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英霊の花嫁  作者: 原田修明
12/12

後ニ続ク者

わたくしは、白い世界に居ました。


壁も白、床も白、天井も白です。


どこかの部屋のようでした。

わたくしは、小さな台の上に置かれていました。

眼の前には白い寝台があり、白髪の、たぶんおばあさんが身体を起して窓の外を眺めていました。


窓の外には入道雲が湧きあがり、湿気で白く見える空が広がっていました。


花嫁衣装の下の身体はほとんど折れていましたが、筋一本でくっついているようでした。


「お兄……ちゃん」


おばあさんが顔を戻し、つぶやきました。


瞳は白く濁り、緩んだ口元に(よだれ)が光っているのが見えました。

顔と首には草の根のように皺が這い、若いころの面影はなくなっていましたが、わたくしは彼女を知っていました。


美代でした。


レイテ沖のときから、いったいどれほどの年月が経ったのでしょうか。

少女のようだった美代は、頭の中だけは少女のまま、膨大な時の流れに侵食されていました。


わたくしはなぜ、ここにいるのでしょうか。

夫とともに炎に包まれ、南溟(なんめい)を永遠にさまよっているはずのわたくしが、孤独な、もはや自分が孤独とも判らぬ美代の姿を見せつけられるのでしょうか。


覚えています。

ほんの少しだけひとを幸せにする、その力を使いきって、わたくしは炎を翼に変えました。

いまのわたくしは、壊れる寸前の抜け殻です。


わたくしは、何のためにここにいるのでしょうか。


「お兄ちゃん……」


美代がまたつぶやきました。

彼女がお兄ちゃんと呼ぶのはただひとり、夫です。

美代は夫と結婚する前の女学生時代、いいえもっと前の幼女のころまで帰ってしまっていました。


恵子ちゃんはどうしたのでしょう。

生きているのでしょうか、死んでしまったのでしょうか。


美代は、たったひとりで何十年も生きてきたのでしょうか。


もし声があげられるのなら、わたくしは美代に泣いて謝りたいのです。

わたくしの力は、夫を生きて返すことができませんでした。

それだけではありません。

夫と最期までともにあったわたくしは、ほんとうに幸せだったのです。

それが申し訳なくてたまりませんでした。


わたくしの想いが美代に届くことはありません。

美代は濁った眼で虚空を眺めているばかりでした。


そのとき、部屋が急に騒がしくなりました。

次々と人が入ってきたのです。

初老の夫妻、ふた組の若夫婦、そして彼らの子供と思われる、まだ小学校に上がる前くらいの男の子がひとり、女の子がふたりいました。


そう広くもない部屋に9人も増えて、いきなりにぎやかになりました。

けれども美代は何も気づかないのか、また窓の方を向いてしまいました。


「お母さん、調子はどう?」


初老の女が、優しく話しかけました。


「今日は、家族が全員そろったのよ」


入ってきたひとたちは、女の子供と孫のようでした。


「あら、こんな人形、あったかしら」


女が、わたくしを覗きこみました。


それは、恵子ちゃんでした。


「なんだか、見覚えがあるような……」


美代は、ひとりではなかったのです。

孫を得て、ひ孫まで生まれていました。

夫が後に続くと信じたものは、ここまで広がっていたのです。


「大ばあちゃん、これ僕が作ったんだよ」


男の子が取り出したのは、器用にきゅうりで作った飛行機でした。


「これに乗って、大じいちゃんが早く来るといいね」


男の子は、わたくしの隣に飛行機を置きました。


美代の白濁した瞳から、ひとすじの涙が落ちました。


「あ……な……た……」


今日は、お盆だったのです。


「どうしたの、おばあちゃん……」


若夫婦の妻が、美代の顔をそっと拭きました。


ありがとうございます。


わたくしは、心を授けてくれた御方(おかた)にお礼を申し上げました。

 

これを見させるために、わたくしはここに呼ばれたのです。


もう、満足でした。


身体の中で、枯れ枝が折れるような音が聞こえました。


わたくしの体はふたつに折れ、台から落ちて床に転がりました。


「ぼ、ぼくさわってないよ!」


「うそ! 謝りなさいよ」


「ぼくじゃないもん!」


子供たちが騒ぎはじめました。


「自然に落ちたのよ……誰も悪くないわ」


恵子ちゃんが孫をなだめ、わたくしを拾い上げました。


わたくしの意識が、隅の方から崩れていくのが判ります。

眠いのではありません。

崩れたあとにはただ無がありました。

わたくしの心が、あとかたもなく消え失せようとしているのです。


意識は鱗粉のように散りはじめ、どんどん小さくなっていきました。


最後に残った米粒ほどの意識の中に、降りてきたのは、恵子ちゃんの声でした。


「おかえりなさい」


そして、わたくしは消えました。

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