蠱毒からの脱出
足に噛み付いてきた小さな黒蛇はいたって普通の蛇にしか見えない。透き通った青い目でくびをかしげながら、こちらを見てくる。
そっと手を伸ばすと、手の上に乗っかり、そのまま腕を伝って首に丸まる。随分と人懐っこい蛇だ。
「君、もしかしてツージャ?」
「キュルル」
黒蛇はそれに応える様に鳴く。ツージャとは思えない、可愛らしく透き通った声だった。背中に生えていた無数の羽やムカデの脚の様なものもすっかり消えている。
とにかくここに放っておくわけにはいかないと思い、ドラゴンの姿になって飛びたとうとする。しかし、俺はそれを思いとどまる。
俺から少し離れたあたりから、銀色の光が輝いたのに気付いたからだ。近寄ってみると、それは短剣だった。フリーエルが愛用してた武器だ。
小さくなったツージャの体から零れ落ちたのだろうか。俺は短剣を片手で持ち上げる。これはフリーエルに返してあげなくてはならない。
俺はドラゴンの姿になると、空中に舞い上がった。そして、二属が待っている巣に急ぐ。
戻って来ると、フリーエルがレオに膝枕をしていた。俺は竜人の姿になり、話しかける。
「レオ。 寝ちゃったのか」
「騒ぎすぎて、疲れたんじゃない? 足が痺れてきたからそろそろ、どいて欲しいんだけど……」
俺は頷き、レオの頭を揺さぶる。レオは浅葱色の目を開けると、ぼんやりとした顔で起き上がり、目を擦る。こういったところは、まだ子供だと感じる。
「ん? シルフォン、帰って来てたですか?」
「ついさっき帰って来たばっかだよ。 それよりほら、後ろを見てみろよ」
「後ろ?」
レオは俺の言う通りに、後ろに目を向ける。フリーエルが真後ろにいることに気付いたレオは光の速さで、起き上がり俺の後ろに隠れる。
「ひぃぃぃぃ!! いつからそこに!! た、食べないでください!! 僕なんか食べても、きっと美味しくなんかないですよ?! ほら、こっちの方が絶対美味しいですよ!!」
レオは俺をフリーエルの前に突き出す。
「さらっと、僕を売るな!!」
そんな会話をよそにフリーエルは立ち上がり、俺が首に巻きつけている黒蛇を凝視する。
「……その、黒蛇」
「ん? あぁ。 ツージャだよ。 何故かこんなに小さくなっちゃったけど。 あとそれと、これ」
俺はフリーエルに取り戻した短剣を渡す。フリーエルはそれを受け取り、腰の剣帯に差す。先程まで隠れていたレオは黒蛇に興味津々だ。
「こんなに小さくなるなんてびっくりです!! 凄く可愛いです!!」
レオは俺の首に巻きついている黒蛇を持ち上げ、手の中に収める。そして、頬を擦り寄せた。フリーエルはそんなレオから少し距離を取る。
「もしかして、蛇苦手?」
「へび? ビヘの事? ちっとも苦手じゃない。 私に苦手なものなんてある訳が無い」
フリーエルはそう言いながらも、小さくなったツージャに近づこうとしない。俺の推測は当たっていると見て、いいだろう。そんな、会話を聞きつけたレオはフリーエルにツージャを持ったまま近寄る。
「ビヘ、苦手ですか? ほら! ほら!」
レオは調子に乗り、あえてビヘをフリーエルの近くに寄せる。フリーエルはレオの首筋の服を掴み、蛇ごと宙に放る。そのまま地面を転がったレオは壁に頭をぶつけて悶える。
「痛いですよ!! 酷いですよ!!」
「いや、今のは君が悪いって」
誰にも味方をしてもらえなかったレオは地面に耳をたたみ、蹲る。レオの手から解放された黒蛇は、再び俺の首に巻きついて来る。何やら、気に入られてしまったらしい。
フリーエルは俺から一歩距離を置いてから、話を続ける。
「どうするの? そのビヘ」
「ここに置いてきぼりにしても可哀想だし、連れていこうよ。 レオも気に入ってるみたいだし」
「私は、世話しないから」
しないんじゃなくて、出来ないんだろと、俺は思ったが決して口には出さない。レオの二の舞にはなりたくないからだ。
「飼うですか? なら、僕に任せるですよ!!」
レオは俺からツージャをひったくり、腕に抱く。ツージャは騒がしいのが嫌なのか、レオから体を捻る事で、逃げようとしているが、好奇心旺盛な幼子の手からは逃れられない。
「よし、じゃあ上にあがろうか。 また、血を飲まなくちゃいけないのかな?」
「短期間に二度はやめておいた方がいい。 私は自分で行くから」
そう言うと、フリーエルは跳躍し、壁を走って登っていってしまった。残された俺達はポカーンとする。俺より早く驚きから解放された、レオは俺の服を引っ張る。
「こうしちゃいられないですよ!! 早くしないと負けてしまいます!!」
「これ、競争だったけ?」
俺はドラゴンの姿になると、レオとレオの腕に囚われているツージャを足で持ち上げる。この短期間で体も少し大きくなった。
