大戦
ウィルヘルミナ王国西方国境には国王軍の中でも選りすぐりの精兵が配置されていた。国境より西には大陸の半分近くを支配する超大国があり、帝国が侵攻を開始した場合、彼らは迎撃の任に就くのだ。また彼らは時折、帝国領に侵入して交易路を修繕する帝国軍を襲撃して道路を破壊する。帝国と戦う準備が整うまで帝国からの侵攻ルートを復活させないようにするのだ。東方戦役から帰還したクジェは想定以上に道路修復速度が速くなっているという報告を受けた。
「さすがにここまで来ますと帝国軍も対策しているようでして」
「構わん。完成すれば我らが大軍をもって攻め込み、再び破壊してやるだけよ。奴らは自分たちで我が軍の進軍ルートを復活させたのだ」
クジェは笑う。
帝国軍が土木作業に精通していることは知っていた。何年も時間稼ぎができるとは思っていない。
両国の将たちは再戦の時が近いことを肌で感じ、戦の準備を始めた。シェルイも政務や軍務を執り行う大天幕を国境から六時間ほどの西の草原地帯に移し、自ら指揮を執った。行商人や密偵から情報を集め、将軍たちと戦術を組み立てる。
「例の作戦も上手くいっています。個人的には嫌な作戦ですが」
「できれば俺もしたくない。けどやらなきゃ負ける。負ければ俺たちが死ぬ。それよりはずっとマシだと思う」
ヴェレンの僅かな非難がこもった言葉にシェルイは冷たく返す。悪鬼に成り果てる覚悟はもう決めている。
「これから先何千年、憎悪と非難を受けるとしても俺はやる。俺は血の道を進む暴君だ。人の道を外れて落ちた畜生と蔑まれても帝国を倒す」
まともに戦っては帝国に勝つことはできない。帝国の国力は比較にならないほど強く、兵も多い。加えて優秀な指揮官も多いと聞く。技術力も決して侮れない。生半可な準備で挑めば亡国の憂き目を見るのはウィルヘルミナ王国なのだ。
「わかりました。であれば僕が何か言うべき問題ではありません」
ヴェレンは笑った。
ヤルダバオート神聖帝国は百十万の兵力を擁する大国である。百戦錬磨の大将軍ハルキモ、帝国領に攻め込んだウィルヘルミナ王国軍を撃退した若き獅子アルディス・マクスウェルといった名だたる将軍らが兵を率いている。行く先々に敵は存在しないはずだった。しかし東方に駐留している将兵の様子に異変が発生しているという報告が帝都に入った。
「国境近辺の兵どもは腹を下しておるだと? 疫病か?」
皇帝マクシミリアンは報告を入れた廷臣に尋ねる。
「それが妙でございます。症状は徐々に広がるというより同時多発的に発症しております。疫病の類というよりは毒物が食事か井戸水に混ぜられているのかと」
「給仕は何をしておるか! 即刻首を刎ね、余の元へ届けよ! 同時に西方守備隊を東へ送れ。毒を潜ませたのは間違いなくあの蛮族共だ。軍が弱体化したと見るや必ず攻めてくるぞ」
ウィルヘルミナ王国軍は帝国領に侵攻するたびに井戸や川に毒を投げ込み続けていた。この大陸の川は東から西へ流れている。一口飲んで死ぬような毒は入れていない。長期間かけて摂取することでようやく効果が出る。上級将校は薬ですぐに症状を落ち着けることができたが下級兵士にそういったものを配る余裕はない。
「それだけではございませぬ。ファーマコン、大麻、薬物のようなものが貴族や兵に出回っているようで…」
「そのようなもの古来より流通しておるではないか」
マクシミリアンは憮然とした表情で部下を睨む。
「それが従来のものに比べて副作用が大きく、依存性も強いのだとか。これも主に東方軍の指揮官らが訴えており、ウィルヘルミナの関与が考えられます」
「早急に調査し、原因を究明せよ。時間は残されておらぬぞ」
「はっ!」
