのは、その程度の排斥だった。学校行事をことごとくサボって、思い出をひとつも作らずに義務教育を卒業した。金がないから私立の高校には入れないと確信していて、その間勉強していたが地頭も良くはなく進学校などには入れなかった。公立高校に二年間通って、どうせ大学には行けないのだからと考えるほど日々が面倒になり、ドロップアウトした。夜中にテレビを見る習慣は続けていて、そこに全てがあった。チビもブスもメガネも輝いていたし、チビ、ブス、メガネと言われるやつほど、前に出ていた。迫害された割に(された故にとも言えるのか)、自己顕示欲は人並み以上に育っていて、ここなら自分も堂々と立っていられるのかもしれない、と思った。
思った頃には、新幹線に乗っていた。
N700系が投入されたばかりののぞみに乗って、東京行の切符を握り締めていた。家に借金取りが来た日だった。着の身着のまま、不動産屋に転がり込んで、風呂無し木造、月三万のアパートの床に寝転がって、ちょっと寝て、日付が変わった後の夕暮れ時に目が覚めたので、大阪で取り寄せていた願書に名前と経歴を書いた。証明写真機に潜り込むための服がなかったので、タンクトップの袖の部分を引き延ばしてTシャツであるように装って、カメラになるべく近づいてシャッターが切られるのを待った。
書類が通って、すんなりと養成所へ通うことも決まった。母からも父からも連絡はなかった。なけなしの有り金で買い与えられた携帯電話が早速プラスチックゴミになった瞬間だった。仇とも思っていないが、恩も与えられなかったので、せいせいした。きっと今この時も、消えた息子、迫り来る追手、そういう逆境をスパイスに愛を確かめ合っていることだろう。耳に掛けていたマスクを引っ剥がして、橋の上から川に投げ捨てた。
高校を辞めたあたりで口座を開設して、コンビニバイトをしてひたすら貯蓄していたのが功を奏した。東京でのアルバイトはじっくりと時間を掛けて決めることができたので、販促のため放映されていたアニメのカードゲームを取り扱っているカードショップに入った。知識量は申し分なかったので、仕事にはすぐ馴染めた。稀に電話が掛かってきて、買ったカードが思っていたものと違ったから返金しろ、とか、放映中のアニメではこんな酷い扱いを受けているんだから値下げしろ、とか、あれが入荷してないのは店の怠慢だ潰れてしまえ、とか、死ね、とか、そういうめちゃくちゃな怒声が受話器を貫いてくるときがあったが、先輩方は優しく俺の背を撫でてくれた。いやあ大人の階段登ってんねえ、などと早口に慰めてくれるのだ。当時の秋葉原は大阪のどの土地よりも、俺のようなはぐれ者を抱え込んだ街だった。十七歳で借金取りに追われながら夢を持って上京してきた、なんて身の上話をすれば、偉い偉いなんて持て囃されてしまった。最初は嬉しかったが、そのうち口を噤むようになった。夢ばかり見ていた父母の面影と、英雄視されている現状が重なったからだ。
お笑いの方はと言うと、当時の養成所にはちらほらと大学サークル出身者が現れ始めていて、こっちでは逆に十七歳という自分の年齢が、ステータスの欠けた部分になってしまった。授業の流れで二、三度、人と漫才をする機会があったが、どいつもこいつも幼稚園の先生みたいに腰を屈めて俺に接してきた。物理的にも、精神的にも。そしてやはり、同期、というひとつの箱に収められると、俺は浮かび上がる性質があるらしい。小学校時代を思い出し、連日のバイト疲れもあってほとんど白目を剥きながら朦朧と授業を受ける日々が続いた。
ただ、授業を受けている体育座りの老若男女の中で、妙にエネルギッシュで上滑りしている奴が一人いた。俺に接する時の、よそよそしいのとはまた違う、みんなの『関わりたくないオーラ』の根源として注目を集める存在。
「君さ、先週、秋葉原のカドショにいたよね?」
話し掛けられた。あかん、と思った。
そもそもこいつが上滑りしているのは、クラスで面白いと持て囃されてきた人間が大勢集まる教室で、そのクラスと同じように、誰彼構わず同じトーンで絡みに行くせいだ。ここにいる奴らは全員、ある程度のプライドを持ち合わせている。それを、有象無象あらゆる人間の集まりだった学校と同じようなフォームで泳ごうとすれば、凡人扱いでナメられるか、癇に障ってキレられるか、二択だった。こいつは両方を地で行った。そんな奴に、バイト先、しかもカードショップだなんて三軍の溜まり場を知られてしまった。言いふらされ、ナメられている奴にナメられる、最底辺になる、と一丁前に戦慄してしまった。この時点で俺とまともに取り合う相手はいなかったので、既に最底辺であったというのに。