まだ、成体と比べると小さいが、子供一人ぐらいなら軽々と持ち上げられる。急かすレオを運びながら、俺は上に上がった。
出口にたどり着くと、フリーエルは体育座りをして待っていた。俺たちより、だいぶ早くついた様子だ。
「あーー!! 負けたですよ!!」
「だから勝負じゃ無いんだって」
「キュルル〜〜」
俺は騒ぐレオを尻目に、あたりを見渡す。知らない土地だ。蠱毒の巣はランダムに現れるダンジョン。俺が落ちた時とは、景色が違うのも頷ける。
俺が住んでいた森の近くに出口ができる方が低確率なのだ。しかし、俺は心のどこかでそれを期待していた。俺は首を振り、考えることをやめる。
家族はきっと生きているはずだ。特に、フィオレンはしぶといから、心配いらないだろう。
「……フォン! シルフォン!!」
俺は呼びかけに気づき、声の方角に目をやる。
「ぼーと、してる場合では無いですよ!! こらからどうするかみんなで話し合うです!!」
「あ、ごめん」
「分かればいいのですよ!! 僕はこれから、故郷に戻るです!! 二属はどうするですか?」
これからのことを聞かれ、真剣に悩んでいる俺の隣で、フリーエルがレオに問いかけをする。
「レオ。 もしかして、あなたの故郷って、"クリージュネル"?」
「そうですよ!! よく知ってますね? これは裏で生きる者しか知らないですよ?!」
「なんだ? その危ないワード?」
「クリージュネルは世界で唯一、人間と亜属が一緒に暮らしてる街。でも、この街のあらゆる情報は人間にも亜属にも、上の者の手によって流出する事はない」
「情報が漏れて何か困ることがあるの?」
「あなたは知らないかもしれないけど、人間と亜属は何百年に渡って、戦争を繰り広げてるの。 戦争で得をするのは、大抵上層部。 そんな中、二種属が仲良くしている街があったら国民はどう思う?」
なるほど。今のフリーエルの話をまとめると、二種属が共に暮らしている街というのは上の者にとって目障りという事だ。戦争に巻き込まれたくない者や、平和主義者がその街に流れ込んでしまうかもしれない。
そうしたら、戦争が終わってしまうかもしれないと、戦争で富を得ている上層部が考えていると言う事か。
「なんて言うか、最低な奴が国のトップなんだな」
「ええ。 本当に最低なクズやろうども」
「いきなり、口が悪くなったね!! なんか恨みでもあるの?!」
フリーエルは余程、上層部の者達が嫌いみたいだ。俺の悪態に乗っかって来る。
「そんな街の亜属が外を彷徨っていて、大丈夫なのか?」
「本当は出たらダメですけど……。 捕まるのが怖くて、冒険者なんかやってられないですよ!!」
「冒険者ってそんなはっちゃけた職業なんだ」
「レオ。 私も一緒に、クリージュネルに行く。 貴方ここに落とされて来たって言ったでしょ。 一属じゃ心もとなくない?」
拒否しそうになったレオをフリーエルはいたって合理的な理由でなだめる。レオは少し考えたのち、渋々頷く。
「ちょっと待って。 僕も一緒に行っちゃ駄目かな?」
今のところ、俺には行く当てがない。単独行動は危険だ。断られると思ったが、二属共に異論はない様だ。特に、レオは大層喜んだ。
「大歓迎ですよ!! フリーエルと二属きりで旅とか、体が持ちません!!」
「ツージャがいるだろ?」
「魔物と亜属では違いますよ!! そうです!! せっかく三属そろったのですから、クリージュネルに着いたら三属で冒険者ギルドを組みましょう!! どうせ二属共にやる事なんかないんでしょ!」
「僕は構わないけど……」
「……暇つぶしになら」
「よーし!! じゃあ、誓いのつむぎをするですよ!! シル!! エル!!」
レオはツージャを地面に下ろすと、手の甲を差し出して来る。
「何何? その呼び方? 何が始まったの?」
「冒険者同士は仲間のことを愛称で呼ぶですよ!! 誓いのつむぎはこうやって手の甲を合わせて、自身の名前を言うですよ!! 汝いついかなる時も、仲間を想い、裏切らず、背中を預け合うことを誓いますか?
「……誓う」
「誓うよ。 と、言ってみたはいいけど、仲間に裏切られたレオが言っても説得力がないな」
「本当に、その通りですね?! ほら、名前を名乗るですよ!! 僕の名はレオリーナです!!」
「私は、フリーエル」
「なんか、クラス替えしたばかりの自己紹介みたいな雰囲気だな。 僕……いや、俺の名前はシルフォン」
「僕たちが会ったきっかけになぞらえて、命名!! "黒蛇隊"ですよ!!」
この後、黒蛇に反応したツージャが手を合わせていた三属の上に乗っかり、フリーエルが俺とレオをツージャごと弾き飛ばしたのはまた、別の話であった。




