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失った友の代わり

 それから、グレナデンは三日間寝込んだ。

 同志たちからも、しばらく休むよう強く言われ、その言葉に甘えた。よほど顔色が悪かったとみえる。


 有り難い反面、情けないだのと陰口を叩かれているだろうと思うと、十全に休息を取ることはできなかった。

 どうして、友の残虐非道な行為に気付かなかったのか。どうして、一部の同志の裏切りに気付かなかったのか。


 いずれ詰責されるだろう。石榴館(せきりゅうかん)の者たちだけでなく、すべてのカルミラの民から。

 その責めはすべて受け止め、すべての責任を負おう。必ずやフィリックスを捕えよう。寝台の中でそう覚悟を決めた。そのために、今は身体を休めなくてはならない。


 だがふとした瞬間、胸の奥が鋭く痛む。

 信頼していた者に(そむ)かれていたという事実は、グレナデンの心に深い傷を作った。それを無理矢理ふさいでいるのだから、仕方ないことだ。


 挙げ句、目を閉じていると、地下に残されていた血文字が瞼の裏にまざまざと浮かんでくる。

 怨念のたっぷり詰まった陰惨な呪詛。あれを綴った者は、想像を絶するほどの非人道的仕打ちを受け、この世の地獄を見たのだろう。

 信仰を失い、神を呪い、血族を呪うだけでは飽き足らず──恐らく、この世のすべてを呪っていた。生きとし生けるすべての者に、呪いを振り撒こうとしていた。


 人間の怨念にどれほどの効力があるかは知れたものではないが、グレナデンは寝台の中で何度もゾクリと震えあがった。従者を呼んで共寝しようかと思ったが、呪いを移してしまうような気がして、ためらわれた。


 四日目に意を決して起き上がり、身支度を整えていると、新参の従者・サマンサが声を掛けてきた。


「エドマンド様がいらっしゃっています。いかがなさいますか?」


 サマンサはどこか切実な様子で、ぜひ会ってやってくれ、といわんばかりだった。

 支度を手伝ってくれているモリィも口を挟む。


「この数日、お見舞いにいらしてくださったのはエドマンド様だけでしたよ。体調が(かんば)しくないと伝えると、捨てられた子犬のようにしょんぼりしながら帰られて。少しだけでも、会って差し上げてくださいませ」

「……そうだな」


 グレナデンは嘆息してから了承した。あの銀髪の青年は、グレナデンの従者たちをすっかり(たら)し込んだらしい。


 しかし、見舞いに来てくれたのが彼だけだったとは。寂しいやら、嬉しいやら、複雑な思いだ。

 身繕いを終えたグレナデンは、足早に応接室へ向かった。


***


「申し訳ございませんでした」


 エドマンドは、グレナデンの顔を見るなり立ち上がり、深々と頭を下げた。

 病み上がりのところに訪問したことを謝罪しているのかと思いきや、どうやら違うらしい。恐ろしく思いつめた顔をして、小刻みに震えている。


「どうした、座りなさい」


 優しく声を掛けても、また立っている。仕方なしに、グレナデンはエドマンドの対面ではなく、隣の椅子に腰を下ろした。


「目上の者が座っているのだから、君も(なら)え。なにか話があるのであれば、ゆっくり聞こう」

「……はい」


 横並びで対話する構図に、先日ルパートから告発を受けた際のことを思い出したが、今はそのときより心穏やかでいられる。もしエドマンドのもたらす話が、ルパートの語った内容よりも(いきどお)ろしいものだったとしても、決して声を荒らげまいと決意した。


「グレナデン殿……。ぼくも、フィリックス殿の日記を読ませていただきました」

「そうか」


 フィリックスの日記や押収した書物は、石榴館(せきりゅうかん)の面々で回し読みしているため、別に(とが)め立てすることではない。しかし青年は、罪を悔いる咎人のように青い顔をしている。


