裏切り者の、さらに裏切り者
情報をもたらしたのは、古い同志の一人、ルパートだった。
「ルパート様が、緊急の用件ということでいらっしゃっています。かなり取り乱しているご様子でした」
従者にそう言われ、グレナデンは慌てて応接室に駆け付けた。
ルパートは椅子に浅く腰掛け、うなだれ、震えていた。彼の従者だと思われる女性が、涙を浮かべながら傍らに控えている。
グレナデンの姿を認めると、ルパートはいっそう激しく震え出した。尋常ならざる様子に、グレナデンは息を呑む。
「どうしたルパート。なにがあったか、言ってみよ」
「グレナデン様、どうかルパート様をお許しください……。どうかお願いです……」
代わりに口を開いたのは従者で、グレナデンの前に跪いて懇願を始めた。彼女の健気な態度に絆されそうになったが、その背後で縮こまるルパートの姿を見た途端、カッと頭に血がのぼる。
「愚か者! なにがあったか知らぬが、従者を矢面に立たせ謝罪させるとは、なんたる惰弱! 情けないことこの上ない!」
「ああグレナデン様、ルパート様はとても惨いものを見て、正気でいられないのです……」
「主人をかばう気概はまこと立派だな。しかし、従者の背後で縮こまる主人、というのはあまりに見目苦しい光景だ。真に主人の名誉を考えるなら、君は下がりなさい」
優しく指摘すると、従者はおどおどと口ごもった。彼女をそっと押しのけ、グレナデンはルパートの肩に手を乗せる。
「ゆっくりで良い、お前の口から話せ」
「話す、話すとも。だから、私を許してくれ……」
あくまで己の保身を優先するルパートに強い苛立ちを覚えたが、グレナデンはルパートの横に腰を下ろして、彼が口を開くまで黙して待った。
「……フィリックスのことだ」
「なんだと? あいつがどうした」
友の名を出されて、グレナデンは思わず眉根を寄せる。
そういえば、フィリックスとはここ最近ろくに顔を合わせていなかった。よくよく思い返すと、彼と疎遠になったのは、エドマンドが石榴館に足繁く通うようになってからだと思う。何度か言葉を交わしはしたが、そのどれもが挨拶程度の短いもので、なおかつエドマンドの不在時だった。
それでもさして気にならなかった。多趣味ゆえに多忙な男で、何週間も顔を見ないことなどざらだったからだ。
そのフィリックスがどうしたというのだろう、彼に不測の事態があったのか、と一抹の不安を感じていると、ルパートは額に汗をたっぷりと浮かべながら口を開く。
「フィリックスは、かねてより『ある計画』を立てていたんだ。カルミラの民と人間、そして超越者に関しての……」
その話には、グレナデンにも心当たりがあった。
フィリックスは超越者という存在に憧れのようなものを抱き、自らの手で作り出したいと語っていた。カルミラの民のさらなる繁栄のため、そして栄誉のため。
しかしグレナデンの知る限り、それは単なる『願望』だったはず。『計画』と呼べるほどのものがあったなど、初耳だ。
ルパートは震えながら言葉を続ける。
「フィリックスからその計画を聞かされ、私も賛同した。超越者を自在に生み出すことができれば、始祖ラウラの再来と言っていいほどの誉れを得る。そして超越者たちを従え、大陸全土へ勢力を広げる。それだけでなく、カルミラの民随一の傑物、アーサー・G・オルドリッジの威勢を削ぎ、彼のように人間社会へ介入し、カルミラの民と人間の新しい歴史を我々の手で刻んでいく、数十年規模の壮大な計画……」
話が進むほど、声に熱がこもっていき、最後の方はまるで譫言のようだった。
――そんな馬鹿な、とグレナデンは大いに混乱する。
超越者を作り出すだけでなく、それを従えて人間社会に介入するだと? 新しい歴史を刻むだと?
