今ははるか昔
「武威をもって中津国の荒ぶる神々を平定し、彼の地に秩序をもたらすのじゃ」
主様の御前でタカミムスビ様がワカヒコ様に中津国平定の命を下し、その傍らではオモイカネ様が微笑を浮かべて様子を眺めている。
荒事しか能のない私がこの場に召し上げられたということは、ワカヒコ様と共に中津国へ向かい、荒ぶる神々を交渉ではなく、武威をもって調伏させよということか。
面白い。
悪鬼羅刹、魑魅魎魎どもの相手ばかりで、退屈していたところだ。
「プッ。……やはり、アメノホヒ様は中津国に寝返った、ということですか?」
ワカヒコ様の背後に控えるアマノサグメ様という女神の一言で、場の空気が一変した。
占術で未来を予知し、神々の心をも見通すという女神。
平気で虚言を吐き、神々を翻弄してきたという噂を耳にしたことがある。
彼女以上の占術の使い手はいないらしいが、あまりに不敵で嘘が多いため、その予言や忠告に本気で従おうとする者は少ないという。
「まだ、確実に裏切ったという証拠はない」
タカミムスビ様が手の中の宝玉を握りしめ、バツが悪そうに答える。
あの宝玉を持つことで、アマノサグメ様に心を読まれずに済むらしい。
まあ、私としては心を読まれたところで困ることは何もないがな。
おそらく彼女は、以前から裏切りを予言していたのだろう。
「はあああああぁ!?」
アマノサグメ様が、はしたなくも大声を上げた。
「だから、まだ裏切ったと決まったわけでは――」
「ばっかじゃないの!? 『ずーっと頑張ってまーす』っていう中身のない連絡しかないんでしょ?
だからワカヒコ様と私を派遣するんじゃないですか。
中津国の様子を探らせたら、やっぱり怪しいと踏んだからでしょう?」
「み、魅了されているのかもしれぬ」
「魅了ねぇ……。
私の占いで『あれは裏切る』とお伝えしたこと、忘れていませんよね?
今回も果たしてどうなることやら。
……聞きます?」
コロコロと鈴を転がすように笑いながらも、その鋭い眼光がタカミムスビ様を射抜く。
やはり、予言通りだったということか。
しかし、この女神は恐ろしく気が強い。
「ふん。所詮はただの占術ではないか。
今回の国譲りは、聡明にして高天原随一の弓の名手、ワカヒコ殿が行うのだ」
「本当にそう思われています?
その、必死に握りしめている宝玉を手放して、私の目を見ながら話しましょうか」
「無礼者めっ!
な、何ゆえ貴様に我が心の内を晒さねばならぬのだ!」
「サグメ。俺が裏切るとでも言いたいのか?」
ワカヒコ様の冷ややかな言葉に、サグメ様はニヤリと不敵に笑った後、ぷいっとそっぽを向いた。
「アメノホヒ様だって、最初は裏切るつもりなんて無かったでしょう。
そういえば、中津国にはあなた好みの、強く美しい姫君がいるそうですよ?」
「その姫君がいるから、俺が裏切ると言うのか!」
「さあ、どうでしょうねぇ」
クックック、と喉を鳴らして笑いながら、挑発的な目で睨みつける。
そこから、三人の言い争いが始まった。どうやら元々仲が悪いらしい。
確か、前回の中津国への使者であるアメノホヒ様は、結局そのまま復命しなかったと聞いている。
三人の舌戦は、完全にアマノサグメ様が優勢のようだ。タカミムスビ様は顔を真っ赤にして怒鳴っている。
「中津国には強き神が多い。
ワカヒコ殿の弓は優れているが、念には念を入れ、そこの猛禽を連れて行くが良い」
オモイカネ様の一言で言い争いがピタリと止まり、全視線が私に集まった。
「その者は?」
「高天原に近づこうとする魑魅魍魎どもの相手をさせておる。ほれ、素顔を皆に見せよ」
素顔、か……。
私は深く下げていた頭を上げる。
そして、これまで封じていた額の力を解放すると、その場にいた全員がぎょっと息を呑んだ。
「五つ目とは……。
な、なんと禍々しい……」
なんだろうな。彼らの怯えを見た瞬間、私の昂ぶっていた心が急に冷めていくのを感じる。
「中津国を調べさせた帰りに見つけたのだ。
中々に強い。
個の闘いであれば、あのスサノオ様に迫る強さであろうなぁ。
さしずめ闘いの神――そう、闘神じゃな」
「おおおお!!」
む。御簾の向こう側にいらっしゃる主様の気配が、微かに揺れた。何かあったのだろうか。
「しかし、こやつの力、尋常ではありませぬ!
