「俺は当然、お前には記憶を思い出してはほしいが……そうじゃなかったとしても何の問題もない」―皇妃、記憶喪失編⑥―
12/7 二話目
「はぁ…はぁ……ヴィー様、口づけ、うますぎぃ」
ヴィツィオから口づけをされたマドロールは、とろけきった表情をしていた。ヴィツィオの口づけは、軽いものではなく深かった。
「これでも手加減している」
「これで……!?」
マドロールは驚愕した。
初心な反応を見せるマドロールをヴィツィオは優しい目で見ていた。
「あ、あのヴィー様。わ、私からキスしてもいいですか?」
そう問いかけてしまったのは、ヴィツィオに見つめられると好きだなぁという感情でいっぱいになったからだ。
記憶を失っている状況で、夫婦としての記憶はない。それでも目の前にいるのは、彼女にとっては大好きな推しで、こんな風に愛されているとときめくのは当然だった。
マドロールの言葉にヴィツィオは反応する。しかしすぐさま、「お前は俺に何をしてもいいんだ。許可は要らない」と答えられる。
そんなことを言われたマドロールは、背伸びをしてヴィツィオの唇に自分の唇を重ねた。
皇妃から口づけしやすいように、ヴィツィオは少し屈んでいる。目を開けたままなのは恥ずかしいのか、口づけの瞬間は目を瞑っている。マドロールからの口づけは一瞬である。
でもその一生懸命な様子を見たヴィツィオは思わず小さく笑った。
「は、恥ずかしいのでこれだけで!」
「そうか」
「ヴィ、ヴィー様、なんで楽しそうなんですか?」
どこか楽し気に小さく微笑むヴィツィオに、マドロールは不思議そうだ。
「お前が思い出した時にでも話そう」
「え、なんですか、それ?」
不思議そうな顔のマドロール。
ヴィツィオが面白がっているのは、記憶を無くす前のマドロールは今よりも慎ましくて遠慮していたからである。マドロールはヴィツィオをたしなめることはあるし、本音を口にはする。ただし自分からヴィツィオに触れたり、口づけをしたりはあまりしない。やるのは酔っぱらっている時ぐらいである。
それだけ『暴君皇帝』ヴィツィオをマドロールが特別に思い、神聖視しているからと言えるだろう。
そんなマドロールが積極的に自分からキスをしてきたのである。
だからヴィツィオは、記憶を失ったマドロールのことを面白がっていた。
もちろん、他の女性が同じことをしようとするものなら問答無用で首を刎ねただろうが可愛い妻からこんなことを言われれば従わない他ない。
『暴君皇帝』はただただ、溺愛する妻には甘い。
ちなみにヴィツィオは今すぐでもマドロールを押し倒したい気持ちにもなっていたが、流石に自重していた。彼はどれだけ暴君と呼ばれようとも愛しい妻の機嫌を損ねることだけは嫌なのであった。
そんな本心を知れば、マドロールは「可愛い」とときめくことだろう。
「ねぇ、ヴィー様……。私、自分の記憶がないことは心配です。本当に私は、あなたの愛しい妻なのかなってそんなことを考えて……。此処にいるのが不安です。だけどこうして感じるヴィー様のぬくもりは現実ですし、ヴィー様や子供達が私を受け入れて大切にしてくれるから……なんとかなる気がしてます」
マドロールはそう言って、真っすぐにヴィツィオを見ていた。
彼女は記憶を失っていても、夫の目を見つめられるのである。機嫌を損ねれば首を落とされるというのに。それに自分がマドロール本人なのかも、彼女は不安がっている。それでも――ヴィツィオのことを恐れてはいないのだ。
漫画でも読んでいたし、現実のヴィツィオがただ優しいだけじゃないことは分かっている。
それでも彼女にとっては、記憶を無くしてもヴィツィオは安心できる者なのだ。
「不安がる必要はない」
「でも……記憶が戻らなかったら」
「その時はその時だ。俺は当然、お前には記憶を思い出してはほしいが……そうじゃなかったとしても何の問題もない」
ヴィツィオは返答を躊躇わない。そして迷いもしない。
だからこそマドロールはその言葉を受けると、安心した。
(私はヴィー様の愛しい妻である実感は分からない。本当にそれが今世の私のことで、私が今世の記憶を失っているだけかなんて知らない。それでも……ヴィー様の言葉って不思議だ。何でも信じてしまいたくなる。こんな状況なのに、私は大丈夫だって。やっぱりヴィー様は凄い)
マドロールはヴィツィオの言葉にそんなことを思った。
「私は出来れば思い出したいです。ヴィー様や子供達との思い出を忘れてしまっているなんて悲しいです。だから思い出せるように頑張りますね!」
マドロールはそう言って、宣言するのであった。
記憶がなかったとしてもヴィツィオはマドロールを大切にして、愛してくれるだろうとはなんとなく理解していた。
それでも――その大切な思い出を思い出せないのはもったいないとマドロールは思った。
(私は思い出して見せる。ヴィー様が、私を愛してくれた記憶を思い出したい)
だからこそ、そう決意をするのだった。




