服が人を作る
ラスティは、シェリルに引きずられるようにしてヴィオレットの部屋へ向かった。
女主人は、ソファに寝そべって読書をしていた。手にしているのは、立派な装丁の分厚い本。
ラスティは今まで、ヴィオレットの蔵書にほんのわずかな興味さえ抱かなかった。はてさて、彼女は一体どんな本を読んでいるのだろう、と表紙を窺い見ると、タイトルさえ読めない。どうやらアルバス語で書かれた本ではないようだ。
本当にいつか『対等』になれるのかなぁ、とさっそく意気消沈する結果になった。
ヴィオレットは本を机の上に置くと、立ち上がってラスティの正面へやってきた。上から下までじっくり観察される。
ラスティは手に汗握りながら、女の第一声を待った。辛辣にこき下ろされたら、一生立ち直れないかもしれない。
「ふん、なかなか似合っているな」
唐突に響いた尊大極まりない声に、ラスティは目を丸くしてヴィオレットを見た。彼女の表情は真剣そのもので、決して皮肉や冗談を言ったわけではないようだ。
だが、手放しで褒めてくれている様子でもない。吟味するように鋭い眼差しは、まるで評論家のよう。
「でもねぇシェリル、ちょっと流行を追い過ぎじゃないかしら。道行く者からじろじろ見られてしまうかもしれないわ」
すると、ラスティの一歩後ろに控えていたシェリルが詰まったような悲鳴を上げた。ラスティも緊張に身を硬くする。
いつもシェリルに甘いヴィオレットが、批判めいたことを口にするなんて。いくら可愛い従者相手でも、ファッションに関しては妥協しない、ということか。
「で、ですがぁ……」
シェリルは泣きそうな声で弁解を始めた。
「仕立て屋の主人とも相談しました。今はもう、こっちの型で注文する方が圧倒的だと」
「仕立て屋……って、アビントン通りの?」
「左様でございます。エドマンド様に紹介された、角の店です」
「だったら、まぁいいでしょう。私も男服を新調しようかしら」
ヴィオレットが納得したように息を吐くと、シェリルは脱力して壁へ凭れ掛かった。己のセンスについて、主人からどのような評価が下されるかずっと不安だったのだろう。
「本当に似合ってるか?」
ラスティは改めてヴィオレットに尋ねた。途端にヴィオレットは目を細め、口元を柔らかくつり上げる。ラスティをドキリとさせる、魔性の笑みだった。
「ええ、本当に。『服が人を作る』とはよく言ったものね」
軽やかな笑声をこぼしたあと、ラスティに身を寄せてくる。帽子をずらされたかと思うと、くちびるを押し付けられた。
挨拶程度の短いキスだったが、ラスティを奮起させるに十分だった。
今後も、ラスティの紳士レベルが上がるたびに『ご褒美』をくれるかもしれない。
もしかすると、『ご褒美』の質も上がっていくかもしれない。
――よし、この服に見合う男になろう。
決意を新たにしていると、シェリルが前へと進み出る。
「ところでヴィオレット様。せっかくラスティ様の服を整えたのですから、二人でお出掛けなされたらいかがですか?」
ラスティに言ったこととほぼ同様のことを主人へ提案した。しかし、ヴィオレットは眉をひそめる。
「今から? 面倒だわ」
「ええと……では後日、日を改めて。観劇などいかがでしょう」
「あら、いいわね。久し振りに行きたいわ」
意外にも、ヴィオレットは表情をきらきらと輝かせた。出掛ける気力は微塵もないのかと思っていたが、まさかここまで乗り気になるとは。
「……でもラス、お前、劇なんかに興味あるの?」
不審そうな目を向けられ、正直に『ない』と答えようとしたが、シェリルに軽く小突かれた。
「んー、あー、興味なくはない。でもよくわからないから、流行りなんかを教えてくれ」
「最近の流行りは私もよくわからないわ。とにかく、話が難解でないものを観に行きましょう」
ラスティを気遣って、わざわざ初心者向けの作品を選んでくれるなんて。気性の激しい女が見せた一抹の優しさに、胸がじんわり温まる。
ひとりでニヤニヤしていると、ヴィオレットの手が伸びてきて、肩をがしりと掴まれた。
いきなりのことに心臓がバクバクする。彼女は、恐ろしいほど据わった目をしていた。
「万が一、この私の隣で高鼾なんてかき始めたら……どうなるかわかっているな」
低い声で凄まれて、ラスティは『やっぱり行きたくない』と思った。もし途中で居眠りしてしまったら、劇場がラスティの墓場になるかもしれない。
「前日にたっぷり眠っておくから、大丈夫だって」
へらへらと答えると、ヴィオレットはふんと鼻を鳴らす。
「古来よりある拷問方法のうち、どれを試すことになるか楽しみだな」
「居眠り程度で、そこまでされなきゃダメなのか?!」
ラスティの抗議を軽やかに無視したヴィオレットは、一転して朗らかな笑みを浮かべ、シェリルを見遣る。
「ギルマン伯爵に頼んで、いい席を取ってもらいましょう。手紙を書くわ」
「ああ、あの御仁でしたら適任ですわね。準備いたします」
シェリルが紙とペンと持ってくると、ヴィオレットはものの数分で手紙を書き終えてしまった。
流れるように綴られた文字は恐ろしいほど整っており、ラスティはまた気落ちする羽目になった。
ヴィオレットが生み出す芸術作品のような文字と比べたら、ラスティの書く文字など幼児の落書きのようなものだ。
手紙に施された封蝋の模様も、非常に小洒落ていた。
そのあとは、手紙を出すため、シェリルと共に街へ出た。
慣れない服のまま街を闊歩するのはちょっと恥ずかしかったが、じろじろと見てくる者はいない。それどころか、きちんと溶け込めているように思われた。
安心したラスティは、気になっていたことをシェリルへ尋ねる。
「なんとか伯爵っていうのは、ヴィーが籠絡した人間なのか?」
「その通りです。お母さまの代にお知り合いになったそうですよ」
「そうなんだ」
肖像画に描かれた、ナイスバディの女のことを想った。
今は海外で暮らしているそうで、ごく稀に帰ってくるらしい。いつかぜひ会ってみたい。
いいや、遠くから見つめるだけでもいい。主に、首から下を。
不純極まりないことを考えつつ、さらにシェリルへ問う。
「手紙の返事をもらうとき、こっちの住所はどうするんだ?」
「郵便局留めにして頂きます」
「ああ、なるほどね」
カルミラの民たちは、上手いこと人間社会に溶け込んでいるのだなぁ、と感心した。故郷でも、わりと身近に棲息していたのかもしれない。
道行く者からじろじろ見られてしまうかもしれないわ:19世紀初頭のファッションリーダー、ジョージ・ブライアン・ブランメルの言葉「街を歩いていて、人からあまりじろじろと見られているときは、君の服装は凝りすぎているのだ」から引用させて頂いています。
服が人を作る:海外のことわざ。「Clothes make the man.」
「馬子にも衣裳」と同じ。