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突き付けられた現実

「ラスティ様」


 意を決したように顔を上げたシェリルの瞳の中には、厳格な色が宿っていた。


「いい機会ですから、はっきり申し上げます」


 ひどく改まった様子に、ラスティは身を硬くする。やっとのことで『ああ』とだけ絞り出すと、シェリルは心苦しそうに口を開いた。


「ラスティ様は、アルバス語以外に、なにか話せますか?」

「いや……」


 唐突な切り出しに戸惑いながら頭を横に振ると、シェリルは淡々と続けた。


「わたくしはガッリアの出身ですが、教養としてアルバス語も学んでおりました。反対にヴィオレット様はガッリア語を習得されていて、初めてお会いしたとき、うっとりするほど流暢(りゅうちょう)なガッリア語で話し掛けてくださいました」

「そ、そうなんだ」

「それに加えて、エスパナ語、アレマ語、ラスィア語もご理解されているはずです」


 ヴィオレットがそれほど多彩な言語を習得していたとは、とラスティは舌を巻いた。金の運用や投資と同じく、一朝一夕でできることではない。おそらく幼少時からの研鑽(けんさん)の結果だろう。

 また、外国語を話せるということは、それらの国に関しての見識も持っていることだろう。

 なんとなく、シェリルが言いたいことがわかってきた。


「差し出口だとは重々承知しております。ですが、もしヴィオレット様と対等になりたいのなら……隣に立って、同じ目線でものを見たいと望まれるのでしたら、教養や常識を身に着ける必要があります。もちろん、今のままでは論外です」


 はっきりと突き付けられた『現実』に、ラスティはくちびるを噛んだ。シェリルは『言い過ぎた』といった様子で目を泳がせたが、口をつぐむことはなかった。


訛り(アクセント)を正し、歩き方や姿勢を改め、公の場での振る舞い方を学ばなくてはなりません。もし、ヴィオレット様が再び日の当たる場所へ出たいと望まれたとき、ラスティ様は屋敷でお留守番をしていたいですか? ヴィオレット様の一歩後ろで、無知な新米従者の振りをしていたいですか?」


 犬のように家で『待て』しているか、新米として多少の無作法を笑って許してもらうか。そのどちらも、とても楽な選択だが、あまりに情けない。


 そんな腑抜けを、ヴィオレットがいつまでも側に置いておくはずがない。

 いずれラスティとは比べ物にならないほど優秀な男を見つけて、従者にして……今のラスティがしていることを、その男がするのだろう。ラスティがしていることよりも、もっとたくさんのことを、その男がするのだろう。


 金髪を三つ編みにした青年の顔が脳裏に浮かんだ。きっと彼は、ヴィオレットの隣に立つに相応しい、とびきり優秀な従者だったに違いない。立ち振る舞いから容易に察せられる。


 暗い思考に心がずんと重くなる。お仕着せの帽子や外套(コート)を平然とまとっている自分がひどく恥ずかしい。


「大らかで、素朴で、誰とでも分け(へだ)てなくおしゃべりできて、自らの手でお金を稼ぎたいと考えるラスティ様の心根は、大変素晴らしいものだと思います。ですが、それでは通用しない世界があるのです」


 厳しい調子で言ったあと、シェリルは表情を緩めた。


「わたくしは今のラスティ様も十分好きですが、もし自分を変えたいと望まれるのでしたら、わたくしが誠心誠意、お手伝い致します」


 いつもの彼女らしく朗らかに笑んで、丁寧な辞儀(カーテシー)を見せてくれた。しかし、口元を彩っていた満面の笑みは徐々に薄くなっていき、遠くを眺めるようにぼんやりとし始める。


「すぐに決断を、とは申しません。このまま三人で、なにも変わらない日々を過ごすのもまた幸せです……」


 それもまた彼女の本音のようだった。ラスティも、心の底ではそれを願っている。三人だけの閉じた世界にはとても穏やかな風が吹いていて、まどろみの中にいるように心地よい。


 だがきっと、誰かが変革をもたらすだろう。それは三人のうち誰かかもしれないし、外からやって来た者かもしれない。そのとき、ヴィオレットの隣にいられるよう、備えておかなくてはならい。


「ちょっと考えるよ」

「そうですわね。時間はたっぷりあります」


 シェリルはくすりと笑ったあと、手を伸ばしてラスティの帽子を直した。次いで、襟元、そして裾。ラスティはされるがまま。


「せっかく上等な衣装を(あつら)えたのですから、ヴィオレット様とお出掛けなさったらどうです?」

「お出掛け、かぁ……」


 ラスティは思わず渋面を作った。

 ヴィオレットと外出したことは一度もないし、そもそもあの気難しい女を十全にエスコートできる自信など皆無だ。なにをどうすれば楽しませてやれるのか、なにに興味があるのかさえもわからない。


「観劇なんかどうですか?」


 シェリルの勧めにも、『うーん』と唸ることしかできなかった。

 いろいろな物語を聞くのは好きだが、酒場の四方山話(よもやまばなし)や、商売女の寝物語に限る。上品な場で披露される芸術作品は、ちと荷が重い。


「劇場なら個室があります。難しい作法は気にせず楽しめることでしょう。最初は、ヴィオレット様に男装していただいて、友人として行くのが良いかと存じます。ヴィオレット様の所作を観察なさいませ」


 言い終えるや否や、シェリルはラスティの右腕をがっしりと掴んだ。


「というわけで、今の素敵なラスティ様の姿を、ヴィオレット様にお披露目に行きましょう!」

「ああ、やっぱり」


 気恥ずかしくなって帽子だけでも脱ごうとすると、シェリルに怖い顔で押し留められた。

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