万が一、中津国に寝返りでもしたら、高天原の脅威になりますぞ!」
タカミムスビ様が、焦ったようにオモイカネ様に訴えかける。
「まぁ、その心配はごもっとも。
サグメ、この者の心を読み、未来に裏切りがあるか否か、嘘偽りなく答えよ」
「こいつの未来を見ろと?
はぁ、わかりましたよ」
オモイカネ様の言葉に億劫そうに頷くと、アマノサグメ様が私の目をじっと覗き込んできた。
……。
……。
長い、静寂が流れる。
「え?
ええええええええええ!?」
「ど、どうしたのじゃ!」
アマノサグメ様が突然、素っ頓狂な大声をあげたため、タカミムスビ様もつられて声を裏返らせた。
「えっと、あ〜……
うん。こいつ、いや、この方に裏切りはありません。
よくも悪くも、主の命令に忠実です」
「顔が真っ赤だぞ。真であろうな」
「こほん!
この方は、いわば一振りの剣のようなお方。
剣は、持つ者を裏切ったりしないでしょ?」
「どういう意味だ」
「この方は命令に対して絶対。
闘うこと以外に興味はなく、裏切るという概念そのものが頭にありません」
「ほぅ……」
御簾の向こう側から、厳かな声が漏れた。
「だが、剣ならば相手に奪い取られたら、こちらが切りつけられるではないか」
「お前は本物のアホですか?
剣を奪われるような愚か者は、大人しく斬られればいいでしょう。
それは剣が悪いのですか?
使う奴が間抜けなだけです」
「な、何だと貴様……!」
突然、御簾がするすると上がると、太陽のように眩い光が周囲を照らし出した。
私は即座に額の力を収め、深く頭を垂れる。
「その者に、この剣をつかわす。
ワカヒコ達と共に使命を果たした後は、高天原を守護する一柱として、妾の近くで仕えよ」
差し出された質素な造形の剣が、神力によってゆっくりと宙を浮いてこちらへ進んでくる。
私はその柄を、しっかりと掴んだ。
「ありがたく、お受けいたします」
「そ、それは! 天羽々斬ではございませんか!」
「いや、いや、あれは影打ですな」
「あの~
私も中津国へ行くのですから、護衛を付けてもらえないでしょうか!」
誰もが私の受け取った剣を凝視している中、アマノサグメ様が唐突に手を上げて声を張り上げた。
場がシーンと静まり返る。
「私は戦いなんて全くできません。
武器で脅されたら、あっさり寝返っちゃいますよ?」
「ははは! 貴様の方がよほど裏切り者ではないか!
だが、貴様の側にいて守ってくれるような奇特な者が、果たしているのか?」
「はっ! 私、友達いないですけど、それが何か?
そうですねぇ。
では、その闘神さんに『私を守り、ついでに気が向いたらワカヒコ様とともに戦う』という誓いを立ててもらいましょうか」
「それは駄目だ。国譲りを拒む者がいるなら、こやつには最前線で戦ってもらわねばぬ」
アマノサグメ様はタカミムスビ様を見て、にっこり笑った。
「スサノオ様は強い。頼もしくもあり、恐ろしくもある。
ただ、欠点も多い……
それはもう、危険なくらいにね。
あなた達、この方を育てて、いざという時にスサノオ様と闘わせるつもりでしょ!?
