荒ぶる闘神は美しく蘇りそして萎える
お風呂から上がって、鳴女さんが用意してくれた綺麗な着物
まるで天女が羽織るような仕立てのものを着せられたあと、姿見の前に立って思わず息をのんだ。
第一印象は、自分でも引くほどの美少女ぶり。
肌の表面から、はっきりと、ゆらゆらと、温かい光の粒が蛍のように湧き出している。それが私の輪郭を縁取り、何とも言えない神秘的で神聖なオーラを醸し出していた。
十歳の子供だから今はまだ発育途上で貧相なのは仕方ないけれど、これが成長して、ママくらいのプロポーションになったらとんでもないことになりそうだ。
「これは今のうちに残しておかねば……!」
すかさず手元のタブレットを掲げ、インカメラでパシャリと自撮り。
永久保存して、我が家の家宝にしよう。
ふと横にいる姉さんを見ると、最初は嬉しそうに目を細めていたのに、不意にその表情がスッと曇った。
ひょっとして、私の顔を見て何か嫌な未来でも予知したのかな。
ちょっと不安になったので、お茶を濁すように姉さんを引っ張ってツーショットを撮影することにした。
「記憶を失う前より活発になったかな?」
「そう?」
あまり昔の記憶が戻っていないから、自分ではよくわからない。
けれど、鏡に映る自分の美しさに、珍しくテンションが跳ね上がっているのは確か。
「じゃあ、そろそろ戻りましょうねぇ~」
鳴女さんに腕を引かれたが、私はすかさず「鳴女さんも入って!」と彼女を引き寄せてスリーショットをパシャリ。鳴女さんはキョトンとした顔で私を見つめた。
「んん? なぁに、これ?」
「もうお友達でいいかな~って」
私の提案に、鳴女さんはぱぁっと表情を輝かせた。
「うん! よろしくぅ〜!」
そのまま鳴女さんは、私の隣にいる姉さんに視線を向ける。
お互いの間に一瞬、冷ややかな風が吹いた。顔を引きつらせている姉さんを見るや否や、鳴女さんはこれ以上ないほどの満面の笑みを浮かべ、これ見よがしに私に抱きついてきた。
「心の友よぉ〜〜! これからもよろしくぅ〜〜!」
「う、うん……」
鳴女さん、やっぱり姉さんのことが心の底から大嫌いなんじゃなかろうか……。
部屋に戻り、床に正座しようとしたら、鳴女さんから「片膝を立てた楽な姿勢(胡膝)で構わない」と指示があった。
これは本当に助かる。足が痺れる心配がない。
姉さんたちもかしこまらず、最初から胡座をかいてどっしりと座っている。
すると、部屋に設置された機材から3Dのホログラムが展開され、さっき夢に出てきた神様たちが姿を現す。
神様たちは「コ」の字の陣形を作り、中央の私たち、というより、姉さんを威圧するように見下ろした。
「久しいな、邪鬼」
夢の中にいたタカミムスビ様が、傲慢な態度で姉さんを睨みつけている。
けれど、時折チラチラと私の方を盗み見ている。
「そこの娘が、あやつなのか」
知恵の神であるオモイカネ様も、私を見て目を丸くし、驚きを隠せない様子だ。
「ウカ殿からの強い進言があり、そなたらの処分を見直すことになった」
「……ありがとうございます」
姉さんが静かに頭を下げる。
「まずは……。ふむ、真の名はまだ呼んではいかんのだったな。
というか、本当に『あれ』の生まれ変わりなのか!?
