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おぞましき記述

 グレナデンの父は、人面獣心(じんめんじゅうしん)(やから)だった。

 強者たるカルミラの民には、人間を(なぶ)って殺す権利があると信じて疑わない、人皮畜(にんぴちく)

 血を吸うためでなく、殺害するために人間を誘惑し、屋敷の地下へ連れ込んでいた。


 当時二十代半ばだったグレナデンは、とうに己の領域を所持しており、父と会うのは年に数回程度。交わす言葉も短いものだった。

 だが、幼き日の記憶は確かに残っている。愛しげに抱き上げてキスしてくれたこと、術の使い方を教えてくれたこと、さすが俺の子だと言って頭を撫でてもらったこと。

 この人がいるからこそ今の自分が在るのだと思うと、自然と愛慕の念が湧いてきた。


 ――父自身から、罪の告白をされるまでは。


 その告白は『懺悔(ざんげ)』ではなく、まごうことなき『勧誘』だった。まるで狩りや乗馬に誘うような気軽さで、とびきり卑劣で残虐な行為へと(いざな)ってきた。父子なのだから、同じ性癖を持っているに違いないと確信した様子で。


 その瞬間、真っ先に思った。

 ――(ちゅう)さねばならぬ、と。


 だから動揺を笑顔で覆い隠し、また後日、と手を振って去った。

 悩乱しながらもなんとか屋敷へ帰り着いたが、扉を閉めてすぐに膝から崩れ落ちて血を吐いた。激しい胃痛に七転八倒しながら、如何(いか)にしてあの男を殺すかを考えた。


 確実に仕留めるため、仲間を集めた。

 その中に、フィリックスもいた。もともとは母親同士が親密な間柄で、その縁で幼少時より付き合いがあった。

 彼は、義憤に燃えているわけはなかったが、グレナデンの父の行いに対して大いに不快感を(にじ)ませ、一も二もなく協力すると約束してくれた。


 かくしてグレナデンは、心から慕った父を討ち、主人を(うしな)って狂乱する従者たちをことごとく殺し、哀れな人間たちの無惨な遺体を弔った。

 どれも、心を殺さねば決して成し得ぬことだった。


 グレナデンが行ったことには正当性があると、カルミラの民の誰もが理解を示してくれていたと思う。

 だが、口さがない連中は、『父殺し』だと後ろ指をさした。


 心を病み、領域内に引きこもるグレナデンを慰めてくれたのはフィリックスだった。


「君はとても尊い行いをしたと思うよ」


 彼は何度もそう言ってくれた。


「誰か他の者に任せることもできたのに、自ら手を下した。君が率先して動いたから、みんなついて来てくれたんじゃないかなぁ。私も含めてね」


 どこか暢気な物言いが、彼の率直な気持ちの表れのような気がして、よりいっそう心に沁みた。


「言いたい連中には言わせておいたらいいよ。少なくとも私は、君が血反吐を吐きながら事を成したことを知っている」


 その言葉に、どれだけ救われたことか。


 だがそのとき、フィリックスがどんな顔をしていたか思い出せない。

 グレナデンは、ずっとうなだれていたから。


***


 実験に関する記録は、当然ながらすべて持ち去られていた。


 だが、フィリックスの部屋に日記が残されていた。さほど詳細な記述はなく、その日の出来事や気持ちを漫然と(したた)めた程度のものだったが、あの地下でなにが行われていたかを知るには十分だった。


 実験が始まったのは、五年前。基本的には、孤児や浮浪者を使っていたらしい。

 あとは、わざわざ外国へ赴いて買ってきた、連れて来るのが大変だった、などという記述もあった。


 カルミラの民の誘惑能力を使えば、比較的大人しく虜囚となったらしいが、順調だったのは初期だけのようだ。

 虜囚が増えるにつれて、その扱いがぞんざいになっていく(さま)が、実験方法が過酷になっていく(さま)が、日記には生々しく綴られていた。

 

---


 昨日連れてきた男はあまりにうるさかったので、喉を潰してしまった。意思疎通が取れなくて困った。


 何人かが逃げた。逃亡中に庭の果実を食べたようで、全員死体で見つかった。


 『手伝ってくれたら君だけは助ける』と(うそぶ)けば、我が身可愛さに実験を手伝ってくれる。

 『見事生き残れば、莫大な財を与える』と囁けば、希望に満ちた表情で実験に協力してくれる。

 

 飢餓状態にしたり、痛めつけたりすれば、生存本能が働いて成功率が上がるかもしれない。

 いや、むしろ精神状態を安定させておいた方が効果的だろうか?


 一度に投与する血液量はあまり関係がないようだ。

 瀉血(しゃけつ)してから投与したら効果が上がるだろうか。


 ハティは四日も生きた。生存の最長記録だったが、夕刻には静かに死んでいた。

 解剖ができないほど、皮膚の下はぶよぶよになっていた。

 

 女性を多めに調達したいと言っているのに、オリバーは瘦せっぽちの少年ばかり連れてくる。彼の趣味で選んでいるに違いない。


---


 日記の文章を読む限りでは、実験に計画性はなく、思い付いたことをひたすら試しているように思えた。


 駄目で元々、万に一つでも成功すればラッキー、とでも言わんばかりに。

 人間は替えの利く道具に過ぎず、どれだけ消費しても問題ないと言わんばかりに。


 犠牲になった人間に対し、心を痛めたような記述はどこにもなかった。


 一通り日記に目を通したグレナデンは、かつての友の部屋で、かつての友の椅子に腰掛けて、呆然と天井を仰いでいた。全身がひどく怠く、指先は氷のように冷たい。


 窓の外を見遣ると、煙がもうもうと上がっていた。畑の作物を処分しているのだ。

 証拠品として保管しておくべきでは、という意見も出たが、万が一誰かが持ち出せばさらなる大事を生む。

 それに、『これらの作物は本当に血を肥料として作られたものなのか』を証明するためには、人間に食べさせなければならない。残しておいても、なんの意味もないという結論に至った。


 いや、本心では皆、おぞましくてたまらないのだ。

 カルミラの民が同胞の血を口にしても、毒にはなり得ない。もちろん、血によって作られた作物を食べたってなんともない。

 だが、生理的に受け付けない。眼前に存在するだけで肌が粟立つ。


 石榴館(せきりゅうかん)で振る舞われた軽食に、フィリックスが育てた作物が使われていたのではないか……。そんなふうに考える者もいたことだろう。

 グレナデンが知る限り、フィリックスから食物を差し入れられたことはない。

 もしかすると知らない内に従者が受け取っていたかもしれないが、そんなことはなかった、と思い込むしかない。


 部屋の外からは、慌ただしい足音に、騒音。同志らが家探しをしているのだ。

 抜け目のないフィリックスのことだから、見られても問題ないものや、彼にとって無価値なものしか残っていないだろう。

 金銭的価値のあるものが残されているとして、それをくすねるような卑劣極まりない同志がいるとは思いたくない。


 思いたくはないが――もう、誰も信じられなかった。

瀉血しゃけつ:体内から血を抜く治療方法。

ほんの数百年ほどまでの欧米では、医学的根拠もなく、あらゆる病気に対して盛んに行われていて、かえって死者を増やした。

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