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ありがとう、フレデリカ

「可哀相で可哀相でたまらないのよ! この大馬鹿!!」


 突如として立ち上がったフレデリカは、眉をつり上げ、肩をいからせて、大声でハリーを罵る。


 その剣幕に気圧(けお)されながらも、ハリーは『やはりそうか』と失望を覚えていた。やはり、哀れまれていたのだ。

 しかも、フレデリカには悪びれている様子がまったくなく、癇癪(かんしゃく)を起こしているように見える。後ろ暗さのあまり、開き直ったということだろうか。


 だが本音が聞けて良かった。これで気兼ねなく、彼女を追い払うことができる……。


「フレ――」

「このあいだの態度は、一体なんなの!? あのとってもきれいなひとに対する態度は!」


 ハリーの声を遮り、少女は詰責するように叫ぶ。なんのことなのかすぐに理解できなかったが、ヴィオレットへの態度について言われているのだと気付き、戸惑う。

 一体なぜここで彼女のことを、と怪訝に思っていると、フレデリカの鋭い声が耳に突き刺さった。


「可哀相で、馬鹿らしくて見ていられなかったわよ!」

「馬鹿らしい、だと?」


 怒りが湧き上がり、目を尖らせてフレデリカを睨む。一週間前の忌々しい記憶を呼び起こされたことさえ、苛立ちの種になった。

 しかし、フレデリカは一切怯まなかった。幼さを残す顔を真っ赤にして、さらに声高に言う。


「だって、駄々をこねる子どもみたいだったもの! 母親の気を引きたくて仕方ない、ワガママ坊や。実際はこんなに大きな身体の男の人なのに!」


 予期せぬ言葉に、ハリーは愕然と身を強張らせた。息を詰まらせながら、フレデリカの言葉を脳内で反芻(はんすう)する。

 ――駄々をこねる子ども……、気を引きたいワガママ坊や……。

 思うところがあり、はっと口元を押さえた。


 フレデリカは呆れたように嘆息すると、打って変わって落ち着いた声で語り掛けてくる。


「本当に可哀相ね。あのひとの気を引きたくてトムに意地悪したのに、反撃されて、やられちゃって。……情けなくって、涙が出てくるわ」


 そして言葉の通り、指先で目尻をぬぐった。一度や二度だけでは収まらず、何度も目元に手をやる。やがて、うつむいてグズグズと(はな)を啜り始めた。

 反論する気概を失ったハリーは、声をこらえて泣くフレデリカからそっと目を逸らす。彼女の頬を濡らす涙滴があまりに美しく、直視していられなかった。


「あ、あたし、全部わかったの。あなたの『目的』に秘められた理由も、あなたがなにを思っているのかも。だから、だから可哀相でたまらないの」

「そうか……」


 嗚咽の合間にもたらされた言葉に、ハリーは静かに頷き、微苦笑する。

 明るく優しいだけの娘だと思っていたが、予想以上に観察眼があり、勘が鋭い。だが、『女』とは往々にしてそういう生き物だ。ハリーはフレデリカのことを侮り過ぎていた。


 尊敬の念を込めてフレデリカを見つめると、彼女もハリーの目を見てくれた。何度も瞳術(どうじゅつ)の餌食にしたというのに、まったく警戒していない。もうハリーがフレデリカに対してその術を使うことはないと、信頼してくれているのだろう。


 フレデリカは瞳に悲しげな色を宿らせて、ゆっくり口を開く。


「あなたは、本当は――」

「やめてくれ。それ以上は言わないでくれ」


 ぴしゃりと言うと、フレデリカは何度かまばたきしたあと、固くくちびるを結んだ。彼女が口にしようとした言葉は、ハリーにとって最大の瑕疵(きず)であり、決して他者に明言されたくないものだった。


「ごめんなさい、でも……」

「君が謝る必要はないし、そのこと(・・・・)に関しては自分でも理解している。大丈夫だ」


 穏やかな声音で告げると、フレデリカはためらったような様子を見せたあと、ハリーの隣に腰を下ろした。

 おそらく、未だハリーの心が千々に乱れていることを察しての行為だろう。気付かぬ振りなどせず、余計なことも言わず、ただ静かに寄り添ってくれる。その気遣いが有り難かった。嬉しかった。だから、言わねばならない。


