謁見〈2〉
「〈シヤマの民〉なる者たちよ、もっと近う寄れ。そのように離れておっては余の顔さえもろくにわかるまい」
玉座で皇帝ランフランコ二世がからからと笑う。
壇上への階段脇に控えているニコラ・スカリエなる青年将校がすぐに通訳するも、言葉のわかる長老ユエとハナには不要であった。皇帝の招きにすぐさま反応し、歩きだす。一拍遅れて族長モズも後に続いた。
赤い絨毯の中ほどまでやってきたところで、ニコラ・スカリエから《そこまでです》と制止される。
《この距離ならば陛下のご尊顔も充分に拝めるでしょう》
自分から望んで付いてきたのではあるが、すでにハナはうんざりしていた。
この場所に存在するのは皇帝への畏怖、それ以外には意味があるとも思えない行動の繰り返しばかり。ずっとこの調子で謁見が進むのであれば退屈で仕方がない。精々あくびをしてしまわないよう気をつけなければ、と己を戒める。
だが「時にスカリエ中佐よ」という皇帝の言葉から風向きが変わった。
「其方、出自であるこの〈シヤマの民〉が奇妙な術を操ること、余に報告しておらぬな。いったいどういうことだ」
ハナの全身が一気に緊張する。
知られてはいないだろうと高を括っていた。認識が甘かった。まさか、ウルス帝国の狙いは〈シヤマの民〉の踊り手が行使する魔術なのか。
この男はそれを戦争で使おうというのか。
「各地に放っている余の〈耳〉から知らされなければ見過ごすところであったわ。スカリエ中佐、申し開きがあれば聞こう」
今、皇帝の矛先はあのニコラ・スカリエという男へ向けられている。
とはいえすぐにハナたちへも飛び火してくることだろう。
額にじっとりと汗が滲んでくるのを感じながら、ハナはニコラ・スカリエの返答を待っていたのだが。
「陛下、畏れながら申し上げます」と告げた彼の態度は意外にも、まったく怯えたところのない堂々たるものだった。
まるで「自分だけは殺されない」と確信しているかのようでさえある。
「事実として〈シヤマの民〉による魔術はある程度までは有用でありましょう。ですがその力の発現に至るまでの道程が厳しすぎるのです。力の行使を許されるのは優れた踊り手である女のみ、十年に一人の才能が生まれてくるのを待ち、その者が順調に成長したとしても好き放題に使えるわけでなく。あくまで自然の力を借りるだけのことなのです。使い手を選び、場所をも選ぶ」
私の結論としましては、とニコラ・スカリエが言った。
「〈シヤマの民〉による魔術の力は物珍しいだけであり、とてもじゃないですが実戦の役には立ちますまい」
この言い草にはハナもひどくかちんときた。自分の生きるよすがである舞踏を否定されたに等しいからだ。大恩ある養父を殺して逃げだしたような男に、全身全霊で祈りを捧げる踊りの何がわかるというのか。
その一方で、元々厳しく咎め立てするつもりではなかったのか、皇帝ランフランコ二世は「まあよい」とあっさり矛を収めてしまった。
「余も今さら功績の大なる其方の忠心を疑うておるわけではないのでな。しかしだ、レイランドやタリヤナの奴らに強大な力が渡ることだけはあってはならぬ。そのためにも自らの眼で確かめておきたいのだ」
ここで話を区切った皇帝がぎろり、と睨みつけてくる。
「そういうわけだ、〈シヤマの民〉の者たちよ。其方らにのみ使えるという魔術とやら、余の前で忌憚なく披露せい」
絶対的な権力者による、まさしく命令であった。
あまりにも不遜に過ぎる物言いではないか。ハナの胸中はもはや怒りで張り裂けんばかりだ。何がウルス帝国か、何が皇帝か。
そんなものクソ食らえだ。
気がついたときには、すでに彼女は立ち上がった後だった。
「お断り、よ!」
まだ使い慣れない言語で、それでもハナは思い切り叫んだ。
侮っていたに違いない小娘の暴言に、居並ぶ家臣たちが顔色を失っているのがわかる。
さらにハナはニコラ・スカリエへと言い募った。彼だけに伝わるよう、〈シヤマの民〉の言葉で。
《裏切り者のナキといったっけね、そこのあんた。ふんぞり返ってるわからず屋の皇帝とやらに教えてあげなさいよ。あたしたち〈シヤマの民〉の舞踏による魔術は見世物なんかじゃないって。大地への敬意の一欠片も持ち合わせてないような外の連中のために、誇り高き〈シヤマの民〉が踊ってみせることなど決してありえないのよ!》
《威勢がいいな、若き踊り手よ。だが君もそろそろ、人生には常に例外が存在するということを知ってもいい歳だろう》
大人として教え諭すような彼の口調が、またハナの癇に障る。
もう一度罵倒してやろうと口を開きかけたが、いきなり後ろから首根っこをつかまれて床へと引き倒されてしまう。
その行いの主は長老ユエであった。
《ユエ婆、どうして……》
体を起こしながら恨みがましい目で彼女を見てしまう。
《冷静におなり。あんたがやっているのは、みんなをいらぬ危険にさらそうとしているのと同じだよ》
そこまで言われて、ハナはようやく自分が我を失っていたことに気づかされた。返す言葉もなくうなだれ、のろのろと再び臣下の礼をとる。
彼女に代わって今度は長老ユエが、額を絨毯へこすりつけるようにして「申し上げます」と切りだした。
「立場もわきまえず大変なご無礼を働きましたこと、伏してお許しを願います。この娘はまだ未熟な、いわば見習いのような踊り手でございます。道理を知らぬ娘の戯言として、何卒寛大な御心でお目こぼしいただけますよう、重ねてお願いを申し上げます」
「はっはっは。長老よ、面を上げい。あの程度のことでいちいち目くじらを立てたりはせぬ。むしろそこの娘の鼻っ柱の強さ、余は大いに気に入ったくらいだ」
思いがけず上機嫌な様子の皇帝に、ハナも少なからず安堵する。
続けてユエが顔を上げ、にこやかに提案した。
「皇帝陛下におかれましては、我らの魔術を御覧になりたいとの仰せ。僭越ながらこのユエがお目にかけてみせましょうぞ」
強大なウルス帝国の前では〈シヤマの民〉などひとたまりもない。まるで塵芥のごとく制圧されてしまうだろう。そのことを深く理解しているからこそ、ユエは不満げな素振りも見せず屈辱的な行為を受け入れているのだ。
人としても舞踏の師としても尊敬している長老ユエに己の尻拭いをさせてしまったのを、頭を下げたままハナはひどく悔やんでいた。




