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久しぶりね、ハリー

 ラスティはフレデリカの視線を追い――驚愕に目を見張った。

 屋敷の方から、長身痩躯の女がゆっくりと歩んできたからだ。


 微風が女の長い緑髪(くろかみ)をなびかせる。同時に、身にまとう薄いドレスを身体に貼り付かせ、均整美をあわらにする。憂いを帯びた表情も相まって、その女のすべてが、この世のものとは思えないほど美しかった。


「……ヴィー」


 そのつぶやきを漏らしたのはハリーだった。思わず目をやると、気抜けしたような表情でヴィオレットを凝視している。驚いているようにも、見惚れているようにも見えた。

 もし後者だったら……ラスティの心に焦燥が走り、慌ててヴィオレットへと駆け寄った。


「ヴィー!」


 ハリーの目から隠すよう、女の前に立ちはだかる。それから、彼女の全身をまじまじと確認した。

 髪は乱れており、服も簡素なドレスにショールを羽織っただけ。瞼はやや腫れており、頬には涙の跡が残っていた。ほとんど、昨夜のままだ。

 それでもあまりに美しく、ラスティの胸を熱くさせる。


「ど、どうしてここに」


 うろたえながら尋ねると、ヴィオレットは弱々しく笑った。


「お前を迎えに来たに決まってるじゃない」

「いや、それはありがたいが……。なんで俺の居場所がわかった?」

「ここにいると、思ったから」


 ヴィオレットはラスティを優しく押しのけ、金髪の青年へと向き直った。


「――ハリーの、ところにね」


 かつての主人と従者の視線が、真っ直ぐ交わる。果たしてどちらがどんなふうに第一声を発するのかと、ラスティは固唾を飲んで見守った。


「久しぶりね、ハリー」


 再会の挨拶は笑顔と共に手向(たむ)けられたが、とても儚いものだった。


「この馬鹿のことだから、あなたにたくさん迷惑をかけたでしょう。本当にごめんなさいハリー」


 恐ろしく淡々とした物言い。かつて愛し合い、残酷な別れを経験した仲とは思えない。

 ──いや、違う。ヴィオレットは悲傷を抑圧し、あえて平然と振る舞っているのだ。

 それを察したラスティの胸は、これ以上ないほどに締め付けられた。


「な、なぜ……私の領域の位置がわかった……?」


 ハリーは呆けたような面をしながら、小さく疑問を投げかけた。

 ヴィオレットは微笑の仮面をかぶったまま答える。


「あなたの居場所を突き止めようと思えば、いつでもできたのよ。私たちの繋がりは、まだ完全に途切れていないから」

「そんな……」


 ハリーが震える。ラスティも、明かされた事実に衝撃を受けた。彼らは、未だ『他人』になったわけではないのだ。

 ヴィオレットはゆっくりと右腕をもたげて、ハリーを指さす。


「それにね、その『瞳』を通じて、あなたの見ているものが私の目に映るの」

「……私には、そんなことは起こらない」


 ハリーは信じられないといった様子でかぶりを振った。


「その瞳の所有権は、たぶんまだ私にあるのでしょうね。でも安心して。あなたの視界を盗み見しようとしたことは一度もない。たまに、夢現(ゆめうつつ)で見えてしまうことはあったけれど。ほんのちょっとだけよ」


 ヴィオレットはうつむいて弁解する。その物言いはやや切実で、ハリーに誤解されたくないと言わんばかりだった。


「でも今回は、ラスがあなたの元にいる可能性があったから、視界を見せてもらったわ。案の定、この馬鹿はあなたに迷惑をかけていたのね」


 ラスティはくちびるを噛んだ。ヴィオレットに馬鹿呼ばわりされるのは慣れたものだが、ハリーの前でそう言われるととても惨めな気分になる。彼と比較され、貶められているようだった。


 ヴィオレットの釈明はさらに続く。


「他人の領域に張ってある結界を突破するのは無作法だけれど、許してちょうだい。すごく、強固な結界ね。久々に全力を出したわ」


 結界の出来を称賛するような口ぶり。ラスティは思わず、ヴィオレットの腕を強く掴んでいた。

 ヴィオレットは目をぱちくりさせながら振り返る。


「手間をかけてすまない、ヴィー。帰ろう」

「……ええ」


 『もっとハリーと話したい』と言われたらどうしようかと思ったが、ヴィオレットはあっさり了承してくれた。途端、ラスティの胸中にとある気持ちが生じる。抑えがたい、激情。

 この衝動は(こら)えるべきものだと、理性が叫ぶ。しかし耐え切れず、ヴィオレットを引き寄せると、その細い身体を強く抱き締めていた。


 純粋な愛情からの抱擁ではない。

 ハリーへ、見せつけたのだ。今、この女を掌中に収めているのは自分だと。


 充足感と共に、自己嫌悪を感じた。ハリーの表情を確認する度胸はなかった。

 そんな黒い感情を露程(つゆほど)も知らぬヴィオレットは、ラスティの腕の中で小さく笑い、身を(ゆだ)ねてくる。それは、まるで子どもに対するような、『しょうがないわね』といった寛容な態度だった。

 惨めな気分になったラスティは、そっとヴィオレットを解放する。


「じゃあ、ハリー。健勝で」


 ヴィオレットは再度ハリーの方を見て、柔らかく微笑んだ。そして、なんの未練もないように彼に背を向ける。

 しかし、ラスティは気付いた。女の横顔が強張っていることに。右手でショールを強く握り締めていることに。


 ラスティは今さらながらに後悔した。この場所へ来てしまったことを。

 結果として、ヴィオレットとハリーを引き合わせてしまった。凍り付いていた彼らの時間が溶け出し始めてしまった。

 とても、嫌な予感がする。すべての氷が融解したとき、あらわになるものは一体なんだろう。


「どうして……どうして……」


 引き絞るような声を発したのは、ハリーだった。

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