「ありがとう、フレデリカ」


 短い言葉の中に、いろいろな意味を込めて。

 側にいてくれてありがとう。情けない男を一喝してくれてありがとう。君の本心を聞かせてくれてありがとう。


「そんな、別にあたしは……」


 照れ臭くなったらしく、フレデリカはおどおどと視線をさまよわせた。その純朴な様子にほっこりしながら、ハリーは続ける。


「君には、本当に感謝している。感謝してもしきれないほどにね。君が側にいてくれたお陰で、どれほど救われたことか」


 おどけた調子で肩を(すく)めると、少女は意外そうに目を見開いた。ハリーがそんなことを思っているなんて、予想だにしていなかったのだろう。

 ぽっと赤らんだ少女の頬を見たハリーは、込み上げてきた感情のまま、口元を柔らかくつり上げた。そして、思う。

 ――今度は、私の真情を吐露する番だな。

 小さく息を吐いてから、思いの丈を口にする。


「君の明るさに触れるときだけ、私は胸の内の怒りと憎しみを忘れられた。君が私の側で(にぎ)やかに振る舞ってくれたから、私も心から笑うことができた。そして、今も己を保っていられる。私はいつの間にか、君という存在に依存していたんだ。君がいなかったら、とうに海へ身を投げていたよ」

「そんな!」


 フレデリカが慌てて腕を掴んでくる。これではまるで、ハリーが今から自殺しようとしていて、フレデリカがそれを阻止しようとしているみたいではないか。

 ハリーはつい苦笑して、『大丈夫だ』と首を横に振る。それから再度、フレデリカを正視した。


「フレデリカ。他人の従者である君に、こんなことを言うのは筋違いだと承知している。でも、言わなくてはならない」

「うん……なに?」


 少女は顔中に緊張をみなぎらせ、ごくりと喉を鳴らす。その真剣極まりない姿を見て、ハリーの胸にほんのわずかなためらいが生じたが、意を決して告げる。


「私が目的を達するまで、側にいてくれ」


 一言一句、はっきりと丁寧に。一世一代の告白のように。


 フレデリカはきょとんした顔で、目をぱちくりさせていた。そのあと、眉根を寄せたり、くちびるを曲げたり、百面相を作る。一体どうしたんだ、とハリーは不安を抱えながら、彼女の返答を待った。


「馬鹿!」


 フレデリカはまた声を張り上げる。顔には怒りが舞い戻っていた。


「目的を達するまでですって? 『目的を達しても、末永くよろしく』って言いなさいよ!」


 今度はハリーが目を丸くし、呆然とまばたきする番になった。フレデリカは憤然と続ける。


「あたしはホレス様のところへ帰っちゃうけど、今度はあなたが来なさいよ。ホレス様や、お姉さま方とおしゃべりしに来なさいよ。あたし、お茶を淹れてあげる。ビスケットも焼いてあげるから……」


 言葉尻はかき消えそうなほど弱々しかった。瞳に涙をいっぱいに溜めて、湿った声で言う。


「ねぇお願い、『目的を果たしたら全部おしまい』なんて言わないで」

「フレデリカ……」


 ――やはりこの少女は、なにもかも見透かしているのか。

 だが、彼女の要望には応えられない。とっくにハリーは心を決めている。

 それでも、あんなふうに言われたら、気持ちが揺らいでしまうではないか……。


「すまない」


 震える声でそれだけ答える。


 フレデリカは顔をくしゃくしゃに歪ませたあと、足早に部屋を出て行った。廊下から激しい哀哭(あいこく)の声が聞こえ、ハリーの胸をこれでもかと締め付けた。

次回より六部、物語の後半部分に突入します。

ここまでお読みいただいた読者様方には、厚く御礼申し上げます。

引き続きお付き合いください。


また、感想欄は解放しておりますので、ご意見をお寄せいただければ幸いです。

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