高天原広しといえど、これほどの美姫はそうそうおらんぞ!?」
タカミムスビ様が問いかけると、オモイカネ様が深く頷いた。
ところで、タカミムスビ様の、私をなめ回すような視線が妙にいやだ。
ゾワゾワと背筋に冷たいものが走る。
いけない、いけない。相手は偉い神様なんだから、こんな風に思うのは不敬すぎる。必死に表情を取り繕う。
「プッ」
私の必死のポーカーフェイスがツボに入ったのか、隣で姉さんが吹き出した。
「こほん!」
タカミムスビ様がわざとらしく咳払いをし、冷厳な声を作った。
「そこの闘神殿は、高天原への帰還命令を無視し、サグメと行動を共にした。さらに、許しも得ずサグメと夫婦になった咎により追放処分とした。
だが、あの照姫の呪いによって幾度も命を落とし、十分に罰は受けたと判断する。
よって、高天原からの追放は取り消す。早急に帰還せよ。さすれば、あのような災いどもが容易に近づくことはできまい」
えっと。つまり、高天原という神様の国に行けば、私たちは守られるってこと?
でも、そうなると現世のパパやママにはもう会えなくなっちゃうのかな。
不安になって隣の姉さんを盗み見ると、姉さんは私を見て、優しくニッコリと頷いた。心配ないみたいだ。
「あ、ありがとうございます……」
よくわからないけれど、促されるままにお礼を述べておく。
すると、タカミムスビ様はそれまでとは打って変わって、満面の笑みで何度も頷いた。
「高天原に来た暁には、私の館で暮らすが良い!
何不自由なく、心穏やかに、健やかに過ごせるように私が直々に手配してやろう!」
至れり尽くせりなのはありがたいけれど、本当にいいのかな……。
ふと姉さんの方を見ると、その目が据わっていて、ものすごく怖い。
よくないようだ。
とりあえず、愛想笑いでお茶を濁しておこう。
「さて、問題は次のサグメだが……」
「どうなさいましたか?」
思案顔で顎に手を当てるタカミムスビ様に、傍らに立つ美しい女神のウカ様が声をかける。
「いや、いかにウカ殿が赦免を願い出られたとしても、こやつを安易に赦すのは、いささか憚られる」
「神通力が効かなくなると偽り、密かに我々の心と記憶をこっそり覗き見ていたこと……。これが許しがたい不届き千万な行為であるという認識は、皆同じでありましょう」
オモイカネ様が、冷徹にサグメ姉さんの罪状を並べ立てる。
「であろうな」
「とは申しましても、本人は深く反省し、謝罪し、心を入れ替えると申しております。主様も『一度だけ慈悲をかけ、赦すべし』とおっしゃっています」
ウカ様が優しくフォローを入れるが、タカミムスビ様は鼻を鳴らした。
「謝罪、か。
そういえば、私はこやつからまだ謝罪を受けておらぬなぁ」
「サグメ」
オモイカネ様が姉さんを促す。
「はい」
姉さんは胡座をかいた姿勢のまま、淡々と、しかし殊勝なトーンで話し始めた。
「私は皆様の心を不当に覗き見たこと、深く反省しております。この罪がお許しいただけるのであれば、皆様お一人おひとりの元を直接訪ね、謝罪して回る所存です。何卒、慈悲の心をもって、お赦しいただけますようお願い申し上げます」
「なるほど。
まあ、今回ばかりは許してやってはどうですか? 主様も、皆が赦すのであれば追放を取り消して良いとおっしゃっているのですし」
オモイカネ様がタカミムスビ様に微笑みかけるが、タカミムスビ様が姉さんを見る目は冷酷そのものだった。
「主様は『皆が赦すなら』と言ったのだ。
そして、このわしは、まだ許した覚えはないのだがなぁ」
「……それでは、追放は取り消さないということでしょうか」
姉さんの声のトーンが、わずかに低くなる。
「そうは言っておらん。
まずはこのわしに、誠意あるしっかりとした謝罪を見せてもらおうではないか」
「タカミムスビ様。今までの私の無礼な発言と、皆様の心を――」
「違うっっ!!!」
タカミムスビ様が突然、鼓膜が破れんばかりの大声を張り上げた。
その怒声に、姉さんは肩をビクッと跳ね上げ、身体を硬直させる。
「何か、間違っていましたでしょうか……?」
「貴様、本当に謝罪する気があるのか!? んん!?」
「いえ、もちろん、深く反省し、心からお詫びを……」
「ならば! 謝り方というものがあるであろう!」
「と、申しますと……」
「誠意が全く伝わってこん」
「誠意ですか?」
「まずは姿勢だ。平伏しろ!」
「……はい」
胡座をかいていた姉さんが、促されるままに正座へと座り直す。そして、軽く頭を下げた。
それを見ているだけで、私の胸の奥でイライラとした感情が沸き上がる。
……やりすぎ。いくらなんでも、やりすぎ。
「舞。私は平気だから、黙って見ていなさい」
姉さんが私に、静かな声で釘を刺す。
「タカミムスビ様、もうその辺りでよろしいのではないでしょうか?」
見かねたウカ様が助け舟を出そうとするが、タカミムスビ様はそれを一喝した。
「ふん! いいや、まだだ!
