「……なんて、美しいのかしらって、違うわ!」―ヴィダディの花嫁探し編⑥―
「ごきげんよう。陛下」
ランジネットはそう口にして、頭を下げる。まさかこんな場所で皇帝に出会うと思っていなかったのだろう。
「そこまで畏まる必要はない。それで、魔法はどのくらい使えるんだ?」
「……ほんの少しですわ。私自身の魔力も少ないので、今日はこれ以上使えないかもしれません」
そう、ランジネットはそこまで魔法を使うことは出来ないのだ。だから少し言いにくそうにそう告げる。
期待外れだと思われないかなどとそんな風に考えている。それは散々魔法が使えることを知られた後、
「この程度か……」とがっかりされることがあったからだ。
「そうか。少しでも魔法が使えるのは良いことだな」
ヴィダディはその些細な魔法に関して、嫌な顔一つせずにそう言った。
表情は特に変わっていない。だけれども、嫌な視線は全く感じていない。だから見つめられてもほっとしていた。
「おほめ頂き光栄です。では、私は失礼いたしますわ」
この場で会話を交わすことを選択しなかったのは、ヴィダディのプライベートな時間を邪魔したくないという気持ちを持っているから。
ヴィダディはそのことに少し驚いた顔をする。花嫁候補と言えば、ヴィダディに気に入られようと少しでも彼との時間を共有しようとしてばかりだったのだ。
ヴィダディはがつがつと自分に近づかれて、正直疲れるなと思っていたのである。そんな中で優しい笑みを浮かべながらそのまま去ろうとする愛らしい花嫁候補。
「君は忙しいのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……陛下は沢山の花嫁候補の王女殿下や御令嬢達と交流をしていて疲れていらっしゃるのではないかとそう思った次第です。時間外に陛下を煩わせるようなことはしたくありませんので」
ヴィダディから見つめられ、緊張しながらなんとか早口で答えるランジネット。
「ははっ」
ランジネットが早口で一生懸命説明する様子がおかしかったのか、ヴィダディが笑った。
傍に控えていた文官と護衛騎士は驚いた顔をする。ランジネットも当然驚いた。
(……へ、陛下が声を上げて笑っている?)
こんな笑みを見ることは初めてで、ランジネットは思わず見惚れた。美しい、見ていて幸せな気持ちになるような笑みだったから。
「君の話はミドロールからも聞いていたが……迷惑ではないから少し話さないか?」
そんな申し出を受けて、ランジネットは混乱する。皇帝からそんなことを言われると思っていなかった様子だ。
「か、かしこまりました」
しかし皇帝の申し出を断るわけにもいかないので、ランジネットは頷く。
(ミドロール様から話を聞いたってどういうこと?? この前の図書室でのことを陛下に話されたってこと……!?)
ランジネットはこのよく分からない状況に全く落ち着けなかった。つい先日ミドロールと話したことも夢のような時間だと思っていたのに、まさかこうしてヴィダディと話すことになるなど想像もしていなかった。
「そこまで緊張する必要はない。私は父上ほど沸点は低くないから安心していい」
「は、はい」
それは安心していいのだろうか、などと思いつつランジネットは頷く。
(そ、そうよね。『暴君皇帝』と呼ばれていた先代皇帝は、信じられないぐらい簡単に人を処罰したりしていたらしいけれど……目の前の陛下はまだそんなことはないはず。というかそもそもよっぽどのことをしないと人の命を奪ったりはしない……と思うから大丈夫。落ち着くのよ、ランジネット)
自分に言いつかせながらランジネットはなんとか目の前の皇帝を見る。
(……なんて、美しいのかしらって、違うわ!)
ただこちらを見ているだけで見惚れてしまったランジネットははっとする。ころころと変わる表情をヴィダディは見つめていた。
「君の故郷は、どういった場所だ?」
「ええっと、私の国はですね、大きな湖が有名ですね。そこに住んでいる魔物がいるのですけれど、人に対して友好的で守護神なんて言われていたりするんです!」
そう、ランジネットの故郷である小国には、大きな湖がある。そこに住まう魔物は、人に対して友好的である。
それこそ帝国における人と竜の関係と同じようなものと言えるだろうか。
ランジネットも公爵令嬢として、その魔物と対面したことはある。ランジネットは自分の国のことが好きなので、話しているとつい笑顔になった。
「聞いたことがあるな。確か巨大な魔物なのだろう?」
「はい。貴族の屋敷ほどの大きさはありますね。十年に一度、水面に姿を現してくださるのですけれど、その時には乗せてもらえたりします。私も幼いころに乗せてもらったことがあります」
その時のことを思い出すと、余計にランジネットの頬は緩んでいた。
(私が十歳の頃に、丁度その時と重なっていて乗せていただけてとても楽しかったのよね。大人も乗せてもらえるなら湖に行きたいな。でも国民皆で押しかけたら流石に迷惑にはなりそうだけれど)
魔物の背に乗せてもらって、湖を移動したときを思い出してランジネットは楽しそうにしているのだった。




