「マドロール様、深く思い悩む必要はございませんよ。」―皇妃、記憶喪失編⑩―
「ふぅ……」
マドロールは一息を吐いて、大きなベッドに寝転がる。
この場所は皇帝夫妻の寝室である。記憶喪失中のマドロールは天井を見上げながら、心在らずと言った様子だった。
その傍には侍女達が控えており、マドロールが何か望みを口にでもすればすぐさま彼女達は行動に移す。
まだまだ皇妃生活に慣れていないマドロールだが、自分の影響力を少しは理解していた。
(やっぱり皇族たちの住まいだけあってとてつもなく広かったわ。基本的に記憶を失う前の私は特定の場所……城の奥深くで暮らしていたようだけど。それにしても娘達が可愛くて、一生懸命教えてくれるから頑張って覚えなきゃとなったわね)
ロルナールやミドロールにとって母親であるマドロールは少し変わった部分があろうとも、立派な皇妃であり母親である。記憶喪失で不安定な母親のために頑張るのは当然のことだった。
「ねぇ、ヴィー様はいつ頃こちらに来られるの?」
「今すぐお呼びいたしましょうか? 陛下なら何を放ってでもマドロール様の元へ来ると思いますが」
「……仕事中よね? それでいいの? 私はヴィー様が来てくださるのは嬉しいけれど、その調子でヴィー様の支持率は下がったりしないの?」
マドロールは侍女の言葉に、心配になる。
ヴィツィオは皇帝という責任ある立場にも関わらず、自由すぎるのだ。それこそ何よりもマドロールのことを優先する。
マドロールが記憶喪失になってからは特に過保護である。
「全く。マドロール様はそう言った心配をするのは不要です。陛下が妻であるマドロール様を溺愛していることは帝国中……いえ、大陸中に広まっている事実です。特に此処で働いている者達は私も含めて誰もが存じています。魔法を受けて倒れられたマドロール様を陛下が優先することは当たり前のことですので」
「……そ、そう」
「それに陛下は皇帝としてとても優秀な方です。しばらくの間、国政から離れたとしても配下の者達が問題なく進めるので何一つマドロール様が頭を悩ませる必要はありません」
「そうなのね……」
侍女はマドロールを安心させるようにそう言って微笑んだ。
自分の言葉でもし仮にマドロールが不安にでもなるものならば、皇帝がどういう行動を起こすか分からない。長く皇帝夫妻に仕えている侍女は皇帝の心の狭さや溺愛っぷりを理解している。
だからこそこうして声をかける際は、慎重に言葉を選んでいるのだ。
「ヴィー様って、独裁者っぽいけれど案外そうでもないのね」
「いえ、独裁者ではあるかと。陛下の決定が国にとっての決定ですから。でもマドロール様と出会われたからこそ少しは丸くなったと昔から仕えている者達はおっしゃっておりますね」
「私のおかげ?」
「はい。陛下がやりすぎそうな場合は、マドロール様がいつも止めてくださっていますから。陛下はマドロール様に大変甘いので、マドロール様が「やめて」と口にしたらすぐにどんな行動でもおやめになります」
「そうなのね……」
マドロールは侍女の言葉にただ頷く。
自分の一言が『暴君皇帝』の言動に影響するなどと、今世の記憶を失っているマドロールにとっては責任が重すぎた。
このまま記憶が戻らなかったら、ちゃんとやっていけるだろうかとそんな不安も頭をかすめる。
「マドロール様、深く思い悩む必要はございませんよ。陛下も私達もマドロール様があなた様らしく過ごしてくださればそれでいいのです。マドロール様が幸せであればあるほど、陛下の機嫌も良くなりますから、その分、帝国は平和になるのですから」
侍女はそう言ってにっこりと微笑む。
(私の幸せが、帝国の平和に繋がる……。何だかやっぱり不思議な感覚だわ。私がヴィー様に愛されていることも、家族や周りにとても大切にされていることも実感はしているけれども……。本当に私の記憶って戻るんだろうか?)
マドロールは寝転がりながら、ただそんなことを思考していた。
これまで生きてきた記憶がない。それでいてあるのは前世の庶民として生きてきた記憶だけ。
それなのに、誰一人マドロールに嫌な視線を一つも向けてこない。ただ受け入れて甘やかされている。
そのままで構わないのだと、マドロールが無事であればそうでいいのだと全て受け入れられている。
マドロールはそんな周りのことをすっかり大切に思っている。だからこそ余計に過去の記憶を思い出したかった。
「私の記憶がないのは、魔法のせいなのよね?」
「はい。元々は陛下を狙ったものであったと聞いております。私どもとしてみれば、陛下ではなくマドロール様の記憶が失われたことはまだ幸いだったと思います」
「……ヴィー様の記憶がなくなっていたらもっと大変だったでしょうね」
「マドロール様やお子様たちへの愛を忘れてしまった陛下が、記憶喪失中にマドロール様達に酷い態度をしてしまっていたら……。そしてそれを陛下は記憶を思い出した後に悔やまれたことでしょう。それでいてもっと殺伐したことになっていたことは想像が出来ます。もちろん、記憶喪失などは無い方がいいでしょうが、まだ良かったなと思ってます」
そう言われて、マドロールは確かにとそう思った。




