「な、なぜ私が呼ばれたの!?」―皇妃と画家①―
(な、なぜ私が呼ばれたの!?)
一人の少女――帝国の下位貴族の娘であるリンビーナは、困惑していた。その雪のように白い肌は可哀想なほどに青ざめている。美しい赤みがかった茶色の髪と、そばかすの顔。そして眼鏡をかけている。
年齢は十七歳。
まだ若い少女は、可哀想なほどに体を震わせている。
そんなリンビーナの前には、文官であるロレンツォの姿がある。
「リンビーナ嬢、もっと気を抜いてもらって構わないですよ」
「は、はい。えっと、ロレンツォさん、私はどうしてよ、呼ばれたのでしょうか」
リンビーナは自分がなぜ、こんな場所に呼ばれたのかというのがさっぱり分かっていない。声を震わせて、尋常じゃないほどに緊張していることがよく分かる。
「そうだね。リンビーナ嬢を呼ぶことになったのは、君が絵を嗜んでいるからだ」
「え?」
リンビーナにとって、それは予想外の言葉だった。
確かに彼女は絵を描くことが昔から好きだった。風景だったり、人物だったりを暇さえあれば描いていた。両親からはそろそろ趣味に夢中になるのではなく、結婚相手を探すのはどうかとそう言われていた。
リンビーナは、結婚すること自体は問題ないと思っている。だけど結婚をした後に絵を描けなくなることだけは嫌だと思っていた。
結婚をするということは、それだけ不自由になるということと同義であるとリンビーナは少なからずは思っている。もちろん、相手次第であるが、絵を描いてばかりだと嫌がられる可能性は高かった。
「絵を嗜んでいるから、呼ばれたとは……?」
「皇妃様が絵を習いたがっているのだ。それで君が選ばれたというわけです」
「え? どうしてですか? 本当に皇妃様がお呼びだというのならば、もっと高名な画家が幾らでもいるでしょう?」
リンビーナは理由を聞いても、よく分からなかった。
皇妃であるマドロールの情報は、リンビーナは一般的なものしか知らない。下位貴族の娘であるリンビーナはこうして呼ばれることがなければそもそも帝都を訪れることもほとんどないのである。
今回、いきなり竜騎士が迎えに来て、呼び出しを受けるという不測の事態が起こった。
なぜだろうかとずっと不安だったので、そんな理由で拍子抜けしたリンビーナである。
「そうですね。有名で実力のある画家は幾らでも居ます。しかし――女性となると数が限られていますから」
「……女性ではないと駄目なのですか?」
リンビーナは不思議そうな表情を浮かべている。
「そうです。皇妃様に教える画家の条件は女性でなくてはなりません。それでいて身元がきちんとした方でないと許されません。皇妃様に何かあったら大変なことになってしまいますから」
「……そうなのですね。確かに女性でとなると探すのが難しいかもしれません。しかしなぜ女性でないと駄目なのでしょうか?」
女性で画家を探すとなると確かに難しい。
しかしなぜわざわざ女性で探しているのだろうかと不思議に思うリンビーナなのであった。
「あまり他言はしていただきたくはないのですが……陛下はそれはもう独占欲が強い方です」
「え?」
「陛下は皇妃様に異性が近づくことを良しとしておりません。私たちが必要に応じて話しかけても嫌がるので……皇妃様が異性と接するのは本当に最低限です。陛下の怒りを買いたいとは誰も思いませんから」
ロレンツォの言葉にリンビーナは驚いた顔をした。
リンビーナもこの帝国の貴族として、皇帝夫妻の仲の良さは百も承知である。属国である小国から嫁いできた皇妃が、皇帝の心を射止めたことも溺愛していることも知っている。
しかし中々帝都にも来ないリンビーナからすると、実際の姿が分かるわけではない。
「そう……なんですね」
「はい。ですから皇妃様が絵を習いたいとおっしゃった際に女性の画家を探すことにしたのです」
「……それで、私が選ばれたというわけですか」
頷きながらも、リンビーナは顔を青ざめさせている。
理解は出来ても、皇妃などという雲の上の存在に絵を教えるなんてとてもじゃないが出来ないとそう思っているのだろう。
「お、お断りすることは……」
「できますが、しない方がいいですね。皇妃様は断られたら悲しみはなさりますが許してくださるでしょう。ただ受けていた方があなたのためにもなります。皇妃様の絵の教師となれば、好きなだけ絵を描いていけるでしょう。それに陛下からもあなたの家の評価があがります。それにはメリットしかないはずです」
そう言われて、リンビーナは考え込む。
(断ることが出来るとはおっしゃっているけれど、実質これは……陛下からの命令であると言えるわよね。それに断ったと知られたら家の評判にも関わるわ。正直言って皇妃様に絵を教えるなんて出来るか分からないけれど――やれるだけやってみるべきね)
そう判断したリンビーナは、結局承諾するのであった。




