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殺したいとさえ思わない

 『従者は、カルミラの民の奴隷に過ぎない』。

 ハリーが発したその言葉は、ラスティの心にほとんど響かなかった。

 ヴィオレットとシェリル、ホレスとフレデリカの様子を見る限り、到底そうは思えなかったからだ。


 カルミラの民という人外の生物が、人間の心を惑わせているのは間違っていないと思う。

 しかしそれは、人知れず『(かて)』を得るためだ。

 人間を誘惑し、自ら吸血を望むよう仕向ける。そしてこっそりと血を吸って、去って行く。

 誰の記憶にも残さず、ただの『伝承』で在り続けるために。

 もしカルミラの民が隠れ忍ぶことなく、自らの存在を大っぴらにしていたら、実存する『悪魔』として、人間に狩り尽くされていただろう。


 その一方で、カルミラの民が従者へと向ける感情は、『食欲』とは一線を画したところにあるように思える。

 ただの食糧を、ただの奴隷を、あんなにも慈しむはずがない。

 そして、カルミラの民が確固たる『愛』を与えているからこそ、従者も彼らに『愛』を捧げているのではないだろうか。


 そこには隷属関係など存在しない。あるのは愛と献身。

 普通の人間が行う『恋愛』とほとんど同様だ。

 学のないラスティでさえそう思うのだから、眼前の男がそれを(かい)せぬわけがない。


「本当にそう思っているのか? あんたは、ヴィーの元にいたとき、奴隷だったのか?」


 瞳術(どうじゅつ)を警戒しつつ、目を見て問い掛ける。ハリーは揺らぐことなく口を開いた。


「そうとも。奴隷で、人形だった。だから――」

「だから、ヴィーの目を奪ったのか」

「そうだ! あの女の肉体の一部を我が物とすることによって、私はカルミラという化け物の呪縛から解放された!」


 ハリーは右目を押さえてわずかにうつむく。そうしながらも、残った左目でラスティを射抜かんばかりに睨んだ。あまりの威圧感に、ラスティは気圧(けお)され、(おのの)いた。


「私はかつて、あの女の正体を知らぬまま一途に愛した。従者という存在になったときも、ただただ幸せだった」


 そのとき、彼の激情が一瞬だけ緩んだ。本当に、心の底から幸福だったのだろう。しかし春の訪れのように暖かな感情は、瞬く間に凍てつく。


「だが私は気付いた。人間だった頃に抱いていた激しい愛欲や嫉妬の念がすべて消失していることに」


 自らの胸を鷲掴みにし、訴えるように喘ぐ。


「お前に想像できるか? 愛する女に、すでに十一人もの愛人がいたと知ったときの悲嘆を。日替わりで愛される屈辱を。『恋人』から『愛人』に格下げされた苦しみを」


 十一人の愛人、日替わり、格下げ。

 悲壮な単語の羅列に、ラスティはただ、『いや……』と小声でつぶやくのが精一杯だった。

 ハリーの表情はさらに歪む。


「ところが、それらの怒りや不満は、感じた(はな)から消えていき、あの女へぶつけることさえ叶わなかった。……それが人外の術の作用だと気付いたときの苦悩と嫌悪を、お前もいずれ知るだろう」


 淡々とした物言いの中に潜む怨嗟は、ラスティに息をすることさえ忘れさせた。


 ラスティは思い知った。『超越者』たる自分には、『従者』たるハリーの心の内は決して理解できぬと。愛が歪められていると知ったときの煩悶(はんもん)如何(いか)ほどのものだったかを。


 慰めも叱咤も、ハリーには決して通用しない。彼は事実、カルミラの民の力によって、激情を抑圧された。


 同時に、ハリーがどれほどヴィオレットを愛していたか、その一端(いったん)も知れた。強い愛ゆえに、憎しみも強大なものとなってしまったのだ。

 そして、彼自身の誇り高さゆえに、己の境遇を決して許すことができなかった。


「そうか……。話してくれて、ありがとう……」


 ラスティはただそれだけ言葉を紡ぐ。それ以上のことは、なにも言えなかった。

 申し訳なくてたまらなかった。ラスティの自己満足のためだけに、ハリーに辛い記憶を語らせてしまった。憎悪を再確認させてしまった。


「『ありがとう』だと……?」


 ハリーの顔いっぱいに侮蔑が広がる。


「この期に及んで、よくもそんな安穏としていられるな。ここまで聞けば、多少は惑乱してもいいだろうに。怒りや悲しみを抱き、己の情愛を疑ってもいいだろうに。お前は、そんな感情さえ湧かぬ人形か。それとも、お前もあの女の呪縛から逃れたくなったか?」


 と、禍々しく笑った。もしラスティがその問いを肯定したら、『では左目を抉ってこい』と言い出さんばかりに。


「もしくは私に同情したか? はたまた呆れ果てたか? 愛する女を独占できないことに激昂して、とびきりの愚行を犯した大馬鹿者だと思ったか?」


 ラスティはくちびるを引き結び、うつむく。ハリーの口から発せられた言葉はほとんどその通りだったからだ。

 ハリーへ憐憫の念を抱きつつ、非難したい気持ちもあった。他に方法はなかったのかと、問い詰めたかった。

 けれどその衝動は、押し留めるべきものだ。過ぎたことを責めてもなんの意味もないのだから。


「去れ、ラスティ。話は終わった」


 ハリーは冷ややかに言った。ラスティが動けずにいると、さらに続ける。


「……もしくは、これから私を殺すか?」


 静謐(せいひつ)だが鋭い殺気が、ラスティの身を(すく)ませる。ラスティにわずかでも戦意があれば、今すぐここで応じてやると全身で主張していた。

 ラスティは息を整え、かぶりを振る。


「これだけ聞きたい。……あんたは、ヴィーが憎いのか。殺したいのか」


 畏怖を押し殺し、それだけを尋ねた。ハリーは眉間にたっぷり(しわ)を寄せてしばらく黙っていたが、やがて口を開く。


「……殺したいとさえ思わない」


 聞く者の耳まで凍り付かせるような、冷酷な言葉だった。


 しかし――。


「本当に?」


 ラスティは一歩踏み出し、青年へ問う。怖れより、疑念が(まさ)った。

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