サグメ! そのまま頭を床に擦り付けろ! そう、土下座だ!!」
はぁ?
……ぶっ殺してやろうか、このクソジジイ。
「舞! 落ち着きなさい!」
姉さんが私を強い声で制する。
「でも、姉さん……!」
「わかりました。土下座をすれば、気が済むのですね」
「タカミムスビ様、そこまで侮辱する必要があるのでしょうか」
オモイカネ様までが眉をひそめる。
「私はこやつに事あるごとに反対され、何度も皆の前で面目を潰されてきたのだ!
これでも土下座だけで許してやろうと言っているのだぞ!」
タカミムスビ様は完全に感情的になり、姉さんを指さした。
「どうした! 早くせぬか!」
ぶっ飛ばす。
ぶっ飛ばす。
ぶっ飛ばす。
生まれて初めて、頭の芯が真っ白になるほどの怒りが私を支配した。
姉さんは悔しさに震えるように肩を揺らしながら、ゆっくりと床に両膝をつき、深く、深く頭を下げた。
「申しわけ……ありませんでした……っ」
「聞こえん!
額を床に擦り付けろと言っているのだ、この邪鬼めが!」
へぇ……。
そこまで、やるんだ。
「本当に……っ! 申しわけ! ありませんでした!!」
床に擦り付けられた姉さんの額。
張り詰めた静寂。
「ふん!
土下座女神」
タカムスビがニヤァと笑いながら放ったこの言葉の後に、ぽたぽたと彼女の涙が床に落ちた。
その瞬間、私の中で何かが完全に弾け飛んだ。
頭の奥のストッパーが壊れ、意識が別の「恐るべき何か」へと塗り替えられていく。全身を駆け巡る血が、すべて超高熱のマグマに変わったかのような感覚。
私から噴き出したオーラが、部屋の空気をピシピシと振動させ、空間そのものを歪めていく。
『貴様ぁ……ッ!!!』
私の口から出たのは、自分のものとは思えない、地鳴りのような重低音だった。
『よくも……我が妻を、そこまで愚弄したな……!
今から貴様の首を直々に刈りに行く。高天原ごと消し飛ばしてやるから、覚悟しておけ!!』
私のその怒号を聞いた瞬間、
「我が妻……っ!」
床に伏していた姉さんが、ハッと顔を上げた。その表情は屈辱にまみれた涙顔などではなく、まるで奇跡の救い主に出会ったかのような、物凄い歓喜と感動に満ちあふれた「恍惚の表情」だった。
そのあまりに想定外な姉さんの反応に、私の煮えくり返っていた怒りが、ちょっとだけ肩透かしを喰らって霧散した。
「ほぉ、本当にずいぶんと覚醒したな」
ホログラムの向こうで、オモイカネ様が感心したように呟く。
だが、私の怒りはまだ完全に消えたわけではない。
おい、タカミムスビ。お前はどこにいる。
意識を研ぎ澄ますと、私の視界が爆発的に拡張された。視線は物理的な部屋の壁を突き抜け、幾千の山を越え、雲を突き抜け、はるか天空の彼方にある神の領域――高天原へと一直線に到達する。
そして、あの大きな神殿の広間で、オモイカネ様の真横に立っているタカミムスビの姿を、完全にロックオンした。
ふふふ、見つけた。
『見つけたぞ……。
今からそこへ行く。首を洗って待っていろ』
「ええっ!? もう見つかったの!?