「ブラックマジシャンガール売ってよ。売値より出すからさ」
で、こいつは、バカだった。
売れるわけないやんか、店のものなんやから。そう、はっきり拒否したら、翌日、そいつはちゃっかり店に来た。高見盛によく似ていた店長に、友達? とか聞かれて、首を捻って、違います、と答えた。そいつは何故か不満げに、ちょっと酷くない? と宣った。事実なのに酷いも何もない。
「ブラックマジシャンガールのこの布の下って、レオタードだと思う? パンツだと思う? 俺は断然レオタード派なんだけど」
「5D's見てる? こっから化けると思うよ。いやっ、ネタ要素とか抜きに!」
「化物語? とらドラ? へー、見てみる。ツタヤにある?」
「ああ、カクレンジャーなら見てた。白の女の子が可愛いんだよなあ、鶴姫だっけ?」
「ちょっと、わかってないなあ。ZZは必要だよ。宇宙世紀語るなら飛ばしたらダメだって!」
「俺たちならさあ、そういうアニメのコントとかできないかなあ。みんな知らないし、あんまウケねえか」
「大会やるようになったからか、みんな漫才やりたいらしくてさ。俺はコントがいいんだよねー、夜中テレビばっか見てたからさ」
「え? うん。ヨックンだよ、ヨックンヤッサンの。せっかく芸人やるならさ、会ってみたいよなー」
「関西ってそんな番組あるの!? うわ、やっぱ秋田ってド田舎なんだ。あー、つまんねえな、田舎って」
「大阪からわざわざ上京したの? なんで? この事務所に目つけてたんだ。変なの」
「十七歳!? 歳下じゃん。俺、最年少だと思ってたよ。マジかあ」
「てかあのおじさん店長? 高見盛にめっちゃ似てる」
濁流みたいな言葉たちを掻き分け、俺は、そいつが発した話題のひとつを決死の思いで掴んだ。流れで入ったファミレスから出て、別れ際、子供向けに設置されたミニカーのカプセルトイを眺めているそいつの背中に、俺は勇気を振り絞って声を掛けた。
「俺も漫才よりコントがしたい。夜中テレビばっか見てたから」
二人でノートを広げて、もし◯◯が高見盛だったら、というテーマであれこれ妄想したのが、最初に書いたネタだった。コンビニのアルバイト、ニュースキャスター、ブティックのカリスマ店員、それからカードゲーマー。どれも最終的に形にはならなかった。しかし、ノートは文字でいっぱいになった。字が汚いのと漢字をろくに知らないのがバレた。だけど馬鹿にされなかった。貶められも、崇められもしなかった。そいつは俺の無知なのを、そしてそれを恥じるのを、大丈夫大丈夫、とよくわからない諌め方をした。それから、俺が黒で塗り潰した書き損じに、目を描いて蓑虫にした。
「俺、死ぬまで、ってか、死んでもコント考えてたいわ。マジで!」
そいつは生まれつき目が良いと語ったので、俺は人前でコンタクトを付けるのをやめた。「メガネの方」と呼ばれるためだった。歯列矯正を受ける金なんて現実味が備わらない、そういう日々が年単位で続いたが、次第に俺はそれを治そうとも思わなくなった。「歯並びの悪い方」と呼ばれるためだ。
色々なパターンの高見盛のことばかり書いてあるノートを、半年に一回見返しては、売れよう、と思った。父のようにはなりたくなかった。それでも現状が楽しかった。この日々を続けたかった。売れるための算段を立てて、その算段通りに売れ切って、一歩一歩着実に夢を追おう、と思っていた。誰かを犠牲にしないために。誰かを置いていかないように。誰かに、置いていかれないように。
その日々の間に彼女ができた。人生で初めてまともに女性の目を見て、その潤むのがいじらしくて可愛い、と思った。
頼り甲斐のある先輩もできた。未成年な上にそんな生活をしていなかったから、俺は意外と酒が飲めるんだとその時知った。
好きだったアニメの続編が決定して、生のトマトが食べられるようになって、新幹線で眠れるようになって、夜空に星が出ていることに気づけるようになった。
それで、俺は間違えた。
欲張った。
欲張って、自分が貧しい人間だということを忘れた。
ある年、休止状態にあった漫才の大会が復活して、そこにエントリーだけでもしてみよう、という話になった。知名度が上がるならそれもいいね、とあいつも満更でもなくて、だから俺なりにネタを練ってみて、数回エントリーを重ねた。
年々、どんどん上がる板が大きくなって、これは何だか、人生が変わってしまうんじゃないか、と、そういう手触りがあった。
自分たちじゃない名前が、優勝、と高らかに呼ばれるのを真横で聞いて、頭が真っ白になった。
負けた。
一番になれなかった。
日本で二番目になった。
何で?
