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宵闇の女王の決意 ~最後は、人間として~

 ヴィオレットは、まだハリーを愛している。

 胸の中には、彼への熱い思いが生きている。


 ハリーは、ヴィオレットの呪縛から解放され、自由を得た。それが彼の望みだったのならば、どこかで幸せに生きていて欲しい。

 いいや、むしろ戻ってきて欲しい。『すまなかった』と言って抱き締められたら、きっと一二(いちに)もなく許してしまうだろう。


 裏切者を、殺戮者を憎むことができない。その気持ちは、とても恥ずべきものであるような気がした。

 他者には決してさらすべきではない、女の心のとびきり弱い部分。


 あれだけ(むご)い仕打ちを受けながらも、ハリーへの気持ちを断ち切ることができない。そんな繊弱(せんじゃく)な女を、エドマンドは愚かだと見下げるだろう。

 遺されたセーラも、死んだ娘たちも、報復を拒絶する主人を軽蔑するだろう。


 かといって、本音を隠蔽して復讐に身を投じる気にもなれなかった。


「もう、いいの」


 弱々しく頭を振ると、エドマンドはいきり立った。


「な、なぜ!」


 普段は温厚な青年の変わりように、ヴィオレットはわずかに面食らった。けれど再度頭を振る。


「そんなことはどうでもいいの、エド」

「そんなこと、って……ヴィー!」


 激しく声を荒げるエドマンドをなだめるように、ヴィオレットはゆっくりと告げた。


「お前の気持ちは嬉しいわ。でも、もういいの」


 そっと立ち上がり、青年の端正な顔を真っ直ぐ見つめる。ヴィオレットが柔らかく微笑んでも、彼の瞳に宿る激憤は少しも揺るがなかった。

 いたたまれなくなったヴィオレットはそっと目を伏せる。


「ぼくは、絶対に奴を許さない」


 エドマンドの言葉には、憎悪がたっぷりと詰まっていた。ヴィオレットとハリーを引き合わせたのはエドマンドだ。責任を感じているのだろう。その気持ちは理解できるが……。


「お前のしたいようにすればいいわ」


 ヴィオレットは半ば投げやりに言う。

 ヴィオレットがハリーへの想いを絶てないのと同じように、エドマンドも決してハリーへの怨恨を消すことはないだろう。


「ヴィー……!」


 なおも喰らい付くエドマンドに、ヴィオレットはやや冷たい目を向けてしまった。


「だから、お前のしたいようにすればいい。……私はこの屋敷で、セーラと二人きりで生きて行く」

「ヴィオレット……――」


 エドマンドは顔をくしゃくしゃにしてうつむいた。彼から愛称ではなく実名で呼ばれるのは、初めてかもしれない。


 小さく打ち震えていたエドマンドだったが、やがてこくんと頷いてヴィオレットから距離を取った。

 それは、『したいようにする』という決意表明なのだろう。


 手を伸ばせば届く距離なのに、二人の間に途方もない隔たりができてしまったような気がした。悲しいが、追い(すが)る気にはなれなかった。


 それから、一人で従者たちの部屋を見て回った。

 乱れたシーツや脱ぎ捨てられた衣服。毛の絡まった(くし)。生活感がそのまま残っているが、埃がたっぷり積もっていた。いずれ片付けねばらない。


 貧しい者たちのことをいつも気に掛けていたエミリアや、敬虔な旧教徒だったソフィーのために、遺品は売って換金し、寄付しようと決意した。


***


 オルドリッジ邸に戻ったヴィオレットを、セーラが出迎えた。

 見送ってくれたときとまったく異なる出で立ちをした少女を見て、ヴィオレットは愕然と目を見張り、激しく戦慄(わなな)いた。


 セーラの栗色の髪がなくなっていた(・・・・・・・)からだ。

 背中まであった長髪は、さっぱりと肩の上で切り揃えられている。

 しかも、身に着けているのはヴィオレットが送った流行りのドレスではなく、簡素なデザインのメイド服だった。


「これは……どういう――」

「オルドリッジ家家宰(かさい)のエリザ様に、女中の仕事を習うことになりました。今後は、わたくしが一人でヴィオレット様の身の回りのお世話をしなくてはなりませんからね」