フィリックスがそこまで大それた『野望』を抱いていたなんて、予想だにしなかった。
聞かされていたところで、馬鹿なことを考えるな、と一蹴していただろう。むしろ、そんなことは石榴館設立の趣旨に反する、と制止していたと思う。
そこまで考え、はっと思い至って口元を押さえる。
だからこそフィリックスは、グレナデンに対しては口をつぐんでいたのだ。反対されるとわかっていたからこそ、あくまでも『夢』に過ぎないような物言いをしていた。
その実、ルパートのような者には己の『野望』をとっくりと語り、協力を仰いでいた……。
血の気が引いていき、全身がずっしりと重くなる。
フィリックスのことは、信頼のおける友だと思っていた。性格は真逆ながら、互いのことを理解し合い、だからこそ長きに渡って親密に付き合うことができたのだと思っていた。
だが今この瞬間、フィリックスに感じていた友情と信頼が、足元から瓦解していく。
「ルパート……!」
グレナデンはルパートの両肩を強く掴んだ。もう、平静さを保っていることができなかった。
「とても惨いものを見たと言ったな。一体、なにを見た? フィリックスはなにをやっている? お前は、『告発』に来たのだな?」
「そう、そうだ、私はもうフィリックスにはついて行けない。あんなにおぞましいことを平然と行う者には、到底従えない!」
ルパートが絶叫し、控えていた女従者が滂沱の涙を流す。
「ああグレナデン、もう耐えられない。あんなに惨い行いが許されていいはずがない。どうか、フィリックスを止めてくれ!」
「だから、なにがあったと聞いている!」
苛立ちながら問い詰めると、ルパートはひとしきり震え上がったあと、自暴自棄になったかのように叫ぶ。
「人間を使った実験だよ!」
「なに……?」
すぐに理解ができなかった。告げられた言葉がゆっくりと脳へ浸透していき、指先が氷のように冷えていく。
「フィリックスは気付いてしまったんだ。我々の血が、人間にとって致死の猛毒になるのは、経口摂取したときだけだと。体内に直接注入すれば、すぐには死に至らない。『超越者のなりそこない』が出来上がるんだ……!」
「なりそこない、だと……?」
鸚鵡返しに問うと、ルパートは壊れた人形のように首を上下させた。
「彼らはやがて死んでしまう。だが、死ぬまでの期間に個人差があるんだ。人種なのか、性別や年齢なのか、血の投与量なのかはまだわからない。だからフィリックスはますます実験にのめり込んでいる。長く生存している者の身体を切り刻んで、治癒力を調べたり――」
「やめよ!!」
グレナデンは拳をテーブルへ叩きつけていた。
「もう聞きたくない……! 胸が悪くなる……!」
感情のまま叫び散らし、両手で顔を覆う。
怒りをあらわにしたグレナデンに対し、ルパートはこれ以上なく身を縮めて従者へ縋り付いていた。まことに情けない男だ、と心底軽蔑した。
――実験だと? 何人にそれを施した? どこから攫ってきた? 全員死んだのか? 楽に死んだのか、はたまた苦しみ抜いて死んだのか? それを目の当たりにして、お前はどう思った?
友への疑問が次々湧き上がってくる。そのどれに対しても、答えを聞きたくない。悪い冗談だと思いたい。
そうだ、まずはこの目で確かめなくては。
「ただちに人を募って、フィリックスの屋敷へ乗り込む」
勢いよく起立し、ルパートを睨む。
「お前も共に来い。許されたいと願うならな」
「わ、わかっている、もちろんだとも。だが――」
ルパートは声を潜め、哀れむような目をグレナデンへ向けた
「石榴館には、私の他にもフィリックスに賛同した者が何人かいる。人選は慎重にした方がいい」
「な……っ!」
怒りと悲しみに卒倒しそうだったが、激情をこらえて尋ねる。
「その者たちのこと、把握しているのか?」
「ああ、わかっている。なんだったら今ここで、全員の名を書き記してもいい」
――裏切り者め。
グレナデンはルパートに対して込み上げてきた罵倒の言葉を必死で飲み込む。
裏切り者の、さらに裏切り者。仲間を売って保身を図る、見下げ果てた男。