笑えない冗談はやめろ
結局、元いた庭に戻って来る羽目になった。
しかも、フレデリカが泣き出してしまったため、ラスティは背中をさすって慰める。けんもほろろに突き放され、たいそうショックだったのだろう。
すべて俺のせいだ、とラスティは思った。自分がここへ来たりしなければ、天真爛漫な少女が大の男に怒鳴られて傷付くこともなかった。
「……ごめん」
「ごめんなさい」
謝罪の言葉が重なった。互いに目を見合わせていると、フレデリカは洟を啜ってから不器用な笑みを見せる。
「ちゃんと話をする場を作ってあげられなくて、ごめんなさい」
「いいんだ、いきなり来た俺が悪い」
健気な少女に、ラスティも表情を緩める。それから、胸に留まっていた疑問をぶつけた。
「なぁフレデリカ。お前はどうしてあいつの側にいる? あんなふうに怒鳴られて、主人のところには戻りたくならないのか?」
「戻りたいわ……。今すぐに戻りたい」
フレデリカは悲痛そうにうつむいてから、かぶりを振る。
「でも、きっと後悔するわ。ホレス様に愛されているときも、『あたしが見捨てたあのひとは今頃なにをしているだろう』って気になっちゃうと思う」
「なぜそこまで? いい大人なんだから、放っておいたっていいだろう」
つい冷たい言い方をしてしまった。ラスティに原因があるとはいえ、年若い娘相手に怒鳴り散らすハリーに失望を覚えていたからだ。
「……放っておいたら、なにをするかわからないもの」
「どういうことだ? 確かに少し情緒不安定なようだが……」
あの青年は、基本的には大様に構えているが、過去を突かれると途端に激情を剥き出しにする。それほどヴィオレットが憎いということなのだろうか。
「それにあたし、あのひとの『目的』に協力するって決めたの。だからそれまでは一緒にいる。どんなに怒鳴られたって、腹が立ったって、一緒にいる」
「目的、ってなんだ?」
「それはね……」
「フレデリカ」
少女の言葉を遮るようにして現れたのは、話題の渦中にある男だった。
普段着に着替えていたが、三つ編みは乱れたまま。冷静さを取り戻しているようだったが、瞳には昏い光が宿っている。
「彼と二人きりで話したい」
「……わかったわ」
ハリーの真剣な様子に、フレデリカは神妙な面持ちで息を呑んだ。きゃんきゃんと文句を言うこともなく、素直に屋敷へと戻っていく。
最後に一度だけ振り向いたが、それだけだった。死角に潜んで盗み聞きを試みている可能性もあるが、別に構わない。
ラスティとハリーは、初めて出会ったときのように、椿の咲く庭で相対した。視界の端で、真っ赤な椿がぼとりと落ちる。
「怪我の具合はどうなんだ?」
気遣って尋ねると、ハリーは忌々しそうに答えた。
「良くはない。疲労も多分にある。……お前は無駄に元気そうだな」
彼の訝しげな視線は、ラスティの腕のあたりに向けられている。
そういえば昨日、二の腕に傷を負わされたっけ、とラスティはぼんやり思い出した。ずいぶん深く肉を裂かれたはずだが、嘘のように完治している。『超越者』の回復力の賜物だろうか。
「まぁ、昔から体力には自信があったから……かな」
曖昧に笑うと、ハリーは思い切り眉をひそめ、とびきりの不審者を見るような目をした。それから憎らしげに舌打ちして、ぶっきらぼうに言う。
「改めて聞くが、訪問の理由はなんだ?」
それは、とラスティは口ごもった。眼前の男を納得させる理由にはならないと理解しつつ、真正直に答える。
「単に、もう一度あんたと話をしてみたかっただけだ。だいたいの事情は把握できたが、それでもあんたから話を聞きたかった」
「笑えない冗談はやめろ」
案の定、ハリーは冷ややかに吐き捨てた。
「私の口から直接、『なぜ宵闇の女王を裏切ったのか』を聞きに来たというのか。聞いてどうする? ――まさか、告解の真似事をしたかったのか? 私が罪を悔いたら、『赦す』と告げに来たのか?」
矢継ぎ早に言ったあと、肩を震わせて低く嗤い始める。ラスティは彼が静かになるまで、黙して待った。
「差し支えなければぜひ聞かせてくれ。あんたの口から、事情をな」
やや皮肉げな物言いをしてしまったが、ハリーは嗤笑を崩さなかった。口元を歪めたまま、ラスティを鋭く睨め付ける。
「ラスティ、お前を見ていると、すこぶる癇に障る。昔の自分を見ているようでな」
「昔の自分?」
「なにも知らず、ただあの女を恋い慕っていた頃の自分だ。カルミラの民という化け物の力を受けて、心を狂わされている哀れな生き物だった頃の自分」
「……俺は違う」
ラスティはそれだけ言って、口をつぐむ。『自分は超越者で、従者とは違う』とは言えなかった。他言してはならぬと言い含められた己の秘密を、いずれ『敵』になるかもしれない男に告げるわけにはいかない。
けれどそれを知らぬハリーには、『哀れな生き物』が苦し紛れに漏らした反駁に思えたようだ。
「黙れ、人形!」
蔑み混じりの怒号がラスティの鼓膜を震わせる。
「お前は心からあの女を愛していると言うのか? それは、血を吸われてのぼせ上った心が作り出したまやかしだ! 自分は愛されていると思い込んで、健気にそれに報いようとしているだけ。あの化け物どもは、『吸血行為とは愛情表現だ』などと嘯いているが、実際は本能的な欲望を解消しているだけに過ぎない」
熱弁をふるいながら、ハリーは怒りとも悲しみともつかぬ感情をあらわにしていた。最後に表情を凍らせて、弱々しくつぶやく。
「血を吸う代わりに、人間に心地よい幻を見せているだけ。従者など、常備食糧を兼ねた奴隷だ……」
ハリーの言葉には、切実な感情がたっぷりこもっている、それはわかった。
しかし、ラスティの心には響かなかった。