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古豪は語る

 ヴィオレットはその日、オルドリッジ家宗主(そうしゅ)・アーサー・(ギャリー)・オルドリッジと対面を果たしていた。

 チャールズの訪問があってから、わずか三日後のこと。まるでタイミングを見計らったかのように、アーサーはアルバスへ帰還し、従者を使ってヴィオレットを呼び出したのだ。


 王都リンディムの中心部に位置するフェスタ地区には、一流のホテルやレストラン、商店が並んでいる。その一角、ガッリア様式の建物の一室がアーサーの指定した会談場所だ。


 オルドリッジ邸宅内ではなく、わざわざ人間の社交場へ呼び出したということは、夫人にも子どもたちにも内密の帰国なのだろう。赴く前から、嫌な予感しかしなかった。


 街へ出る際は男装を基本としているヴィオレットだが、アーサーの機嫌を取るために女性としての(よそお)いをして向かうことにした。

 髪は巻いて高く結い上げ、顔の両サイドに一房垂らす流行の形。

 胸元の大きく開いた淡いブルーのドレスをまとい、細い肩と美しいデコルテを露出させ、以前アーサーから贈られた真珠の首飾りで華を添えた。


 おめかし作戦は功を奏したようで、アーサーはヴィオレットを見るなり表情を輝かせ、周囲の人間たちとの歓談を打ち切って、個室へ案内してくれた。

 立派な装飾暖炉(マントルピース)(しつら)えられた、広々とした談話室。小洒落た家具や調度品は、一目(ひとめ)でガッリアのものだとわかる。実用性第一のアルバスのものとは(おもむき)が異なるからだ。


 そういえばアーサーはガッリア贔屓(びいき)だったな、と薄っすら思い出す。しかし、数十年も前に見放してしまった。

 なんでも、お気に入りの皇妃が離婚されてしまったことにたいそう憤慨したのだとか。()の国の凋落(ちょうらく)は、そこから始まったといってもいいかもしれない。


 ダークブロンドの巻き毛の偉丈夫(いじょうふ)は、椅子にどっかり腰を据えると、くちびるの端を二ッとつり上げる。


「久しいな、ヴィオレット。壮健そうでよかった」


 まるで実の娘へ接するかのように柔和な態度だったが、ヴィオレットは慎重に言葉を選ぶ。


「閣下こそお変わりないご様子で、なによりのことと存じます」


 淑女然とした笑みを浮かべると、アーサーは背もたれに威容(いよう)を預けて、かんらかんらと笑う。


「二人きりなのだから遠慮はいらん。子どものときのように、懐っこく接してくるがいい」

「ええ、おじさま」


 そのやり取りを終えると、室内に満ちていた圧力のようなものが消失し、ヴィオレットは秘かに胸をなで下ろす。

 幼い頃は父のように慕っていた相手だが、分別(ふんべつ)を欠いた言動は慎まねばならない。なにせ、彼は数百年生きている豪傑(ごうけつ)。現存するカルミラの民の中で唯一、ヴィオレットの曾祖父母(・・・・)であるカルミラとラウラを知る男なのだ。


「おじさま、このままずっとアルバスにいらっしゃるの?」


 甘えたような声色で尋ねると、アーサーはすべてを見透かしたかのように薄く笑う。


「そうして欲しいか?」

「ええ、ぜひに。今、アルバスでなにが起きているかはご存知なのでしょう?」


 あまり重苦しい雰囲気にならぬよう、ヴィオレットは軽い調子で言ったあと、テーブルの上の砂糖漬けをひょいとつまむ。

 対するアーサーも、演技じみた仕草で肩を竦めた。


「ああ、息子どもが遠路はるばる新大陸(エメルゴ)までやって来て、とくと語ってくれたからな。……だがなぁ、(わし)出張(でば)ったところで、『ゴルディアスの結び目を断つ』のようにはいかんと思うぞ」

