謁見〈3〉
ほう、と皇帝ランフランコ二世が口元に手をやった。
「スカリエ中佐よ。長老の申し出、其方はどう見る」
玉座の下からニコラ・スカリエが即座に答えた。
「これ以上ない適役でしょう。私が知る限り、〈シヤマの民〉の踊り手としてあの方は指折りの実力者です」
「なるほど。それは俄然、興をそそられるな」
身を乗り出して皇帝が言う。
「面白い。長老、ぜひ其方の舞踏を見せてもらうとしよう」
されば、と立ち上がった長老ユエが前へと進み、赤い絨毯の上で小刻みに、しかしゆっくりと足踏みを始めだす。
単調なその動きがしばらく続いた。周囲に何も変化は起こらない。
ユエから日々教えを受けているハナにはわかる。緩から急へ、本来であれば舞踏は次の段階へと進まなくてはならない。
おそらくユエは意図して舞踏の激しさ、強度を抑えているのだろう。〈シヤマの民〉の舞踏など戦争には無用の長物なのだと認識させるために。
一貫して同じ拍子で足踏みを続けるユエ。声こそ漏れてこないが、臣下たちの間でも弛緩した空気になりつつあるのが伝わってくる。
そろそろ頃合いとみたか、ようやくユエの動きに変化があった。両手を高々と掲げた彼女は大仰に「はあっ」と叫んで足踏みを止めた。
片膝をつき、両手を前方へ投げ出すようにして絨毯に触れる。
このとき、ユエの頭の後ろに小さな光点が一つ現れた。
広間にざわめきが生まれるが、そんな反応をハナは醒めた心で聞き流す。
《ユエ婆が本気なら、『門』を七つは出せる。こいつらだってほとんどやっつけちゃえるのに》
悔しさからハナはつい小声で独り言ちてしまう。
すぐ近くにいる父モズの耳にさえ届いていないであろう、か細い呟きであったにもかかわらず、驚くことにニコラ・スカリエだけが真っ直ぐに咎める視線を送ってきた。全員の注目がユエへと集まっているはずなのに。
怖い、と率直にハナは思った。いったい何なのだ、彼は。
ユエの舞踏はいよいよ最終局面へと入っていく。一つだけの光点を背負った彼女の手を通し、赤い絨毯へ仮初の命にも似たものが与えられる。
赤い絨毯が小さく、だが何度も波打ち始めた。そのうねりは次第に大きくなり、とうとう絨毯の先端はさながら蛇が頭をもたげるがごとく、高い位置をとった。
そしてそのまま玉座目掛けて向かっていく動きを見せたところで、すべてが静止してしまう。宙に固定されたままの赤い絨毯と、両手をついた姿勢から動かない長老ユエ。光点だけが儚く消え去っていた。
初めて魔術を目にするに違いない者たちからは「おお……」という感嘆らしき声が聞こえてくる。
だがただ一人、皇帝ランフランコ二世だけが冷たい眼差しで見下ろしていた。
「つまらんな」
その一言であっという間に静まり返ってしまう。
「機に乗じ、派手に余の首を狙ってくる。それくらいには力あるものと期待しておったが……まったく、この程度か」
所詮は奇術の類よの、と吐き捨てる。
「スカリエ中佐、其方の言う通りであったわ。これではとても戦場でなど使い物になるまいな」
下で控えるニコラ・スカリエも「仰せの通りでございます」と恭しく答えた。
きっと長老ユエの思惑に沿って事は進んでいるのだろうが、〈シヤマの民〉の踊り手としてハナは複雑な気持ちであった。
舞踏は、魔術の力はこんなものではないと叫んでやりたかった。そんな荒れる感情をぐっと心の底に押し込み、彼女はこのくだらない時が過ぎ去るのを待つ。
先ほどまでとは打って変わった重そうな動きで長老ユエもやっと体を起こし、いかにも申し訳なさそうな表情を浮かべた。
そこから平身低頭、許しを請う言葉を述べる。
「せっかくの皇帝陛下のご期待を裏切る形となってしまい、面目次第もございません。我ら〈シヤマの民〉、他の国々との交流もほとんどなく、いわば身内だけに囲まれて生涯を送る、世情を知らぬ者たちでございます。このような児戯で喜んでいるのかと問われましたなら、まったくもってその通りであり──」
「長老よ、もうよい。下がれ」
一切の興味をなくしたような声で皇帝が遮った。
その様子を見るや、臣下の列からすぐに複数の文官が進み出て、長老ユエをはじめとする〈シヤマの民〉へ玉座とは反対の扉を指し示した。要は「速やかに出て行け」ということだ。
言われなくてもそうさせてもらう、とばかりに立ち上がったハナは雑に一礼し、踵を返した。同様にユエとモズも辞去する。二人の礼は随分と丁寧であったが。
しかしそんな三人の背に「待て」と声がかかる。
「そこの珍妙な名の娘、ハナとかいったな。さながら獣のように美しき女よ。余はいたく其方が気に入ったぞ。悪いようにはせん、ここに残れ」
皇帝ランフランコ二世による直接の指名だった。
まったく想定していなかった事態に、ハナもユエもひどく動揺する。何を言われたのか理解できていないにせよ、そんな二人を目にしてモズもまた困惑していた。
ここでニコラ・スカリエが真っ先に口を開く。
「差し出がましいようですが陛下、もうこれ以上あの者たちに用などございますまい。半分しか掛かっていない橋を思わせる形となったままのこの絨毯も、間もなく力が消えて元通りとなりましょう。仰々しい名とは裏腹に魔術など、つまるところは何の爪痕も残せぬ力でしかありません。さらに加えて魔術と戦争、時の捉え方に起因するその致命的な相性の悪さは、先ほど陛下もご覧になっておわかりいただけたはずでございます」
養父を殺害し〈シヤマの民〉を出奔した血も涙もない男とはいえ、思い返してみれば彼は最初から一貫してこの場からハナたちを遠ざけるように尽力していた。長老ユエへの恩義のためだろうか、それとも亡き母ヒミを想ってのことだろうか。
いつしかハナはすがるような視線をニコラ・スカリエへ送っている。
そんな祈りにも似た気持ちは、次の皇帝の言葉によって木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。
「いやなに、スカリエ中佐よ。若く、美しく、気の強い異文化の娘を妃に迎えてみようと思うてな。さすれば余も、其方の父であるヴィンチェンツォ・スカリエ将軍のように優れた跡継ぎを得られようぞ」
素晴らしい思いつきであろう、と皇帝ランフランコ二世はひどく満足そうであった。