おい、サグメ! こやつ、マジでこっちに向かってきそうだぞ! なんとかしろ!」
タカミムスビ様が、さっきまでの威厳はどこへやら、情けない素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「まあ待て。落ち着け」
背後から、多聞(毘沙門天)の手が、私の肩をがっしりと掴んで抑え込もうとする。
「離せ、多聞!!!」
私が煩わしげにその手を掴んで引き剥がし、背負い投げの要領で軽く振り払う。
その瞬間、最強の武神の一角であるはずの多聞の巨体が、天井近くまで軽々と投げ飛ばされ、壁に激突した。
ふふふ、恐ろしいほどの力が体中から無限に湧き上がってくる。
私のこの怒りが収まるまで、高天原を更地にする勢いでおおいに大暴れしてやろう――。
その時だった。
「はい! カットぉぉぉーーーっっっ!!!」
ウズメさんがどこからか取り出した映画撮影用の木製カチンコを、目の前で「カチン!」と大きく鳴らした。
その乾いた音が部屋中に響き渡った瞬間、背後から姉さんが、ものすごい勢いで私にぎゅっと抱きついてきた。
……カット?
「もう十分! 大成功、終わりっ!」
姉さんが嬉しそうに声を弾ませる。
……。
……。
……。
「終わり、カットって……どういうこと!?」
「そうだ! 早く説明してくれ!
この娘、今にもこのわしをリアルに滅ぼしに来る勢いではないか!」
ホログラムの中で、タカミムスビ様が冷や汗をダラダラと流している。
「ええっとね。
これは、舞の眠っている力を強制的に覚醒させるために、みんなで一芝居うったのよ」
姉さんが悪びれもせずにウインクした。
「一芝居……?
でも、姉さん、さっき悔し涙を流してただろ!?」
「ああ、これのこと?」
姉さんが懐から目薬の容器を取り出し、ニカッと悪戯っぽく笑う。
ベタすぎる……!
「いやぁ、それにしてもタカミムスビ様のあの迫真の嫌がらせ演技!
芸能の女神であるこの私も、思わず引き込まれちゃいましたよぉ。プロ顔負け、凄すぎっ!」
ウズメさんが、タカミムスビ様を指でツンツンとつつく。
「ははははは! であろう? わしの演技力、舐めてもらっては困るな!」
タカミムスビ様が、一瞬でドヤ顔に戻る。
え、本当に全部演技だったの……!?
「本当ですわ。
あまりにも見事な悪役ぶりで、私も思わず感動してしまいましたわ」
ウカ様も上品に口元を隠しながら、ニコニコと相槌を打つ。
「はははははははは!
であろう? であろう!?」
タカミムスビ様の高笑いが、今度は部屋中に響き渡った。
「でも、あの怒鳴り方、『本音』が結構混ざっていましたよね?」
オモイカネ様が、冷静なツッコミを入れる。
うん、私も絶対にそうだと思った。
「わはははははは! そりゃあ、日頃の恨みが……って、何を言うか!
断じてすべて演技であるぞ! 演技!」
墓穴を掘りかけて、慌てて取り繕うタカミムスビ様。
やっぱり本音が入っていたらしい。
「さて。ずいぶんと力は衰えてしまったようだが……今のそなたの覚醒具合なら、あの『蛇』ごときに遅れを取ることは万に一つもあるまい」
オモイカネ様が、満足そうに頷きながら私を見た。
かつての戦い方や、体内に眠る膨大なエネルギーの操りかた。
今の怒りのおかげで、感覚としてしっかりと掴むことができていた。




