宵闇の女王の帰宅 ~遺灰を前にして~
ヴィオレットがオルドリッジ家に身を寄せてから、二月近くが経過しようとしていた。
ようやく満足に身体を動かせるようになったヴィオレットは、自邸へ戻る決意をした。
しかし、今日のところは『一時帰宅』だ。
エドマンドを伴い、もはや懐かしささえ覚える屋敷の門扉をくぐる。
庭の薔薇は、ほとんどが枯れ落ちていた。定期的に血を与えてさえおけば年中咲き誇る花々も、それをする者がいなくなれば呆気ないものだ。
サンザシの花は生き残っており、薄紅の花が風に揺れていた。けれど、どこか寂しそう。
ヴィオレットは胸の痛みを無視して、屋敷の奥へと足を踏み入れた。
従者たちの血にまみれていた屋内には、なんの痕跡も残っていなかった。あれだけ凄惨な出来事があったというのに、血のにおいさえ感じられない。
それもそのはず、カルミラの民の従者は、死後数時間で肉体のことごとくが灰と化す。カルミラの民自身はそうならぬというのに、なぜか従者だけ。
ヴィオレットはうっすらと思った。『化け物』に魅了された人間を、神は歓迎しないのだろう、と。
「ヴィー、君の寝室に置いてある」
エドマンドが背後から声をかけてきた。
「……ありがとう」
小さく礼を言ったあと、ヴィオレットはゆっくりと階段を登って二階の自室へ向かった。階段を一段上がるたび、かつての記憶が胸に飛来する。そして、心に突き刺さる。
でも、足を止め泣き喚くわけにはいかない。悲しみに浸るために帰ってきたのではないから。
未来へ進むため、帰ってきたのだ。
寝室のドアを開け、ゆっくりと室内を見渡す。
鏡台の前に、陶製の入れ物が並んでいた。その数は全部で十。足早に近寄り、その一つ一つを視線で慈しむ。
蓋の上には、それぞれ異なる装飾品が置いてあった。髪飾り、耳飾り、首飾り。腕輪に指輪。
陶器の中に入っているのは、従者たちの遺灰だった。上に置かれているのは、彼女たちの遺品。
「エド……お前が全部やってくれたの?」
「……ああ、父上や母上の従者にやらせるわけにはいかなくてね」
軽い調子でエドマンドは答えたが、相当難儀したはずだ。精神的にだって、辛かったはず。
ヴィオレットは、他人の従者の遺灰をかき集めるエドマンドの姿を思い浮かべた。床に膝をついて、上等な衣類を汚しながらも、丁寧に作業をしてくれたのだろう。
ヴィオレットのためにそこまでしてくれる幼馴染があまりに愛おしく、胸が苦しくなった。
振り返り、エドマンドを抱き締める。エドマンドは相当に吃驚したらしく、ヴィオレットの腕の中で身体を強張らせた。
「この礼は、どうやって返したらいいの……?」
「そ、そんなのいいよ。ぼくが勝手にやったことだ」
「辛かったでしょう?」
「……君や、彼女たちの方がずっと辛かったはず。だから、気にしないで」
エドマンドの金色の瞳には、これ以上なく優しい色が浮かんでいた。ヴィオレットを案じつつ、亡くなった従者たちを真摯に悼んでくれている。その心遣いが嬉しく、いつか彼に報おうと胸中で誓う。
再度従者たちへと向き直ると、エドマンドが説明してくれた。
「ぼくが遺体を確認しに戻ったのは、その日の夜だった。すでにみな、身に着けているものだけを残して完全に灰となっていた。でも、君が彼女たちそれぞれに装飾品を与えていたから、誰の灰なのかはすぐにわかったよ」
「……そう」
一つの陶器に触れる。
蓋の上には、ルビーの耳飾りが乗っていた。最初の従者、シルヴィアに与えたものだ。
彼女は子どもを二度流産して夫に冷遇されていた。ヴィオレットより七歳も年上だったが、ひどく寂しがり屋で、ヴィオレットがいないと夜も日も空けないといったふうだった。
