覗き見して、すみませんでした
ラスティにとって、ハリーの領域にたどり着くのは容易なことだった。
ハリーはヴィオレットに酷似した気配をしており、それを目指して飛行していたらあっという間に到着してしまった。
途中、なにかに引っ掛かるような感触があったが、身動ぎしたらすんなり通れてしまった。
どこに着地しようか迷ったが、屋敷の周囲に広がる森の中で実体化する。
勢いに任せて来てしまったが、正直、どうしたらいいかわからない。完全な無計画だった。
とりあえず、ハリーともう一度話してみたい、ただそれだけ。
このまま正面切って屋敷へ赴き、『ごきげんよう』とでも挨拶するか。
もしくは昨日のように、気付いてもらうのを待つか。
今度は侵入者として、問答無用で攻撃されるだろうか。それとも、冷ややかにあしらわれるか、憤怒をぶつけられるか。
お互い『トム』と名乗り合っていたときのように、穏やかな対話は望めないだろう……。
木々に身を隠しながら少しずつ屋敷へ向かうと、椿の咲く庭が見えた。多様な色彩の花々が美しく咲き乱れていて、何度目にしても見事なものだった。
――知らない男がいる。
黒髪の青年が椿の花を愛でていた。身なりがよく、所作の一つ一つにも気品を感じられる。
青年の傍らには、フレデリカがいた。昨日はあんなに泣いて怯えていた少女は、軽やかな足取りで庭を歩き回っており、笑顔で青年に話し掛けている。
ラスティは、青年の耳がわずかに尖っていることに気付いた。そしてフレデリカの浮かれよう。あの青年こそがフレデリカのあるじなのだと直感した。
やがて青年はフレデリカを抱き寄せると、やや強引なキスをした。
フレデリカは驚きをみせたが、すぐにうっとりと身を任せる。その表情はすでに無邪気な少女のものではなく、一端の大人の女のものに変じていた。
思わず見入ってしまうほど、艶めいた表情。あの娘もあんな顔をするのかと、ラスティは愕然と刮目する。
次に、青年はフレデリカの首元に吸い付いた。
全身を震わせるフレデリカの動作で、ラスティはハッと気づく。
――血を吸っているのか。
しかし、吸血行為とはもっと隠れ忍んでやるものだと思っていた。こんな朝っぱらから、庭の真ん中で堂々とやってもいいものなのだろうか。
そして、覗き見をしていても許されるものか。
――いや、さすがにダメだろう。
理性は『見ちゃいけません』と戒告してきているが、どうしても目を離すことができなかった。
フレデリカの表情はとろりと蕩けている。まさしく恍惚状態。頬は朱に染まり、時折くちびるを動かしてなにかをつぶやいていた。
血を啜られている『女』のあまりに淫靡な姿は、ラスティを釘付けにした。
気付けば、牙が鋭く伸びて、たっぷりと唾液が溜まっていた。頭の中は、ヴィオレットのことでいっぱいになっている。
血をもらってから出てくればよかった。まだ眠っているだろうか……。
目を覚ましたら、寂しがって泣くだろうか。怒るだろうか。案外、平然としているかもしれない……。
涎が垂れたことでハッと我に返る。口元を拭ってから、頭を振って顔を背けた。やはり覗きはよくない。
ややあって再び視線を向けると、吸血行為は終了していた。
青年はフレデリカの頭を撫で、少女はいそいそと襟元を整えている。いかにも『事後』という様子で、これはこれで生々しい。
なにか言葉を交わしている二人をぼんやり眺めていると、青年は卒然と霧になり、ふわりと姿を消した。
どこへ行ったのだろう、屋敷の中かな、と思っていると、背後から肩を叩かれた。
「やぁ、おはよう」
「!!」
口から心臓が飛び出るかと思った。辛うじて悲鳴をこらえて、恐る恐る振り返る。
黒髪の青年が爽やかに笑っていた。悪意や敵意はこれっぽっちも感じられないが、油断はできない。
「あの……俺は……」
ラスティは冷や汗を流しながら弁解の言葉を探すが、見つかるはずもない。自分はどこからどう見ても不審極まりない侵入者だ。
いっそ逃亡しようか迷っていると、青年は腕組みして首をかしげた。
「もしかして君が『トムくん』かなぁ。フレデリカから聞いたよ。本当に、私の結界を突破することができるんだね」
青年の声はうきうきと弾んでいた。ラスティは言われていることの意味がわからず、問い返す。
「え? 結界?」
「稀有な才能だね。興味深い」
青年は一人で納得してうんうんと頷く。ラスティは己の素性が知れていることと、青年が好意的なことに安堵しながらも、頭上に疑問符を浮かべることしかできなかった。
「ところでトムくん。私たちの『愛の営み』を見たかい?」
「あっ、はい……。すみませんでした……」
青年の問い掛けを受け、ラスティは素直に謝罪した。今度こそ怒られるだろうかと身を竦める。
しかし青年はさも愉快そうに、にんまりとくちびるをつり上げた。
「君がいるのはわかっていたよ。だからあえて見せつけたんだ。……フレデリカには内緒だよ」
などと言って、口元に人差し指を掲げる。
初対面の男に性癖を誇示される格好になったラスティは、『うへぇ』と呆れ果てるしかなかった。