この方の未来を見ればわかります」
「ちっ……。
厄介な力だ。それで、こやつの未来に『それ』はあったということか」
「うーん、これ以上言っちゃうと未来が変わるからなぁ。
あー、でも、ま、いっか。
そりゃあもう、けちょんけちょんに負けてましたかね!」
場に、落胆と失望の空気が広がった。
あのスサノオ様は、それほどまでに強いのか。
素晴らしい。それはとても、楽しみだ。
「ちょっとそこ!
『けちょんけちょんに負ける』と言われて、どうしてそんなに嬉しそうなの!」
ふっ。
私より強いというお方と、命を懸けて闘うことができるのだ。楽しくないわけがないだろう。
「あー。
多分、今ので未来変わっちゃったかなー」
「どういうことじゃ」
「未来が変わり、深い霧に包まれました。
霧が晴れるまでは、今はこれ以上の未来を知ることはできません」
「スサに負ける未来も消えた、ということかえ?」
「はい。
どうでしょう? 私の護衛の任に付けていただければ、良い未来になるように努めますが?」
「誓詞を持て」
主様が命じると、すかさずオモイカネ様が誓いの紙を差し出す。
「誓いを破れば神格に傷がつく。
最悪の場合、神の力を失うかもしれぬ。
ただ、我らの信頼を得ることにはなる。
見返りに、お前の望みを叶える手伝いをしよう」
私の、望み。
かつては敵を屠ることで心が満たされていたが、今は全く満たされぬ。この乾きを満たす術を、私は見つけたい。
このような紙切れに名を書けば良いのか。くだらぬ。
『はっ! こ、これは夢!? 私のはるか昔の前世の記憶……!? おじさまがこの紙に書いた名前を見れば、私の前世の名前も思い出せるかも!
早く書いて! あの蛇を倒して、お家に帰らないと!』
「あー、うん。神格に傷がつくと、あなた様の場合、闘いの力が弱くなっちゃうよ。
甘く見てると、大変なことになるからね。
ちなみに、私なら絶対にそんなの書かないかな」
サグメ様の一言に、誓詞の上に載せた筆が止まった。
『ね、姉さん! いや、サグメさん!? 余計なこと言わないでよ!』
「心配は無用。
誓詞を書こうが書くまいが、サグメ様のような美しい方は必ずやお守りする。
ご安心めされよ」
私がそう告げると、再び筆を滑らせて名を書き込んだ。これこそが、私の名だ。
『良かったー! これで、あの蛇をなんとか……。
……
……
よ、読めない!
日本語で書いてよ、変な文字だから読めないのよ!』
「剣を改めさせていただく」
誓詞に名前を書き終えた私は、手元にあった影打の剣を手に取る。
そして、様々な角度から刀身を見定めようとしたその時、磨き抜かれた刃に私の顔が映り込んだ。
『きゃーーーーーーーー!
かっこいい! イケオジ渋すぎる!
ドキドキが止まらないぃ!
このトキメキは、あのニシキヤッコとの出会い以上!!』
「どうした、サグメ。真っ赤になって固まっておるぞ!?」
怪訝そうに覗き込んできたタカミムスビ様が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて彼女の肩をつんつんと突いた。
「『美しい』などと言われたのが、そんなに嬉しかったのか? んん?」
「うるさい!
だまれ!!」
ドンッ! と、凄まじい破裂音が響く。
サグメ様の鋭い正拳突きが、綺麗にタカミムスビ様の顎を捉えていた。
哀れな最高神の一柱は、文字通りゴロゴロと床を転がっていき、そのまま壁へと派手に激突する。
……。
静まり返る神殿の中で、私はそっと拳を握り直した。
――このお方は、私が守るまでもなく、十分に強いのではないだろうか?