 セーラはヴィオレットの言葉を遮って滔々と言った。それからにっこりと笑い、不格好なカーテシーをしてみせる。


「切った髪は、保管してあります。お姉さま方のお墓にお供え頂きたく思います。もしくは、遺灰と一緒に撒いてください」


 ヴィオレットは震える手でセーラの髪に触れた。

 切りたてほやほやの毛先は鋭くて、ヴィオレットの皮膚にちくりと刺さる。ほんの些細な痛みのはずなのに、肉を抉られたのかと思うほどの激痛を感じた。


 そのままセーラの頬を撫でると、くすぐったそうに微笑んで身を(よじ)ったが、猫のように甘えてくることはなかった。

 甘えん坊の『末妹』としての立場を捨て、すでに『メイド』としての立ち振る舞いをしているのだ。

 その健気な(さま)は愛おしかったが、あまりに切なかった。


 セーラはヴィオレットの悲哀を察したらしく、不安そうに眉尻を下げたが、それを隠すように深く頭を下げた。


「非力で脆弱な小娘(セーラ)は、お姉さま方と一緒に死にました。ですから、ヴィオレット様の新たな従者としてお側に置いてください。そして、新たな名前をください。……何卒、何卒よろしくお願い申し上げます」


 セーラの切実な想いは、ヴィオレットの胸を打った。


 しかし、従者をいじらしく思う気持ちよりも、激烈な怒りがヴィオレットを支配した。

 憤怒の形相で背後へ向き直り、そこにいた青年の胸倉を掴みあげる。


「お前かっ! セーラに余計なことを吹き込んだのは……!」


 いつものエドマンドだったら、こうして暴力に訴えればすぐさま怯えて謝罪し、ヴィオレットに追従しただろう。

 けれど今日のエドマンドは(かたく)なだった。真摯な光を帯びた金色の瞳が、ヴィオレットを鋭く見据えてきている。オルドリッジ夫人の威厳の片鱗を見た。


「そう、ぼくだよ。だって必要だろう。あの家で、二人で生きて行くのならば」

「だからって……こんな! 私になんの断りもなく……!」


 いくら付き合いの長い幼馴染とはいえ、他人の従者をここまで激変せしめていい道理はない。なぜ一言の相談もなかったのか、と裏切られたような気分になった。

 怒りに打ち震えるヴィオレットの肩に、セーラの手が置かれた。


「ヴィオレット様……。わたくしは決して無理強いされているのではありません。自らの意思で、決意したのです」

「セーラ……」


 激憤を鎮めてセーラを見遣る。彼女の瞳にも、強い光が宿っていた。病床のヴィオレットの傍らで泣き喚いていた少女とはまるで別人。

 ヴィオレットが寝台に伏せって意気阻喪(いきそそう)している間、セーラなりに様々な思いを巡らせてくれたのだろう。


 ヴィオレットがセーラと二人で生きて行くと決めたように、彼女もまたヴィオレットと二人で生きて行くと決意し、その為にどうしたらいいかエドマンドへ相談したのだろう。

 その心遣いを、無下にしてはいけない。


 ヴィオレットが一筋の涙を流すと、セーラもまた一粒の涙をこぼした。

 二筋目、二粒目はなかった。


 そのわずかな涙を()って、二人は未来への一歩を踏み出した。


***


 ヴィオレットはただ一人生き残った娘に、『シェリル』と名付けた。


 それから、従者たちの遺灰はそれぞれの故郷へ還すことに決めた。

 故郷に墓を作り、灰と装飾品を埋めた。

 生まれ育った土地で、血の繋がった者たちの側で眠らせてやろうと思ったのだ。


 ――最後は、人間として。

「過ぎ去りし日」は以上になります。このあと数年を経て、プロローグへと繋がります。


また、章題はヴェルディのオペラ「椿姫」の「過ぎ去りし日よ、さようなら」より(タイトルの日本語訳は定まっていないようです)。

「椿姫」の主人公も「すみれ(ヴィオレッタ)」という名前で、ヒロインの名前が同じであることをきっかけに「椿姫」に興味を持つに至りました。ハリーの庭に椿が咲いていたり、作中にちょこちょこオマージュを入れています。


第四部も、引き続きお楽しみください。

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