「日記のところどころに、『ミナ』という名があったのを覚えておいででしょうか」

「ああ。確か……あったな。比較的最近の日付にも」


 ミナが来た、だの、ミナと食事に行った、などの短い記載があった。だが、他にもグレナデンの知らない者の名が出てきていたから、さして気に留めていなかった。

 エドマンドは深くうなだれ、引き絞るような声で言う。


「その『ミナ』は、間違いなく……オルドリッジ家三女のウィルヘルミナです」

「なんだと? なぜ、間違いないと言い切れる?」


 眉をひそめると、エドマンドはとんでもない悲劇を目の当たりにしたかのように両手で顔を覆う。


「姉上は子を宿してしておられた……。そしてぼくは、姉上から聞いていました。子の父親は、フィリックス殿だと」

「な……!」


 あまりの驚きに、それ以上の言葉が出てこなかった。目を見開き、戦慄(わなな)く。

 ある意味では、ルパートの告発よりもずっと衝撃的な話だった。


 カルミラの民の女性は、妊娠・出産・育児を(いと)う傾向にある。自由を阻害される上、出産の際に命を落とす危険性があるからだ。

 男性側がどうしても子を為したいと望むなら、春を迎えた女に強引に迫るか、数年がかりで口説き落とすしかない。前者は、女に殺されても文句は言えない。後者は、手間がかかる割に成功率が低い。


 フィリックスの日記から察するに、後者を選んだと思われる。いや、もしくはミナ自身が、フィリックスの子を宿すことを選択したのかもしれない。


 ――そういえば、とグレナデンの脳裏にさほど古くない記憶が蘇る。

 フィリックスは、オルドリッジ家の内情にも詳しかった。耳が早いだけだと思っていたが、彼自身がオルドリッジ家の令嬢であるミナと繋がっていたのだ。


 ふと、『フィリックスはミナという女に(たぶら)かされて、あんな非道な行いをしたのでは』という思いが浮かんだ。

 本当に悪いのはミナ。主導したのはミナ。だからフィリックスは被害者だ、などという思考が脳裏を巡ったが、すぐに打ち消した。

 見知らぬ女にすべての責任を(なす)り付けようとした己の思考は、恥じるべきものだ。例えそうだとしても、実際行ったのはフィリックスだ。


「ミナとフィリックス殿のこと、もっと早くにお伝えするべきでした。ですが、本人を差し置いて、ぼくの口からおめでた(・・・・)の件を話してしまうのは礼儀に反すると思って……」


 自責の念でいっぱいになっているであろうエドマンドの言葉に、グレナデンは理性的に答える。


「つい数日前まで、私も君もなにも知らなかったのだから、口をつぐんでいた君の判断は正しい。もし君が、フィリックスが子を成したことを吹聴して回るような男だったら、『口の軽い奴だ』と見下げ、付き合いを避けてたと思う」


 安い慰めではなく、まごうことなき本音だ。

 下世話な噂や醜聞を好むカルミラの民は多く、ひとたびそういった話題を提供すれば、たちまち人気者になれる。その誘惑に負けることなく口の堅さを保てる好人物こそ、真に他者からの友好と信頼を勝ち取れるというものだ。


 それにもし、エドマンドが『口の軽い奴』だったとしても、フィリックスの行動を疑うには至らなかっただろう。

 無事に出産を果たすまでなにが起こるかわからないから、あえて隠しているのだろう、祝いの品はどうしようかな、なんて能天気な思考をしていただけかもしれない。


 グレナデンは、震え続けるエドマンドの肩にそっと手を置いた。


「ミナも、姿をくらましているのか?」

「ええ。ひと月ほど前に、妊娠したことだけを家族に告げに帰宅して、以降は姿を見ていません。そのときにはもうお腹も大きくて……」

「身重であれば、表立った行動は避けるだろうな。潜伏場所に心当たりはないか?」

「いえ……。ただ、他の家族であれば心当たりがあるかもしれません」


 と、エドマンドは決然とした様子でグレナデンを見た。 


「フィリックス殿の件は、石榴館(せきりゅうかん)の問題だけでなく、オルドリッジ家の問題にもなりました。ゆえに、父母やきょうだいにもすべてを知らせたいのですが、構いませんか?」

「ああ、もちろんだ。どのみち、大家(たいか)であるオルドリッジ家にも報告せねばと思っていた」


 むしろ、オルドリッジ家を巻き込むことができて幸運だったのかもしれない。グレナデンは青年に気取られぬよう、安堵した。


「君に、オルドリッジ家と石榴館の仲介を頼んでいいか?」

「はい。その役目、謹んでお請け致します」


 (うやうや)しげに頷いたあと、エドマンドは目を伏せてぽつりと漏らした。


「友に裏切られた気持ちは、ぼくにもよくわかります。ハリー・スタインベックとは、友と呼び合う間柄でした……」

「そうか……そうだったな」


 同情心を向けつつ、グレナデンは秘かに奮起する。

 年若い青年が、復讐を遂げようと邁進(まいしん)している。ならば自分も、彼の意志の強さを見習わねばなるまい、と。


 エドマンドを、失った友の代わりにしようとしているのだと、心の隅で自覚しながら。

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