「そうでしょうか。おじさまという偉大な一本柱さえあれば、皆が奮起することでしょう」


 おだてるように言ってみたが、アーサーは溜め息を一つこぼしただけ。


「儂はすぐにエメルゴに帰らねばならん。選挙が控えているのでな」


 ――選挙、だと。

 ヴィオレットは己の耳を疑った。生まれ育った故国で起きている大事(だいじ)よりも、人間たちの政権争いの方が重要だというのか。

 あらかじめチャールズから、『父上は新大陸で己の勢力圏を広げることにご執心』と聞き及んでいなければ、声を荒らげていたかもしれない。


 ヴィオレットは努めて笑顔を保って、困ったように首をかしげる。


「そんな、異国の政党のことなど……」

「ヴィオレットよ、儂はなにも、権力欲や遊蕩のために遠い異国へ赴いているわけではない」


 アーサーの口元から笑みが消えた。真剣な表情をして、膝の上で指を組む。

 瞬時に緊張したヴィオレットは、わずかな怖れを抱きながら、眼前の偉丈夫(いじょうふ)に真意を問う。


「と、おっしゃいますと?」

()の新しき地に、カルミラの民が移り住むための基盤を形成しておきたいのだ」

「な……!」


 予想外の言葉に身を乗り出すヴィオレットを、アーサーは眼光で制した。


「お前もわかっているだろう。人間たちは今このときにも、めざましい進歩を遂げ、世界の隅々にまで手を伸ばし続けている。人間の手によって、世界全体が凄まじい速度で発展しようとしている」

「え、ええ……」

「それに比べて、我々カルミラの民はどうだ? 長い寿命を持っているにもかかわらず、目新しいものを嫌い、ただ享楽に耽ることしか頭にない。そして、人間たちが数を増やし技術を進化させている(さま)を、我々はどこか冷めた目で見ている」

「おっしゃる通り、です……」


 ヴィオレットは静かに首肯(しゅこう)した。思い当たる節が大いにあったからだ。

 アルバス王国を皮切り始まった工業化の波は、今や諸国へ伝播(でんぱ)しつつある。しかしカルミラの民の多くは、それを良しとしていない。


 ヴィオレット個人としては、工業化に伴う環境汚染が(はなは)だ気に入らない。女や子どもが安い労働力として酷使されていることも。後者はともかく、前者に関しては多くの同胞が顔をしかめている。


 そしてなにより、(いちじる)しい変革が忌まわしくてたまらないのだ。

 それは単に、己に理解できないものへの嫌悪に過ぎないとわかっていはいる。それがどんなに身勝手な考えかということもわかっている。


 ヴィオレットが身に着けているものはすべて、人間たちが生み出したもの。お気に入りのショールも香水も、豪奢な家具も、住まいも、美味しいお茶やお酒だって。

 カルミラの民は、人間の進歩の恩恵をこれでもかと享受しているのだ。


 だが、これ以上の発展を飲み込むことができない。

 なぜなら、カルミラの民は、現状に満足しているからだ。

 人間同士で争ってまで領土を広げ、人が人を酷使し、環境を汚染してまで豊かになる必要はないと考えている。

 あくなき欲望を胸に秘め、野火のように世界中を舐め尽くさんとする人間の考えがまったく理解できない。


 押し黙ったまま考えを巡らせるヴィオレットに、アーサーは厳粛な面持ちで告げる。


「人間の興隆(こうりゅう)に取り残されれば、我々は衰退の一途をたどるだろう」

「それは……」


 肯定も否定もできなかった。

 心のどこかでは、『このひとの言う通りだ』と声がする。

 だが、認めたくなかった。絶対強者たるカルミラの民が、か弱い人間らの営みに取り残され、滅びゆくなんてこと、あってはならない。


「ゆるやかな滅亡を望むのも良いだろう。けれども、それを甘受できぬ同胞も大勢いよう。儂は、彼らのために新たな生存圏を確保しておきたいのだ」

「理解はできます……」


 ヴィオレットはようやくそれだけ絞り出す。アーサーの前でなければ、惑乱のあまり爪を噛んでいただろう。

ゴルディアスの結び目を断つ:快刀乱麻を断つ、に同じ。難問を一気に解決することのたとえで、アレクサンドロス大王に関する故事。

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