漫才で。
コントじゃ、ない。
隣に目をやるとそいつは引き攣った笑みを浮かべていた。喜ぶでも落ち込むでもなく、いつもの能天気なニヤつきでもなく、遠い目をしていた。それからずっと俺が見たのは、その引き攣った顔だけだった。二人ともとっくに、フレッシュな若手と呼べる芸歴ではなかった。
もうメガネの方、でも、歯並びの悪い方、でもなく、漫才で日本で二番目に面白いネタを書いてる方、になってしまった。周囲の認識以上に、俺自身が求められるポジションに収まろうと躍起になりすぎた。
「私、純粋に夢追う姿が好きだったっていうか。最近、ちょっと、あざといよね」
彼女は俯いてそう言うと、俺の部屋から、愛用のマッサージ器具と下着類を大きなハンドバッグに詰めて、去っていった。真逆の場面なのに、仕事から帰ってきてベッドに倒れ込む母の姿が重なった。俺は純粋に夢追う姿など見せた覚えはない、と彼女が捨てていった薬のゴミに唾を吐いた。俺はちゃんと売れる算段を立てて、儲けられる夢を見ているはずだ。考え無しの男とは違う。それに凭れ掛かる女なら最初から要らない。だって売れなかったら、食べられなかったら、追われる羽目になったら、どうしようもない。歯も治らないし、嫌われるし、置いていかれる。もうあの頃に戻りたくない。わかってくれるはずだ。わかって着いてきてくれているはずだ。言いたいことがあるなら言えばいい、相方なんだし。別に、俺は、偉くなりたいとかそんなんじゃなくて、ただもうちょっと、あと一分、一秒でも長く、
「別に、大丈夫だけど」
夢を見たいだけだ。
そいつが発した空っぽの台詞に堪忍袋の緒が切れて、一方的に解散を告げて、劇場の楽屋を飛び出した。
漫才のネタを作ってるのは俺なんだ。俺の言うことを聞け。俺がいなきゃ売れない。なんだよその顔。言いたいことがあるなら言え。どうせ、何も考えてないんだろ。どうしていつもそんなに他人事みたいに笑っていられるんだ。何も考えてない。お前は先のことを何も考えていない。俺たちは売れなきゃいけない。売れなきゃ死ぬ。金がないと人は死ぬ。
やから、死んでもうたら、コントも何も、出来ひんやん。
そんなことを、まくし立てた末の、解散だった。その時のあいつの表情がどうだったか、今となっては、よく覚えていない。
これでもう、メガネの方でも、歯並びの悪い方でも、漫才師でもコント師でも芸人でもなくなった。直近のライブ出演予定は全てキャンセルになって、テレビの収録で抑えていたスケジュールもバラシになった。後日、代打として世話になったあの先輩が、あいつの隣に並んでるのを見て、過呼吸に襲われた。同時に、外へ出られない自分がいることに気がつく。部屋の電気を点けるために立ち上がるのに、身体が強張って鬱陶しい。彼女が置いていった漫画類がソファの下に転がっていて目障りだ。先輩の快活な声が、知名度の低さを弄るナレーションに掻き消される、見ていられない。あいつの笑い方は前までの引き攣ったのとは違って、見慣れた気の抜けるへらついた顔だった。テレビを玄関先に置いて、バリケードのように立て掛けた。ベッドまで歩くのも億劫で、テーブルを少し退かして床に寝そべった。もう幾度か引っ越したと言うのに、上京したその日を思い出した。
事務所の人間からの紹介もあって、リモートワークを推進する企業にありつくことができた。薄給ではあったが社員と顔を合わせる機会もほぼなく、常駐先の人間ともメールのやり取りが殆どで、好都合だった。配属される現場はころころ変わったが、やはりツテということもあってか、常に出勤が発生しないよう気を遣われた。
気づけば三十を超えていた。養う相手も、追う夢もなくなった。そういうのをもう一度掴む体力もなかった。何せ、外に出られない、電気を点けられない、テレビの電源を入れられない、人と会話するのが怖い、そういう状態だった。元々、売れ始めてからのプレッシャーで身体にガタが来ていたのだろう。それなのに人との繋がりが断絶されて、自分で選んだ道なのに滑稽なことだが、いよいよ社会に自分という駒の置き場が無くなった、そういう感覚だった。棄てるにも指定日が過ぎてしまった生ゴミが、部屋の隅でうずうずと腐っていって、すえた匂いを発しているような、しかしどうしようもないという茫然とした不安感。小学校の頃に戻ったようだった。