起きてしまったことは仕方ない。皇帝はそれを利用する方法を考えた。井戸水を飲んで腹を下した兵はともかく薬漬けになった兵は使い物にならない。副作用と禁断症状、依存性に悩まされる兵が軍規を遵守できるはずがないからだ。そのため責任者と薬を流した者を処罰し、中毒になった兵を前線から隔離して終わりだ。
しかし薬物には負の効果だけがあるということでもなかった。あくまで軍事的な意味ではあるが。薬物を摂取した兵は効果が切れるまで恐れを知らぬかのように勇猛果敢に敵に突進し、痛みを知らぬかのように死ぬまで暴れ続ける。恐怖と苦痛の抑制、そして集中力の持続。それは古来より認められ使用されてきた。
「中毒になった兵で軍を編成せよ。しばらくは定期的に薬物を与え、制御しておくのだ」
「と申しますと?」
臣下の問いに皇帝は髭をいじりながら答える。
「一度中毒になった兵は使い物にならぬ。退役させるにも問題が多かろう。であれば栄光ある帝国の兵としての死に場を与えてやることこそ余の義務であろう。いずれ危険な任務に当たらせる。真っ当な精神では到底挑めぬ死地を与えてやる」
神聖なる帝国領に攻め込み、悪逆を働いた神敵ウィルヘルミナ王シェルイの軍勢を打ち破ったアルディス・マクスウェル将軍と参謀エオルもまた戦争の足音が音を立てて近づいてきていることを感じ取り、ウィルヘルミナ王国を滅ぼす作戦を立てていた。
二人はドゥーボーム城の司令室で上質な紅茶を嗜んでいる。空気は弛緩しており、帝国屈指の名将とその参謀の軍議とは思えないほどである。
「美味いな、この紅茶。俺の好みだ」
多くの時間を戦場で過ごした歴戦の勇者であるアルディスだったが紅茶を啜るその所作には万人に上品さを感じさせるものがあった。
「ええ。ミーシャが送ってくれたものです。南方で見つけたそうですよ」
「ミーシャか。南部戦線も片付いたようだし我々に合流するのもそう遠くはないだろうな」
ミーシャというのはエオルの双子の妹であり、アルディスの幼馴染の将校である。後方支援や事務処理に長け、若くして将軍職に就いている。前線指揮もそれなりに得意としており、アルディスは重用していた。今までは大陸南西部での戦後処理のため東方にいなかったが任地での仕事が終わったことや帝国とウィルヘルミナ王国の正面衝突が近づいていることからアルディスが幕僚として呼び寄せているのである。
侍従が扉の外からアルディスに声をかけた。
「閣下、ミーシャ将軍がご到着なさいました」
それを聞いて二人は顔を見合わせた。
「噂をすれば、ということですねえ」
「ははは」
エオルは人の良い柔らかな笑顔を浮かべる。少しして扉が開き、年若い茶髪の女が部屋に入ってきた。
「ただいま戻りました、アルディス将軍、兄さん」
彼女は軽く敬礼をすると空いていた椅子に腰を下ろした。
「思ったより早かったな」
「ええ。もうすぐ戦争が始まると聞きまして。長期戦になるなら、征服になるならお二人には私が必要でしょう?」
ミーシャは自信たっぷりと言った。
エオルは苦笑する。
「こらこらミーシャ。そう調子に乗るなよ」
「気にするな。本当のことだ。前回、ウィルヘルミナと戦った時、防衛線であり短期戦だったからこそ我々はさほど補給を気にせず戦えたのだ。草原を一つに纏め上げたあの男を完全に滅ぼすにはできるだけ可能な限りの備えが必要だ」
アルディスはシェルイと同じように身分をあまり気にする人間ではなかった。能力さえあれば、向上心さえあればそれ相当の地位と仕事を与える人物として有名であった。
「何にせよ総力をもって全ての敵を撃ち滅ぼし、俺はこの世界を手に入れる。皇帝の王冠も戴くとしよう」