反面、後輩たちの面倒をよく見てくれた。
薔薇をあしらった髪飾りは、エミリアのもの。元は痩せぎすの娼婦で、従者になってからもいつも自分を卑下していた。
だから、その髪飾りに相応しいレディになりなさいと抱き締めた。
アンナは伯爵家の令嬢で、結婚が決まっていた。婚約者よりも大きなダイヤモンドを送って、目の前で略奪してやった。
だって、あの男には愛人が五人もいたのだから。
すべての従者に、幾千幾万の思い出がある。平等に可愛がってやれていたかと問われれば肯定しかねるが、それでもみんな、ヴィオレットの魂の一部だった。
あふれる涙を乱暴に拭い、嗚咽を飲み込んでエドマンドへ尋ねる。
「墓はどうしたらいいかしら」
従者の墓を作るカルミラの民は少ない。山河に撒いたり、手元に残しておくことが多い。
「掘るなら手伝うよ」
「……少し、考えるわ」
今すぐに結論を出すことはできなかった。慎重に答えを見つけたい。
ふらふらと寝台へ向かい、腰を下ろす。
思い起こされるのは、閨での甘い記憶。部屋へ呼び出し、寝台の上で血を啜ったあとは、必ず共に眠った。
寝相の悪い娘もいたし、ヴィオレットを抱き枕の代わりにする娘もいた。涎で枕を汚されたこともあった。
そんな他愛もない思い出のすべてが愛おしく――辛い。惨痛が心を狂わせる。
「ねぇエド……」
半ば乱れた思考のまま、側に控える幼馴染へ声を掛けていた。
「お前は、こうなることがわかっていたの?」
弾かれたようにこちらを見たエドマンドの顔は、強張っていた。しかしすぐに目を細め、穏やかに笑んだ。
「なんのこと?」
「従者は、カルミラの民の人形。自由意思のない奴隷。お前もそう思っているから、決して従者を持たないのでしょう? 自由を求める従者が、『こういう事件』を起こす可能性を予期していたのではない?」
青年からの答えはなかった。笑みは崩さぬまま、くちびるを固く引き結んで返答を拒否している。
沈黙を破らせようと真っ直ぐ見つめてみたが、彼は決して揺るがなかった。
ヴィオレットが諦念の息を吐くと、ようやくエドマンドは口を開いた。
「違うよ」
ふわりとした笑顔のまま、緩やかに首を横に振る。
「ぼくは複数人を同時に愛することができない。だから、従者を持たないんだ」
「……ならば、一人だけ持てばいいじゃない」
思ったことを率直に述べただけだったが、なぜかエドマンドはひどく悲壮な顔をした。ヴィオレットが首をかしげると、蚊の鳴くような声で『いい娘が見つからなくて』とぼやいてうつむいた。
ヴィオレットは再び陶製の器たちを顧みて、順繰りに撫でていく。どう葬ったら喜んでくれるだろう、と思索に耽った。
従者たちは、灰となってもヴィオレットの側にいたいと望むだろうか。
もしくは、カルミラの民の呪縛から解放された今、土に還りたいと願うだろうか。
もしくは、行けもしない天の国へ……。
「君がしたいようにすればいいさ」
エドマンドの優しい声に、『そうね』とだけ答えておく。やはり今すぐに答えは出なかった。
「君がしたいようにすればいい」
エドマンドはなぜか同じ言葉を繰り返した。今度はひどく冷たい声で。
「君が復讐を望むなら、ぼくは全身全霊でそれに応える」
――『復讐』。
その言葉に、ぎくりと身体が硬直した。
すなわち、ハリーに報いを受けさせるということか。他の従者たちを殺した報いを、ヴィオレットを傷付けた報いを。
己の矜持を守りたいのなら、従者たちの無念を晴らしたいのなら、報復をせねばならない。ハリーはそれだけのことを仕出かした。
けれど――。
復讐なんて、これっぽっちもしたくない。
それどころか、むしろ――……。
まだ、彼を愛している。