ただそういうのがなくなったことで、ようやく金を使える、と思った。誰かの為に、そして自分の夢の為に、切り詰めていた生活の、貯金の部分を歯列矯正に宛てがったのだ。あの頃から、ずっと先送りにしていたそれを、自分の金で成し遂げた。歯医者とコンビニと家を往復する生活が続いた。もう◯◯の方である必要がないのだと思うと、純粋に嬉しかった。同時に、呪縛めいたコンプレックスが、アイデンティティですらなくなる僅かな寂しさがあった。俺はもう何者でもない。わかっていたつもりが、歯科医のプラン説明は、それを改めて告げられるようだった。
仕事の方は、出勤がない代わりに、激務があった。トラブルは頻発し、納期に間に合わないなんてこともあり、深夜の対応はザラで、おまけにずっと家にいるものだから、生活リズムが大いに乱れていた。それから歯が痛い。寝ようにも、歯茎がワイヤーに押し込まれる。痛い。歯茎と頭蓋は骨という枠組みで共にあるから、歯が痛むと、頭が軋んだ。目を瞑っても、自然と眉間に皺が寄る。脳の血管にどくどくとした脈拍を感じた。たまにじんわりと頭の中が熱くなる。慌てて手を握ったり開いたりするが、痺れなんかはなくて、しかしその焦燥がまた血管を拍動させるから、熱さは頭全体を覆う激痛に変わる。生活リズムの乱れで弱った胃腸が、頭痛にシンクロして不調を訴え始める。トイレに駆け込む。しゃがみ込むと同時に喉を酸っぱい液が迫り上がる。しゃがんだのか崩れ落ちたのか吐いたのか、一瞬、自分でもわからない。俺は今、どうなってる? 咳き込むみたいに食道が揺さぶられる。また吐く。視界が明滅する。眠れない。頭が痛い。歯が痛い。眠れない。眠れない。眠れない。
目が蘇る。対話を諦めた拒絶の目が。それは、小学生たちの悪意で、あの子の潤んだ瞳で、舞台のスポットライトで、パッチワークの部屋だった。俺はどこで間違えたんだろうか。大したことない。大したことないはずだ。自分で志して自分で逃げ出した道だ。大したことない。この先の人生も長い。諦めることはない。何かを失ったわけじゃない。会えなくなった人はいない。諦めたわけじゃない。悲観することはない。だって大丈夫だ、現に俺は生きているし、歯はきっともうすぐ治るし、金はまだ余っていて、仕事ができて、人と話せて、コンビニに行けるし、物が食えるし、眠れない。眠れない。眠れないだけ。眠れないだけ。眠れないだけ。大丈夫。大丈夫だ。まだやれる。金を稼ぐこと、現実に生きることを、諦めちゃいけない。自分の力で生きること。夢見るでもなく、託すでもなく、自分の足で立って、生きて、金を稼ぐ。そうしてきた。そうしていくつもりだ。やれる。大丈夫。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫、
別に、大丈夫だけど。
純粋に夢追う姿が、好きだったっていうか。
床で見る夢にまで現れる。
苛々した。
俺は自分の足で立つ。
噛み合わせの悪さが頭痛だの肩こりだの眼精疲労だの、全身の不調を引き起こすというのを知ったのは、けっこう最近のことだ。もっと早くに知りたかった。重い腰を上げて矯正治療を始めようと医者にかかったところ、当の医者からそう告げられて、腰が重かったのすらそれが原因だと知ってしまった。もっと早くに知りたかった。
純粋に夢を追った父と、それに恋した母は俺を置いていった。だけどあの人たちは多分、不幸じゃなかった。この部屋には初めから、俺しかいなかった。
もっと早くに知りたかった。
インターホンが鳴る。モニターを覗き込めば、ここ暫くで見慣れ始めていた顔があった。
続