彼の目に危険な野心が彩りを加える。彼は優秀な将軍であると同時に並外れた野心家でもあった。
両陣営共に忙しい日々が続き、半年後に帝国軍は侵攻の準備を整えた。遠征軍の総指揮を委ねられたのは英雄アルディス・マクスウェル。十万を超す大軍を率いてドゥーボーム城を出立した。
出陣にあたってアルディスは兵士たちに演説を行った。
「私に付き従う全将兵に伝えておきたい。諸君らはこれより戦地に赴き幾多の試練に見えることになるだろう。敵は強く、多くの者が討たれるだろう。だが忘れるな。諸君らは神のために、家族のために、栄光のために、未来のために戦う選ばれし者であるということを!」
美貌を誇る若き英雄は自然と将兵の視線を集めた。暴虐を働く獣のようなウィルヘルミナ軍をたった一度の戦いで撃ち破り、追い返した無双の将軍。百戦錬磨、常勝無敗の英雄。その肩書きは戦場に赴く兵たちの心を掴むのに充分過ぎた。
「死を恐れるな。戦って栄光を勝ち取れ。東西南北大陸全土に我らが神の光が地上に降り注ぎ、我らに勝利を与えてくださる。帝国の勇者たちよ! 刃をもって己の力と意志を示せ!」
兵士たちは拳を突き上げてアルディスを讃える言葉を叫んだ。
彼らとて敵への恐れはある。ウィルヘルミナ王国を滅ぼすには何としてもあのシェルイという悪魔を倒さねばならない。慈悲も情けもない地獄の悪鬼と戦わなくてはならない。それでも勝てる、そう思わせるのがアルディスという将軍であった。
「出陣!」
帝国軍の動きをいち早く察知していたシェルイは麾下の軍団を率いて西方国境に着いていた。ウィルヘルミナ王国軍副司令官クジェ、ネテア王国軍総司令官ドルゴンと共に帝国軍を迎え撃つこととなった。王国西部全域に警戒令が出され、民は東への避難を命じられた。東国連合はウィルヘルミナに援軍を派遣することを決定した。
「帝国軍は十二万を超す大軍。ですが我が軍も併せれば十三万。東国連合軍が合流すればさらに増えます。数の上では互角以上の戦いが望めるでしょう。数の上では」
木製の大机に羊皮紙の地図を広げてヴェレンが言った。ウィルヘルミナ軍は五万七千、ネテア軍は七万四千をこの戦場に送り出している。国運を賭けた戦いだ。負けるわけにはいかない。
「幸いに合同訓練では連携にこれといった不安はありませんが実際の戦闘になれば筋書き通りにとはいかぬもの。警戒しなくてはならないでしょう」
諸将は頷く。両国兵たちだけでなく将校たちでさえも相手に対して良い感情を持っていない。つい去年まで殺し合っていたのだ。それを綺麗さっぱり忘れて友情だの信頼だのが生まれるわけがない。
「平時に抑えていても戦時、それも最悪の時に不満や不信が害を与えるものです。どうぞお気をつけて」
「わかった」
シェルイは軍を進めた。足が遅いネテア軍を置いて先行する。帝国軍はまだ国境を越えていない。先制攻撃を与えて帝国軍の出鼻を挫くのがシェルイの考えだ。
「イディア、ドゥダイ、ヴェレン。軽装騎兵二千騎ずつ連れて帝国軍にご挨拶をしてきてくれ」
「はっ!」
三人はシェルイに背を向けて自軍の元へ戻ろうとした。その背中をシェルイが呼びとめる。
「言うまでもないけど一応。敵の総大将はアルディス。俺たちが負けたアルディスだ。慎重にやってくれ。敵を足止めしたり将校を討つ必要もない。軽く一矢叩き込んできてくれたらいい。それも無理そうならさっさと戻ってこい」
この先制攻撃の目的は言ってしまえば景気づけのようなものだ。成功すれば士気が上がる。失敗すれば多くの兵を失い、士気を落とすことになる。
「わかりました」
イディアは微笑んだ。
シェルイはその笑顔を見て大きく頷く。
三人の肩を叩いて送り出す。




